街角100ライブ


003 南幌青空ライブ
   「春の南風」
/2005.5.29



「中年青空ライブ仲間」である馴染みの居酒屋店主の活動に協賛し、近隣の町で通算3度目の青空ライブを実施した。場所はマスターが居酒屋とは別に経営するアイスクリームショップ前の広場である。
 この日は日曜だったが、休日は特に忙しい職場の都合で、妻は帯同しない。いわば、初めての「妻なし単独青空ライブ」なのだった。

 天気は良く、気温も20度を超えている。アイスクリームを食べるには絶好の日和だ。ショップにはまだ行ったことがなかったが、札幌郊外にある町営温泉と同じ敷地内にあり、自宅からは車で1時間足らずで行ける。周囲に何もない平原の真ん中だが、温泉に入った客がアイスクリームを食べにやってくる、そこにライブを仕掛けようというのだ。
 私が公園で青空ライブを始めたという話を聞き、刺激を受けたマスターが、自らギターを握って週末には独りで青空ライブを繰り広げているという。そんな活動に対する、ささやかな「応援」という意味もあった。

 出発前に入念な発声練習をするが、なぜか喉に引っ掛かりを感じる。2日前、納期に迫られて朝8時まで徹夜仕事をこなした疲れが、まだ身体のどこかに残っているようだ。トシだな…。
 30分歌ってかなり回復する。この日を逃すと、6月は娘の帰省や夏の札幌を彩るYOSAKOIソーラン祭りの大イベント、別のライブの予定などがびっしり詰まっていて、青空ライブそのものの実施が危ぶまれる。どうしてもこの日にやり終えたかった。

 車を走らせると、現地に近づくにつれ、次第に風が強まってきた。青空ライブの大敵には低温や雨など、いくつかあるが、風もそのひとつだ。事前に調べた天気予報では、「風速8m/S」となっていて、かなり条件は悪い。しかし、自宅周辺はほとんど無風だったこともあり、何とかなるさと、現地に確認せずにそのまま見切り発車した。

 平原の中を少し迷ったが、2時20分頃に到着。車を降りると、やはりかなりの風だ。まずはショップに入って、マスターとママさんに挨拶。結構な客の入りだったが、強風を避けてほとんどが店内の椅子に座ってアイスを食べている。
 濃厚なアイスをいただいてエネルギー補給したあと、マスターがいつもライブをやっているという店の目の前にあるモニュメント広場で、さっそく始めることにした。時計を見ると、2時40分。道に迷ったせいで、予定よりかなり遅れている。

 銀色に光るモニュメントが風でぐるぐる回るなか、この日が初披露のハンチングを後ろ向きにかぶって歌い始めると、まずは子供たちが物珍し気に集まってきた。
 1〜2曲目は5月の青空ライブの定番曲、大きなリスクはないはずだったが、子供はともかく、大人がほとんど関心を示さない。
「カントリー・ロード」では、特に数人の女の子が周囲にまとわりつき、強い関心を示してくれたが、例によって歌い終わっても拍手は全くない。通りすがりの子供から自然に拍手をもらえる日が、果たしてやってくるのだろうか?

 この日のプログラムはほとんど出たとこ勝負の行き当りばったりだったが、結果的に歌ったのは以下の曲だった。


「さくら」(直太朗)
「カントリー・ロード」
「空も飛べるはず」
「翼をください」
「大空と大地の中で」
「生活の柄」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「あなただけを」
「忘れたお話」
「四季の女」(作詞:なんかい/オリジナル)
「ありがとうforever」(オリジナル)
「ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ」


 3曲目あたりから、風はさらに強くなった。楽譜は2つの洗濯バサミで止めてあるので、びくともしない。だが、風にあおられて譜面台が倒れてしまう。風速8mどころか、実感では軽く10mを超えている。
 こいつはまずいと、重しになる物を探すが、あいにく見つからない。ライブの流れを中断したくなかったので、やむなく左足で譜面台を押さえながら歌い続けた。

