街角100ライブ
005 赤れんがアーティスト広場01st
「緊張と手探りの赤れんが」 /2005.9.11 Sun
旧北海道庁、通称「赤れんが」前での最初の路上ライブを実施した。オーディションも無事通過し、「赤れんがアーティスト」として活動出来るお墨付きを北海道から正式にいただいたのだが、問題は「PAなし」「電源なし」「都心の騒音」という、かってない三重苦の中での路上ライブであることだった。
単なる「PAなし」「電源なし」だけなら、これまで何度も経験し、それなりにこなしてきた。しかし、それらはいずれも郊外の静かな公園の中。札幌のど真ん中でのこの種のライブがいったいどうなるのか、やってみなければ分からない難しさがあった。前夜はなぜか気持ちが高ぶって熟睡出来ず、体調は決して万全とは言えなかった。それでも長丁場になりそうなライブに備え、直前まで入念にボイストレーニングを続ける。
「聴き手の対象がはっきりしない」というのも不安材料のひとつで、あらゆる状況に備え、楽譜は50曲以上を準備する。機材を車に積込み、休暇をとってくれた妻と共に午後1時過ぎに家を出た。2時少し前に道庁前に着いた。オーディション時と違って、今回は駐車場も利用出来ない。多くの機材を近隣の民間駐車場から広場までどう運ぼうかというのも、実は不安材料のひとつだった。ところが、道庁真横の路上コイン駐車場に、たまたま空きがある。ラッキー!とばかりに車を停め、あっという間に機材の搬入を終えた。
登録カードを提示して事務室で正式な受付を済ませる。名簿に名前やら開始時間などの細かい記録を書く。ここらが単なる路上ライブと違うところで、あくまで北海道の正式な支援を得ている所以だろう。荷物番をしていた妻のところに戻り、さっそく機材のセットを始める。電池式のラジカセ、電池式のミキサー、同じく電池式のFMトランスミッターをセット。これにエレアコやマイク、そしてケーブル類をつなぐ。
機器類は家で何度もテストし、各種ツマミの数値は手帳にメモしてあったので、一発で音が出る。苦心して考えた電源のない場所での安価なPAシステムで、これまた不安の種のひとつだったが、ひとまず胸をなでおろす。
ただ、車の騒音、日曜だというのにすぐそばで進行中のビルの工事騒音等にかき消され、家の中でのテストよりも音はかなり小さく感じる。またまた不安になって10メートルほど離れた位置で妻に確認してもらうと、「ちゃんと聞こえるわ」。すべての準備が整って、ちょうど2時になった。ホームページにひっそりと載せてある「ライブ告知」では、午後2時から3時30分までやることになっている。だが、誰一人知り合いが来ている気配もなく、ここで少し間を置いて開始を遅らせた。車や工事の騒音等が静まるのを、しばし待ったのだ。
午後2時10分、あたりの喧噪がいったん止んだのを機に歌い始めた。この日、今回のイベントを運営しているNPO法人の審査委員長のアドバイスもあって、カバー曲とオリジナル曲とをバランスよくミックスした構成で臨もうと考えていた。
何をどうミックスするかは、その時の気分である。いわば、出たとこ勝負の行き当りばったりだった。最終的には全部で19曲、1時間30分を休憩なしで歌い切ったが、結果的におよそ30分ごとに区切りが入っている。自分なりの「3部構成」のようなものだ。
イベントライブでもハコ(室内)ライブでも施設訪問でも、およそ20〜30分毎に何らかの形で区切りを入れるやり方が望ましいように最近は感じている。
最初の30分ほど、つまり手探り状態ともいえる第1部で歌った曲は以下の通り。
「さくら」(直太朗)
「昨日の夢」(オリジナル)
「夢の途中」
「はじまりはじまる」
「星雲の群と僕等の会話と一体どっちが本当だっただろう」
