街角100ライブ


008 赤れんがアーティスト広場04th
   「初めての投げ銭」
/2006.6.25 Sun



 2008年まで活動を許可されている旧北海道庁、通称「赤れんが」前での今年最初の路上ライブを実施した。久し振りにカラリと晴れ上がり、暑いほどの陽気。まさに「青空ライブ」で、外でのライブはやはり暑い時期に限る。本当は6月から活動出来たのだが、5月までの過密スケジュールで気管支を傷めたこともあり、しばしの静養期間を置いた。
 場所は札幌のど真ん中で、喧噪という点ではあまり恵まれた場所ではない。場所柄、通行人も観光客が多く、聴き手の絞り込みが難しい。正直いって、シーズン前はやるべきか否か、迷っていた。しかし、せっかく歌う権利を得ているのだから、年に一度はやっておくべきだと考え直した。
 去年はすべて午後からのライブだったが、以前に比べて朝早く起きるのが苦にならなくなり、午前10時半には現地に着いた。

 妻は仕事中なので、機材の運搬やセットも含め、全くの単独ライブである。知り合いの誰にも連絡していないし、もちろんネットでの告知も一切していない。自分に対する甘さをすべて排除し、「通りすがりの縁もゆかりもない人を引きつける」という、路上ライブ本来の醍醐味を追求するためである。
 まず事務局で受付を済ませ、近くの路上パーキングから機材を運ぶ。PA一式とマイクスタンド、譜面台も含めて荷物は計3つである。最もかさばるギターは背負い式のケースに入れた。マイクスタンドと譜面台はまとめて手作りのショルダー式ケースに、PA一式と楽譜は小さな段ボールに入れて太いひもでしばり、持ちやすくした。
 このやり方の場合、すべての荷物を持ってもまだ片手が余る。今回の移動距離は500メートル前後だが、過去の例だと1キロを超えてもまるで苦にならない。

 朝早いせいか、他の大道芸人はまだ誰も来ていない。場所は選び放題だったが、強い陽射しを避けるため、去年最初にライブをやった北側の池の前にある木の下に陣取る。木漏れ日が路上に落ちていて、なかなかいい感じだ。
 演奏中の写真を得るのは困難なので、セット直後の写真を演奏前に自分で写す。これぞ「一人上手」の極致。


 10時45分くらいから歌い始めた。PAは昨年暮れに替えた小型のもので、外で使うのはこの日が最初である。しかし、パワーには何も問題がない。少なくとも周囲20メートルには聞こえている感じだ。
 話しかける相手が誰もいないので、とにかく歌うだけだ。以下、普段とは趣向を変え、歌った順にライブの様子をセルフレポしてみる。


「さくら」(直太朗)
 過去の実績等から考え、最初に歌うのはこの曲以外に考えられない。正面の門から続く道には、多くの観光客らしき人が見えるが、「何が始まったんだ?」とチラリと視線をこちらに送るだけで、近寄ってくる人はいない。およそ4分の長い曲だが、あっという間に終ってしまった。


「カントリー・ロード」
 春に実施した自宅コンサートで、ある方から、「菊地さんの《カントリー・ロード》は、どこでも通用する」と言われ、すっかりその気になった。2曲目はこれである。
 歌の途中で5歳くらいの女の子を連れた家族連れが通りかかり、立ち止まって聴いてくれた。終ると盛んに拍手。なぜか後方の池の辺りからも同時に拍手がくる。やはり強い曲だ。思わず、「ありがとうございます」と頭を下げる。


「Puff〜パフ」
 2曲目で早くも聴き手を「つかまえた」ので調子に乗り、子供むきの曲を咄嗟に選んで歌ったが、なぜか家族連れは立ち去ってしまう。通りすがりの縁もゆかりもない人に続けて聴いてもらう難しさを思い知る。


「にぎやかな木々」
 周囲に誰も人がいなくなったので、自分の歌いたい歌に曲を切り替える。広場には樹齢が100年を超えそうな大木がうっそうと茂っている。その木々の下でこの歌を歌うと、さぞや気分がいいだろうと考えた。


「イムジン河」
 去年、別の路上ライブで歌ったことがある。通りすがりに興味を示す人はいるが、立ち止まってくれない。


「釜山港へ帰れ」
 それでもめげずに歌い続ける。この日、初めての試みとして演歌と唱歌を路上で歌うつもりだった。どちらも路上ライブには相応しくないジャンルだが、何事も決め込みは禁物である。介護施設で熱い支持を受けるこのジャンルを、もし路上で歌うとどんな反応があるのか?それをどうしても確かめかった。
「釜山港へ帰れ」はストロークで歌えて、どちらかというと絶叫タイプの曲だ。外でも何とか勝負出来るのでは?と考えた。通りすがりの中年女性が一瞬立ち止まって聴いてくれるが、一瞬である。