 そうこうするうち、広場から人がどんどん消えていった。客は店内に残るか、買ったアイスを車内で食べるかのどちらかである。車から降りた人がちらりとこちらに視線をむけるが、アイスを買って店から出ると、そのまま自分の車へと直行。無理もない。強い横風でギターも声も吹き飛んでしまっている。そもそも、こんな風で外で歌を聴く気になる人は相当の変人だし、歌っているヤツはもっと変人だ。
 それでも、今回始めて挑戦した「空も飛べるはず」を歌っているとき、若いカップルがアイスを持って風の中を目の前のベンチまでやってきた。
(しめた…)と内心思いつつ、ここぞとばかりに声を張り上げる。視線は合わせようとしないが、カップルは明らかに歌を聴いている。それは歌っているものだけが感じ取れる直感のようなものだ。
 ところが歌い終えても、秘かに期待していた拍手はない。ふっと席を立って二人は消えた。コイツは厳しいぞ…。

 その後、風はますます強まり、人の姿はどんどん消えていった。4曲目の「翼をください」まで、そばでずっと聴いていた小4くらいの男の子、
「もう、だ〜れも聴く人がいなくなっちゃうよ」と、去り際にわざわざ告げにくる。遠くの駐車場では両親とおぼしき大人が、早く車に乗れと手招きしている。よくぞここまでつき合ってくれたと感謝しつつも、子供の口調がエラく攻撃的に聞こえたので、つい大人気なく反論してしまった。

「あのな〜、誰もいなくたって空に向かって歌うのが、『青空ライブ』なんだ。空だけはちゃんと聴いてくれるのさ、じゃあな」

 子供の表情に一瞬当惑の色が広がった。思いがけない私の言葉に、明らかにたじろいでいる。言っている意味がおそらく理解出来ないのと、言葉の裏に潜む、ただの負け惜しみではない何かを感じ取っている気配だ。
 足早に去った子供は、車の両親にいま言われたばかりの言葉を、そのまま伝えている。誰もいなくても空に向かって歌うんだって…。それに両親が口やかましく応じている。おそらくは、(あんなバカは放っておけ…)とでも言い含めているのだろう。

 誰の評価もなく、何の代償も得られない一見無益に思える行為を、日の当らない場所で粛々と続けることがよくある。歌も時にはそのひとつだ。訪問ライブや青空ライブの準備で、独り部屋で延々と構想を練り、歌い続ける。
 客は一人もなく、聴いているのは歌っている自分だけだ。それでもそれなりに楽しい。それは、たぶん歌うのが心底好きだからだ。
 この日のこの男の子は、いい言葉を投げかけてくれた。そうだ、本当に歌が好きであれば、空に向かってでも歌い続けられる。誰もいない部屋で、たった一人で歌っているときのように…。

 男の子が去って、広場には本当に誰もいなくなったが、そこからは空を見上げて歌い続けた。曲は迷わず「大空と大地の中で」を選んだ。青い空に浮かぶ雲の流れが、めっぽう早い。
 いい気分だった。誰も聴いてくれなくても、誰も拍手をくれなくても、ずっと歌い続けていけそうだな…、そんな仙人みたいな気持ちになっていた。  孤立無援の私の姿を見兼ねたのか、ほどなくして店の中からマスターが飛び出してきた。歌が終わりそうになると、はやばやと拍手の準備をしている。それを目にした私は、ラストの伴奏の最中に思わず叫んでいた。
「拍手はいりませんよ〜、今日は孤独に歌い続けると決めましたので〜」

 そんな私の言葉に、マスターが当惑の表情を見せている。マスターが気遣ってくれているのは分かっていた。ちょっと気持ちが卑屈になっていたかもしれない。ごめんなさい…。マスターはその後もしばらく私の歌につき合ってくれた。
 ふと見ると、ライダー姿の若い男性がマスターに並んで歌を聴いている。そのうち、一緒に拍手などし始めた。親し気にマスターと言葉を交している。もしかして、馴染みの客だろうか…。