「あこがれ」
1曲目はリスクを避け、無難なカバー曲にした。これだけの悪条件の中だから、やむを得ない選択だったろう。声の状態、PAの状態もまずまずだったが、聴いてくれる人は全くいない。
時折通り過ぎる人も、まるで無関心。通りを挟んだ向かいの芝生に座って聴いている妻だけが「サクラ役」の聴き手、といった案配なのだ。車やビル工事の都会の騒音だけが虚しく広場を横切ってゆく。少し離れた場所で、同じギターの弾き語りシンガーがPAもなく、独りでがんばっているのが見える。時折声が風に乗って届くが、そちらにも立ち止まる人はいない。ある程度予想はしていたが、私を含めたどのパフォーマ−も、かなり苦戦している厳しい状況だった。
森や池、そして歴史的建造物に囲まれた環境そのものは悪くなかった。しかし、誰も聴いてくれない。「こんなとき、何を歌えばいい?」
座っている妻にそう尋ねると、「聴く人がいないんだから、自分の歌いたい歌を、好き勝手に歌えば?」と素っ気ない。
よしそれではと、2曲目に数日前に出来たばかりの長いオリジナル曲を、さらに普段外ではあまり歌わない曲ばかりを続けざまに歌う。30分近く歌って、あまりの手応えのなさに、さすがに疲れが出てきた。しかも、この日は28度の暑さ。都心ではヒートアイランド現象で、おそらく30度近かっただろう。汗が頬を伝い落ち、それが疲労に拍車をかけた。
そこで上にはおっていた半袖シャツを脱ぎ、薄いTシャツ1枚になる。持参の水を飲んで一息いれた。
この日頭に絞めたバンダナは、100円ショップで買った女性用のスカーフ。ギターやシャツ、道庁の赤レンガとのトータルコーディネイトまで考えたのだが…。休んでいる間も、自宅でのオープンライブで評判のよかった「流れる」のイントロ部分をずっとギターで引き続ける。
街角のストリート系シンガーで、長い時間何も音を出さず、ただ時をやり過ごしている姿を時々見かけるが、ヤル気のなさを見せびらかしているようなものだ。通りすがりの人の関心を少しでも引くには、常に何かをやっていないと駄目だ。
気を取り直して再び歌い始める。誰も聴いてくれなくても1時間は歌ってやるぞと、持ち前の闘争心のようなものがメラメラ燃え上がってきた。以下、炎と苦悩の中で歌った第2部、8曲である。
「流れる」(オリジナル)
「恋は桃色」
「空も飛べるはず」
「しあわせになろうよ」
「森の記憶」(オリジナル)
「北の旅人」(南こうせつ)
「最初から今まで」
「あなたにメロディ」(オリジナル)
「流れる」を歌っているとき、遠くの芝生に疲れた様子で座っている私と同年代の男性に、何となく聴いているような気配を感じた。これは歌い手としての「勘」ようなもので、人ごみや暗闇の中、あるいは広い草原の上であっても、自分の歌を聴いてくれている人の気配は、何となく感ずる。
しばらくその男のほうを見て歌っていると、目があった。(やはり聴いている…)
この歌は人生の無常をテーマにした曲だ。人生の晩年を迎えた男の胸に、何かが届いたのかもしれない。この反応で私は、大いに勇気づけられた。路上シンガーは、とにかく歌い続けることが肝心なのだ。
それからは少し選曲を変え、ある程度他に訴えるような構成にした。広場を行き交う人の数も少し増えてきて、何となく事態が好転しそうな予感がしたからである。「しあわせになろうよ」をこの日一番のフルパワーで歌い始めると、広場の中の多くの人がこちらを振向いた。それまではPAがそこそこ機能していたこともあって、力まかせの声は控えていた。だが、時間的にもここらが勝負どころである。万人に強い長渕で、ひと勝負かけてやろうともくろんだ。