「つぐない」
 休む間もなく「つぐない」を歌い始める。すると、3人の家族連れがすぐ近くまで寄ってきた。15歳くらいの女の子とその両親。盛んに何か話しているが、まるで分からない。それもそのはず、中国語なのである。
 赤れんが広場には、多くの台湾観光客が訪れる。去年もそんな台湾観光客にライブを聴いてもらったことが何度がある。楽譜にテレサ・テンの曲を忍ばせたのは、得意曲であることのほかに、(もしかして)という下心があったからだ。
(蛇足だが、テレサ・テンは台湾では「歌姫」と呼ばれている国民的歌手)
 3人の家族連れは交互に私の横に立ち、写真を撮り始めた。ピースサインなんかしたりして、やたら盛上がっている。ちょっと歌いにくいシチュエーションだったが、構わず歌い続けた。騒ぎにつられて、他の人も集まってきだした。


「川の流れのように」
 路上での演歌に対する思わぬ反応に元気づき、日本の歌姫の曲を続けて歌った。これまた得意曲である。台湾の家族連れは去ったが、別の人たちが立ち止まってくれた。
 かなり離れた場所では、中年夫婦が熱心に聴いてくれている。この曲は普段はアルペジオ中心で歌うが、この日は大半をストロークの強弱だけで歌った。


「面影橋から」
 演歌の楽譜が尽きたので、遠方の中年夫婦むけにフォークを歌った。相変わらず聴いてくれていたが、途中でその場から去った。残念なことをした。
 時計をみると、11時30分。休み休みだったが、ともかく45分で9曲を歌った。「路上で演歌」という新境地を開拓したことでもあり、この日はこれでよしとしようと、そそくさと機材を片づけた。

 ふとギターケースを見ると、固く閉じたはずの蓋がなぜか開いていて、中に10円玉と50円玉が1枚ずつ入っている。(あの台湾の家族連れだ!)とすぐに思った。いわゆる「投げ銭」である。3枚写した写真で60円。モデル料が1枚20円というわけだ。
 過去にこの種のお金は一度も貰ったことがなく、もちろん要求したこともない。閉じてある蓋をわざわざ開けて入れてゆくとは、念のいったことだ。驚くと同時に、見知らぬ異国の人の心遣いがちょっとうれしくもあった。記念とお守り代りに、当分はそのままケースの中に入れておこう。

 今回、もう一つ試みるはずだった「路上で唱歌」は、歌うチャンスがなかった。だが、まだ諦めたわけではない。公園のようなどこかしかるべき静かな場所で、いつか確かめてみたい。




009 2006北のめぐみ愛食フェア〜1 /2006.7.29



 冬の札幌雪まつりの第2会場である札幌市郊外の「サッポロさとらんど」で、突然の青空ライブを実施した。しかも、2日連続というきつい日程である。
 7月から10月までこの会場で実施される「北のめぐみ愛食フェア」(6月は荒天のため中止)を後援している北海道が、すでに登録されている「赤れんがアーティスト」を対象に、活動の場を提供してくれたのだ。いわば「赤れんが広場ライブ〜番外編」とでもいうべき位置づけだった。

「サッポロさとらんど」は本来、札幌市の農業体験交流施設である。そこで夏の間に食の祭典のようなイベントを実施するらしい。
 くしくも私が最初に路上ライブをしかけた「モエレ沼公園」は、目と鼻の先。自宅から車で数分の手軽な場所だし、駐車場の心配もない。春に案内を受取ってから、さっそく関係先に「参加します」と意思表示だけはしておいた。

 ところが、日程だけは決まっていたが、どこでどのような形でやればいいのか、詳しい要項がなかなか届かない。詳細な実施案内がメールで届いたのは、実施の数日前だった。関係機関が数多く、調整等に時間がかかったようだ。
 メールを見ると、週末の土曜と日曜の午前と午後に各1回、都合4回を2日間でやっていただけないか、との打診である。あいにく土曜の午前中には別の訪問ライブの予定がかなり前から決まっていた。調整の結果、初日はひとまず午後3時からの30分間、2日目は午前11時からの30分間ということに落着いた。

 当日はかなり暑く、午前中の訪問ライブをこなし、自宅で一息ついて少し早めに会場に向った。さとらんどには一度だけ行ったことがあるが、歌うのは初めてだったし、会場となる「ハルニレ広場」の位置もはっきりしない。
 駐車場から案内図を頼りに、広大な敷地の中をとにかく歩く。背中に背負ったギターと肩から下げたマイクスタンド、そして片手に持ったPA一式の重さが、かなり堪えた。