 9曲目の「忘れたお話」が終わると、当の彼がいきなりすぐそばまで近づいてきた。私に何か叫んでいる。
「四季の歌」を歌ってくれませんか…。確かにそう聞こえるが、風で声も途切れがちだ。リクエストはありがたいが、介護訪問ライブでもあるまいし、この強風の下で「四季の歌」はないだろう…。

「なんかいさんの『四季の女(ひと)』ですよ」
 今度ははっきり聞こえた。マスターの経営するライブ居酒屋のネット掲示板が縁で、私が曲をつけたいわくつきの歌だ。詩はまだ会ったことのない別の常連さんのもので、一度だけ居酒屋で歌ったことがある。

「どうしてその歌を?」
「僕、なんかいさんの知り合いなんです。掲示板で今日の青空ライブのことを知って、どうしてもあの歌を聴きたくって…」

 それでわざわざ遠くからバイクを飛ばして聴きに来てくれたのだという。この日の青空ライブは前日にマスターの了解をメールで得ていたが、掲示板に告知はしていない。だが、前夜にマスターが気を利かせて、掲示板にこっそりライブのことを書いてくれていた。
 何だ、そんなことならと、さっそくリクエストにお応えした。しばらく歌ってなかったが、自分の作ったメロディだから、そこはうまくこなす。
 ふむふむなるほど、へえ、これはすごい。なんて彼はすっかり感心して聴いている。マスターも近寄ってきて、しばしの歓談。調子に乗って、とっておきの歌を続けて披露した。
「実は、マスターのお店のテーマソングを作ったんです。ぜひ聴いてください」

 打ち明けると、この曲のメロディは別の方への感謝の歌と同じだ。だが、非常にノリのいい曲に仕上がっていて、1曲だけで眠らせてしまうのは、いかにも惜しい。いろいろな歌詞をつけ、今後いろいろな場で歌い継いでいこう、そう決めていた。いわばその第1弾である。
 マスターの居酒屋むけに全面的に書き直した歌詞は、すでに完成していた。

 外の様子を見て、ママさんまでが飛び出してきた。入れ代わりでマスターが店に入る。
「いま、『ありがとうのテーマ』を初めて歌ったところです。ほら、歌詞にマスターやママさんが出てくる」と楽譜を見せると、私もぜひ聴きたかった、今度お店で絶対歌ってくださいね、と約束させられた。
(「ありがとう」は、マスターとママさんの経営するライブ居酒屋の名)
 この曲でこの日は終わりにしようと決めていたが、さかんに残念がるママさんのために、急きょママさんの大好きなユーミンの「ダンデライオン」を追加で歌うことにした。男の人がこの曲をギターで歌うなんて、すごい。私も練習しようかな、などと感心して聴いている。ラストはなぜか青空デュエット。(ママさんは歌がとても上手い)
 時計を見ると、ちょうど1時間が過ぎていた。譜面台を押え続けたせいで、足はガチガチにひきつっている。ここらが潮時だった。最後は青空ライブの本来の目標から少し外れたけれど、和気あいあいのよい締めくくりになったことだけは間違いない。

 青空ライブを仮に歌い手と通りすがりの聴き手との「勝負」とするなら、今日は完全に私の負け。こんなときもある。ダメな時はダメと潔く認めよう。誇張して美化した「ウソ」を並べたてず、自分をクールに見つめて、事実をありのままに伝えよう。いいオトナなんだからネ。そうしていかないと、次なる新しい一歩を踏み出せない。

 もしかすると、「負け」の理由は風だけではなかったかもしれない。「妻」という強力な助っ人のいない、いわば片肺飛行だったこと、路上系の新しいライブそのものを積極的に受け入れられないその地の土壌など、いろいろ考えられる。
 いずれにしても人生と同じで、連戦連勝の外れなしのライブなど、あり得ないことだ。「負け」の原因と考えられる要素は、今後の課題としてひとつひとつ裏をとり、つぶすなり改善するなり、それなりの対策を講じたい。ライブはまだまだ続くのだ。