この判断は結果的に正解で、団体でバスから降り立った観光客のうちの一人(若い女性)が、初めて目の前に座って聴いてくれた。同年代の中年男性も通りすがりに目の前で立ち止まり、(いい年して何やってるの…)とでも言いたげな好奇に満ちた目でじっと見て、それでも黙って聴いている。
終わると男性はそのまま立ち去ったが、若い女性のほうはこの日初めてとなる拍手。この聴き手を捕まえない手はないぞとばかり、カバーとオリジナル曲の得意曲をとりまぜ、休みなく歌い続ける。その若い女性は道庁内部の見学に行った仲間が戻ってくるまで、その後の3曲を終りまでずっと聴いてくれ、拍手をくれた。あとで妻から聞くと、彼女は中国語を話していたという。どうやら、最近札幌を多く訪れる台湾の観光客だったらしい。
「異国の通りすがりの人を、自分の歌で4曲も捕まえた」これは大きな収穫だった。若い女性が去って、「あなたにメロディ」という、これまた出来たてのオリジナル曲を歌っていると、不意に小学校低学年くらいの女の子が目の前に現れ、じっと聴いている。
打ち明けると、この曲はもともと妻の友人のNさんから頼まれ、彼女の所属する人形劇団のテーマソングとして作ったものだ。出だしの歌詞とメロディ以外の多くは、私の作ったものだったが、曲調が子供むきではないという理由で、結局採用されなかったいきさつがある。
だが、自分ではとても気に入っていて、このまま闇に捨て去るにはあまりにも惜しく、この際、自分のライブのテーマ曲にしてやろうと、詩と曲を全面的に自分むきに作り変えたものだ。女の子の心に響く何かが、もしかしたらあったのかもしれない。そのまま最後まで聴いてくれたが、終り頃になって、お母さんらしき女性がどこからか現れた。私に微笑んで女の子をうながし、芝生に座って続けて聴いてくれる気配だ。
「今日は子供向けの曲の準備があまりないんですよ…」
そう二人に声をかけつつ、楽譜をめくる。通りすがりの人が対象の路上ライブでも、時にMCは必要だ。しばらく練習してなかった「カントリー・ロード」を歌い始めると、親子は拍手をして聴いてくれる。
歌っていて、子供がすぐに飽きてしまうのではないか?という別の不安に襲われた。全体の様子がよく分からず、条件の厳しい路上ライブの場合、不安は常につきまとう。「パフ」を歌っていると、今度は男の子を連れたお父さんが現れた。目の前まできて、譜面台にぶら下げた「赤れんがアーティスト」の登録証まで確認している。興味津々の様子だ。
さらに子供2人を連れた別のお母さんも現れ、座ってずっと聴いてくれている親子と合流し、一緒に拍手をくれる。どうやら友達同士らしい。
このあと、この親子5人はずっと座って拍手と声援をくれた。私も大いに乗って、1曲ごとに会話を交し、歌っているときも順に目を見るよう心掛けた。いわば路上の突発的な「家族むけミニコンサート」のようなもので、まるで初めての経験だったが、とても楽しいものだった。
「カントリー・ロード」
「Puff〜パフ」
「翼をください」
「さくら」(直太朗)
「あなたにメロディ」(オリジナル)
「さくら」はネタ切れの苦し紛れだったが、子供に飽きられないようにテンポを早くし、雰囲気を最初とはガラリ変えて軽い気分で歌った。すると、目の前に座った小5くらいの男の子が、じっと私を見ている。私もすかさず見返してあげると、照れてはにかんでいる。でも、どこかうれしそうだった。
(この子の記憶に、何かが残ったかもしれない…)そんな漠然とした想いに捕らわれた。以前にも末の息子の小学校クラスお別れ会で、「今日の日はさようなら」を弾き語りで歌ったことがあった。何年も経ってからクラスの女の子に、その歌がずっと思い出に残っていたと、道端で突然声をかけられたことがある。