 ようやく事務局のあるさとらんどセンターに着く。責任者のSさんと、もう一人の担当者Gさんと面会。すぐに歌う場所の打ち合せをする。
 これまた広い広場のどこで歌うべきかいくつか候補があがったが、駐車場からセンターへとむかう橋のたもとの芝生で歌うことになる。周囲へのアピールの意味もあり、早めに機材をセットした。


 予定の3時少し前から歌い始めた。この日のプログラムは午前中の訪問ライブの曲目とかなり重複している。ライブの予定が重なったため、やむを得ない措置だった。


「上を向いて歩こう」
「カントリー・ロード」
「北の旅人」(南こうせつ)
「宗谷岬」
「みどりの蝉」
「恋は桃色」
「手のひらを太陽に」
「さくら」(直太朗)
「翼をください」


 だが、この日のような特殊事情を除いたとしても、最近歌う曲がパターン化しつつある自分を強く感じる。ライブの数を重ねるにつれ、周囲の評価は徐々に固定化されてゆく傾向にある。たとえば、

「菊地さんの《さくら》はいい」
「《宗谷岬》はぐっとくる」
「《カントリーロード》はどこでも通用する」

 等々である。おだてられるとこちらもついその気になる。聴き手が同じでない限り、冒険を避けてつい受けのよい曲を歌ってしまう。そのあたりが自分の中での「マンネリ」が生ずる所以だ。
 プロでもライブで必ず歌う定番曲があるくらいだから、一介のアマチュア歌手なら、それでよいのかもしれない。だが、自分の向上、という一点では不満が残る。少しずつでも、受けの良い定番曲を増やすのが目下の目標だろうか。

 30分のライブの様子にもふれておく。風がやたら強く、譜面台が倒れないよう、ほとんどの時間を足でおさえながら歌わざるを得なかった。去年も路上ライブで同じ経験があるが、非常に辛い。
 気温は高めだったので、通り過ぎる人は結構いた。だが、なかなか立ち止まってくれない。3時過ぎという時間は、イベント会場としてはそろそろ手じまいする時間で、人々の気持ちはどちらかといえば「帰宅を急ぐ」という方向に向っていたようだ。苦戦の第一の理由が風だったとして、第二の理由はそこにあった気がする。
 もうひとつの重大な問題が、PAだった。てっきり風のせいだと思っていたが、スピーカーからの音がボコボコした感じで、音が小さい。PAの乾電池が消耗し、電圧が下がっていたことに気づいたのは家に戻ってからのことだったが、このPAの不調が、実は苦戦の最大の理由であったかもしれない。

 それでも懸命に歌い続けたが、あまりの手応えのなさに、万人むけの定番曲を歌い続けているのが、何だか馬鹿らしくなった。そこで、4曲目の「宗谷岬」のあと、手持ちの楽譜集をめくって、自分の好きな曲を好きなように歌おうと急きょ方針を変更した。
 5曲目の「みどりの蝉」は、ほとんど人前で歌ったことがない。しかし、「夏」を強く喚起させる曲で、いつかどこかで歌ってやろうと、かねてから考えていた。6曲目の「恋は桃色」、これまたマニアック。おそらく周囲の誰もが知らない曲だろう。

 だが、不思議なことに、自分の歌いたい曲を好きなように歌い始めてから、一人の女の子が立ち止まり、じっと歌を聴き始めた。その子は曲目が変わっても、あたりを行ったり来たりして、ずっと聴いている。聴き終るたびに、小さな可愛い拍手。私の歌に余程興味があったのか、あるいは、目の前で弾き語りを聴くのが初めてだったのか。
 相手がたとえ子供であっても、真剣に聴いてくれる人が一人でもいると、張合いが全然違う。最後の数曲はじっとその子の眼を見つめながら、語りかけるように歌った。少女は少しはにかみながら、聴き続けてくれた。
 その子の拍手が呼び水のようになり、チラホラと周囲の大人からも拍手が湧くようになった。しかし、ちょうどその頃になって、予定の30分が過ぎた。もう片づけなくてはならない時間だ。

 ギターをケースにしまっていると、その女の子が近寄ってきて、「おじさん、これ」と、10円玉を1個差し出す。どきりとした。いわゆる「投げ銭」で、先月赤れんが広場前でやった路上ライブのときの、台湾人親子のことを思い出した。
 受取るべきか否か一瞬迷った。私の歌に対するこの子の善意であることは間違いない。だが、路上ライブは無報酬であることが原則だった。

「ありがとう。でも、ここで歌ってお金をもらっちゃいけない決まりになってるんだよ」
 そう言うと女の子は怪訝そうな表情を見せ、困ったように振り返る。視線を追うと、そこには芝生に座った母親らしき姿があった。
 どうもありがとうございます、お気持ちだけいただいておきます。彼女にむかい、そう言って最敬礼した。ほんの束の間の、ささやかだがよい時間を共有できた。