歌には不思議な力がある。人の心を引きつけ、強く打ち、動かす力だ。それはときに聴き手の記憶の奥深くまで入り込み、人生を豊かに彩る。その力を信じたい。日がかなり陰ってきて、気温も少し下がってきた。時計を見るとすでに3時半である。ふと広場を見渡すと、他のパフォーマ−はすべて立ち去り、残っているのは私だけとなっていた。歌に夢中で気づかなかったが、静かに歌を聴いてくれる環境が、いつの間にか整っていたらしい。
午後4時までにはすべての機材を片づけ、事務室に報告して完全退去することが「赤れんがアーティスト」として守るべき条件のひとつである。事情を親子に話し、女の子だけが途中から熱心に聴いてくれた「あなたにメロディ」をもう一度最後に歌い、この日のライブの終了とさせていただいた。
この「あなたにメロディ」は実に不思議な曲だ。いま会ったばかりの親子5人が、私の歌に合わせて楽しそうに左右に身体を揺すってくれるのだ。2分ほどの短い曲だから、あっという間に終わる。もしかしたら、私の定番オリジナルになるかもしれない。施設訪問ライブでもぜひ試してみたい。波瀾に富んだ1時間半がこうして終わった。最後まで聴いてくれた親子5人組は実に名残惜し気で、もっと聴いてくれそうな雰囲気が十二分にあったが、時間的にも体力的にも、もはや限界だった。
「次回は10/2に歌う予定ですから、もしよかったら来てください」
そうお伝えして別れた。この広場で歌える登録証は向こう3年間有効とのこと。都心での路上ライブ特有の悪条件はあるが、何とか工夫し、今後「北のモエレ沼」に対し「都心の赤れんが」という位置づけで自分の路上ライブの新拠点になればいいと思っている。
006 赤れんがアーティスト広場02nd
「発展途上の路上ライブ」 /2005.10.2 Sun
2回目の「赤れんが路上ライブ」を実施した。今回は妻の友人のGさんが応援に来てくれるという情報が事前にあった。
同年代の彼女とは2度会ったことがあるが、歌を聴いてくれるのはこれが初めてだ。いろいろ聞くと、実は長年のフォークファンだったという彼女、プロのコンサートにも何度か通ったことがあるそうで、「必ず行きます」と約束してくれた。妻以外の聴き手が路上ライブにつき合ってくれるのも初めてで、「通りすがり」とか、「一期一会」だとかの予測不可能の要素が勝負になるはずの路上ライブが、いったいどんな様子になるのか、ちょっと見当がつかなかった。しかし、せっかく来ていただけるのだからこの機会を積極的に利用し、「固定された聴き手がいる」という前提でライブをやろうと考えた。
具体的には、普通は路上ライブではやらないMCを多用し、あたかも室内ライブのように言葉のキャッチボールをしながら進行させようというプランである。
これに関しては、前回の同じ「赤れんが路上ライブ」の後半で、場の成りゆきから5人の家族連れ相手にMCを使った路上ミニコンサートを仕掛けている。同じような場を最初から作っていけばいいはずで、彼女以外の通りすがりの聴き手は、そのやり取りの中から自然に輪が広げる形で引き止めようという虫のいい計画を立てた。2時よりかなり早めに着くと、会場には正門の真ん前で若い男性がギターで盛んに歌っている。前回も一緒だった歌い手だ。事務局で申込みを済ませると、この日の午後の参加者は彼と私と二人だけであることが分かる。
場所は前回よりもかなり建物に近い位置、正面玄関に向かって右の絶好の場所がとれた。赤レンガの美しい壁が真後ろで、音の反響がかなりいい。道も3本が交差していて、人通りも多そうだった。
機材を素早くセットし、しばし時を待った。簡易PAも前回同様なんなく作動し、段取りが良すぎて開始の2時までかなり間があるのだ。この日は道庁前の大きなビルの工事も休みで、道路からも離れている演奏場所は静かである。2時少し前、Gさんが自転車で現れる。自宅がかなり道庁に近いらしく、わずか15分で着いたという。駐輪場に自転車を置いてくる間、マイクテストをかねて1曲目の「切手のないおくりもの」を歌い始めた。前回よりも20分近くも早い開始だった。
今回、3時半過ぎまで休憩なしに一気に23曲を歌ったが、便宜的に30分ごとに曲の構成を分けて列記してみる。
「切手のないおくりもの」
「惑星」
「最初から今まで」
「明日」
「初恋の来た道」(オリジナル)
「あこがれ」
「流れる」(オリジナル)
「森の記憶」(オリジナル)
たとえどんな場であっても、常に進化し続けていたいと思っているから、今回もかなり新しい曲にチャレンジした。「惑星」は去年札幌でのコンサートを主催した及川恒平さんの作った古い曲だが、宇宙を擬人化して描いている内容的には大変新しい歌だ。同時に分かりにくい歌でもあるが、路上ライブの最初のほうなら歌っても許される。
韓ドラのファンだというGさんのために、「最初から今まで」を歌っていると、道庁から出てきた年輩の男性が立ち止まり、じっと聴いている。終わると、「いい声ですねぇ」と声をかけてくれた。この方は次の「明日」も最後まで聴いてくれ、拍手もくださった。入れ代わるように、妻とGさんの後ろにある松の陰で、中年の女性がじっと聴いてくれているのを見つける。MCでキャッチボールをしながら進行している成果か、はたまた歌う場所に恵まれたせいなのか、この日はいわば「サクラ」とも言うべき妻とGさん以外の聴き手が、最初から最後まで途切れることがなかった。
松の陰の中年女性は、結局オリジナル中心のその後5曲ほどをずっと聴いてくれた。前半でオリジナルを連発したわけは、正面玄関横の少し離れた場所で、かなり若い男性がさり気なく歌を聴いているのが分かったからだ。ちょっとした「若者むけ背伸び」のようなものだったが、意外に中年にも受けがよかった。2時半くらいから、およそ以下のような曲目を歌った。「およそ」と書いたのは、曲目は間違いないが、曲順があやふやだからである。聴き手のGさんの疲れも考慮し、このあたりは少しカバーを多めにした。
「白い冬」
「恋は桃色」
「秋の日に」(オリジナル)
「雨が空から降れば」
「りんご撫づれば」
「あなたにメロディ」(オリジナル)
「突然さよなら」
「あたらしき世界」(オリジナル歌詞)
記憶がはっきりしないが、確かオリジナルの「秋の日に」のあたりだったと思う。歌いながら通りすがりの20代前半の若い女性とびったり眼があった。あきらかに私の歌に興味を示している。何が彼女の心に届いたのかは分からないが、立ち止まって最後まで聴いてくれた。
ただ、彼女はその曲が終わると立ち去った。願わくば次の曲まで聴いて欲しいところだったが、そこは大きな壁のひとつかもしれない。1)まず立ち止まってもらう。
2)立ち止まったらその曲を最後まで聴いてもらう。
3)拍手をもらう。
4)次の曲を聴いてもらう。
5)「いい声ですね」などと声をかけてもらう。
6)続けて数曲聴いてくれる。
7)アンコールなどいただく。路上ライブの醍醐味を段階的に書き記すと、こんな感じだろうか。
「あたらしき世界」は夏に出来た曲だが、人前では初めて歌った。あのドヴォルザークの「新世界より」の第2楽章にオリジナルの詩をつけた。今年、初めて路上ライブをしかけたモエレ沼公園ではいくつか曲が生まれているが、これもその中のひとつである。
アルペジオの静かな曲調なので外で歌うにはやや不安があったが、いざ歌い出すと、通りを往く人々の視線がわっと自分に集まってくるのを感じ、ちょっと身震いした。こんな経験は初めてのことだ。