 たかが10円、されど10円。やはり受取るべきだったかなと、いまでもまだ女の子の澄んだ瞳を思い返している。




010 2006北のめぐみ愛食フェア〜2 /2006.7.30



「サッポロさとらんど」での、2日目のライブの日だった。連日のライブで喉も身体も疲れているので、この日午前と午後の両方を打診されていたライブを午前中だけにしてもらい、出発前の発声練習もかなり控え目におさえた。
 昨日よりも気温は高めだが、風はない。この日のライブ時間は午前11時半からの30分間で、人々の心理面でも、昨日よりは条件がよいような予感がしていた。

 勝手が分かったので、この日は11時ちょうどに家を出る。Sさん、Gさんに挨拶を済ませ、昨日と同じ場所に機材をセットした。

「今日はどんな感じでしょうか…」
 センター側の責任者であるSさんが、昨日の集客がほとんどなかったことを盛んに気にしている。もちろんそれはSさんのせいではない。路上ライブがどのようなものか、Sさんはあまり知らない様子だ。
 いつもこんな感じですよ。30分歌って、一人から拍手を貰えたらその日はOKです。そんなものですよ。そう言って逆にこちらが慰める始末。

 11時30分ちょうどから歌い始めた。前日、長時間かけて充電した乾電池もフルパワー。PAはいい音を出してくれている。
 風がなく、会場の様子もおよそつかんでいたので、この日は気持ちにも余裕があった。行き交う人々でチラリと視線を投げかける人を見つけると、すかさず眼を見返して訴えるように歌う。どのような場であっても、忘れてはならないライブの鉄則だ。
 この日は周囲の反応がかなりよく、2曲目あたりから歌い終るたび、芝生に座った人たちからチラホラと拍手がきた。


「上を向いて歩こう」
「カントリー・ロード」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
 〜リクエスト
「神田川」
「僕の胸でおやすみ」
 〜ノーマルに戻る
「宗谷岬」
「しあわせになろうよ」
「あてもないけど」
「さくら」(直太朗)


 3曲目の「どうしてこんなに悲しいんだろう」を歌い始めたとき、中年女性が目の前にピタリと立ち止まり、眼を生き生きと輝かせてずっと聴いてくれる。あまりに熱心なので、歌い終えると思わず、「何かリクエストがありますか?」と、こちらから問いかけた。
 すると、70年代フォーク、出来ればかぐや姫の「神田川」が聴きたい、と女性は言う。う〜ん、あいにく「神田川」は楽譜の用意がないんですが、他のかぐや姫でもいいでしょうか?
 そう応えつつ、頭の中では「神田川」の歌詞とコードを懸命になぞっている。この歌はサラリーマン時代に会社の宴会でさんざ歌わされ、かっては目をつぶっても歌えるほどだったが、その後あまり歌う機会がなく、いまは楽譜がないと自信がない。

 かぐや姫で楽譜なしで歌えるのは、「僕の胸でおやすみ」だけだったので、それを歌おうかちょっと迷った。しかし、せっかくのご要望である。(何とかなるさ)と、うろ覚えのまま「神田川」を歌い始めた。
 ギターコードは覚えていたが、歌詞の1番と2番を逆に歌い出すという失態。途中で気づいて修正したが、何とか歌い切る。フォークの定番曲は、普段から練習し備えておくべきだと反省。罪滅ぼしとして、「僕の胸でおやすみ」も続けて歌った。それでも女性は大変喜んでくれ、最後まで一緒に口ずさんでくれた。
 歌い終えるとそばまで近寄ってきて普段の活動のことを尋ねたり、楽譜集を手にして、「大好きな懐かしい曲ばかりです」などと昔のフォーク少女だった時期のことを語ったりと、しばしの歓談にふける。
「今後もがんばって歌ってください」と女性が去ったあと、気を取り直して再び歌い続けたが、その後歌った4曲の反応もよく、周囲の芝生や通りからの拍手は絶えなかった。

 予定時刻になったあと、最後まで近くでライブを見守ってくれたSさんに、「お陰さまで今日はとてもうまく行きました」とお礼を言う。Sさんもどこか安心した表情だ。
 人生と同じで、こんなふうにうまくいく時は何をやってもうまくいく。だからダメな時でも落ち込んでしまわずに、ただひたすら自分を励まして歌い続けることがきっと大事なのだ。
 たとえわずかな時間でも、他のライブとは全く異質の出会いや収穫がある、それが路上ライブの限りない魅力と醍醐味なのだと、改めて実感出来た2日間だった。