そばで聴いていた妻も全く同じことを感じたそうで、これは歌い手の力ではなく、明らかに曲そのものの魅力だ。長い時を経て人々の記憶に残ってゆく音楽には人の心を揺さぶる強い説得力があり、やはり偉大なのだなと改めて感じた。よく考えると、この種の曲作りにはオリジナル性を出しつつ、聴き手の耳にも訴えやすいという一挙両得の効果がある。著作権の切れた過去の名曲は星の数ほどあるから、もっと意識して探してみたい。
3時あたりになって、少し疲れを感じた。MCに気を遣い、聴き手の中心であるGさんにも気を配り、通りすがりの見知らぬ人々にも神経を使い続けて、かなり消耗していたようだ。
そろそろまとめに入ろうかと、歌い残した曲を中心に以下の第3部を歌った。
「さくら」(直太朗)
「しあわせになろうよ」
「北の旅人」(南こうせつ)
「お陽様はどちらからのぼるのですか」
「ありがとう・北海道」(オリジナル)
「宗谷岬」
「切手のないおくりもの」
「さくら」を歌い始めたとき、とんでもないことが起きた。出だしの「きっとまあ〜ってる〜」の箇所で、声がブツリと切れてしまったのだ。未だかってない事態に、さすがにあわてた。水を一杯飲み、「もう一度初めから歌います」と言って歌い直した。
もし同じ事態がもう一度起きたら、この日は打切りにしようとまで覚悟を決めたが、何とか最後まで歌い終えた。この歌は途中で転調させている関係もあり、この日一番高いキーの歌でもあった。普段の調子なら15曲目あたりは一番声が伸びる時間帯のはずだったが、この日は勝手が違っていた。理由ははっきりしないが、ともかく体調が悪かったようだ。ところが皮肉なことに、この「さくら」でかなりの通りすがりの人が立ち止まってしまった。MCに相づちまで打つ人が出てくる有様。気力体力を振り絞った歌には、それなりに人を引きつけるものがあるのかもしれない。
ありがたいことこの上ないのだが、心の中ではやめるタイミングを見計らっていたのに、前回同様、ライブも終盤にきて簡単には引き下がれない雰囲気になった。やむなく一般受けしそうな曲を連発する。
立ち止まる人がだんだん増えてきて、観光客らしい若い男性はすぐ近くの芝生までやってきて、座ってじっと耳を傾けている。
気力体力の限界はとうに越えていたので、ここでマニアックな曲やオリジナルを区切りに入れてみた。すると、人並みが徐々に引いてゆく。まるで海の潮のようだった。聴き手って実に面白いな…、と歌いながら思った。Gさんの聴きもらした「切手のないおくりもの」を最後にもう一度歌って、長い長いライブを本当に終えた。
「すべての歌をとてもていねいに歌っていて、そこが心地よい」
最後にGさんからそう感想をいただいた。最近、言葉や旋律の細部に手を抜かず、ていねいに気持ちをこめて歌うことを練習のときから心掛けているから、この言葉は大変うれしく、励まされた。どうやらGさんは私のよき理解者の一人らしい。
終了の手続きをしに事務局に行くと、
「菊地さんは親しみのある歌をうまく構成していますね」と、道庁の担当の方から不意に言われた。歌った場所がたまたま事務室のすぐ横で、窓を薄く開けてずっとライブを聴いていてくれたそうだ。
北海道の正式なサポートを受けた事業なのでもっと参加者が欲しいだとか、参加者の横の連絡網も必要ですねだとか、かなり長い時間雑談する。私のようにマメに参加するパフォーマ−は、事業を盛り上げる意味でも大歓迎のようだった。この日のようなよい条件が整えば、かなりいい感じで路上ライブは続けられそうな感じはする。都心という場は、聴き手の受け入れ体勢という点では、郊外よりもむしろ条件がいいような気もだんだんしてきた。
手探り状態の「都心の赤れんがライブ」も、少しずつ進歩しつつある。