004 旭山パノラマライブ
   「森に響く歌」
/2005.7.9



 珍しく朝早く起きて、市内の養護学校の訪問ライブをこなした日。終わったのが午後1時で、主催者の方が気を遣い、バザーで買った弁当を持たせてくれた。恐縮しつつもありがたくいただき、自宅への帰路、しばらく行ってなかった市内の旭山公園に立ち寄り、そこで妻と弁当を食べることにした。
 土曜の午後だったが、人はあまりいない。車を降りる際、ギターと楽譜も一緒に降ろした。

「もしかして歌うつもり?」
「うん…」

 この日、すでにかなりの数を歌っている。だが、自分の中で何となく歌い足りない部分が残っていた。合計100本をめざしている「青空ライブ」からもしばらく遠ざかっていて、何か大切なものを忘れそうになっている気がした。
 眼下に札幌の街並を望む見晴らしのいい場所にあるこの旭山公園で、いつか歌ってみたいと常々思っていた。それを実行するまたとない機会でもあった。

 弁当とギターを抱え、長い階段を下ったところに広がる芝生の広場に出た。子供たちが小さかった頃によく遊んだ思い出の場所だ。あたりに人影はほとんど見えない。
 数本の松が太い枝を広げる絶好の木陰を見つけた。「ここで食べましょう」そう妻がいい、私もうなずいた。遠い子育ての日を夫婦二人で回想しつつ、食事をとるのも悪くない。
 暑くも寒くもなく、松の枝の間から薄日がさしていて、そこだけ時間が止ったような不思議な空間だった。弁当を食べ終わり、お茶を飲み終えると、ギターを取り出して松の幹の間で歌い出した。妻が黙って私の歌を聴いている。

「加茂の流れに」
「あなただけを」
「りんご撫づれば」
「星雲の群と僕等の会話と一体どっちが本当だっただろう」
「突然さよなら」
「あてもないけど」
「里山景色」(オリジナル)
「コンドルは飛んで行く」(オリジナル訳詞)

 すぐそばに旭山を経由する登山道があり、ハイキング姿の人が時折通りかかる。松の木の下で歌う私を、みな一様に物珍しそうにチラリと見るが、立ち止まる人はいない。
 周囲の芝生でも、遠方でじっと見ている人は数人いたが、同様に干渉することはなかった。私はただの歌好きな一市民として、公園の中に同化していた。

 この日は周囲を一切気にせず、その時の気分に合った曲を気ままに歌った。これこそが「青空ライブ」の真骨頂である。
 楽譜は同じ日に養護施設でもらった磁石付きの大形クリップに挟み、ギターケースを横に立ててケースの止め金具に磁石で固定した。こうすると楽譜スタンドは立てずにすみ、開始も撤収も実に簡単である。

 しばらくすると、もっと見晴らしのよい場所で歌ってみたくなった。シンボルタワーから大噴水にむけて、100段は軽く超えるであろう大きな階段通路がある。年に一度、この階段を椅子席代りに、音楽祭が開かれるその場所だ。妻をうながし、ギターを背負ったまま移動した。
 階段の中程に立つと、深い森の間から札幌の街並が一望出来る。気持ちのよい場所だった。眼下の街並に向かい、楽譜を横の擁壁の上に置いて、再び歌い始めた。

「空も飛べるはず」)
「お嫁においで」
「コンドルは飛んで行く」(オリジナル訳詞)
「東へ西へ」
「傘がない」
「空よ」
「風」

 歌い続けるうち、だんだん声が伸びてくる気がした。練習やリハを含め、この日歌った曲はすでに30を軽く超えている。ほとんど休憩もなかったが、歌うほどに気分が乗ってくる自分を感じた。
 松の木の下よりも通りすがる人の数は断然多く、歩調を緩めて聴いてくれる人も数多い。「東へ西へ」を歌っている最中、眼下にカラスが多数飛び交った。この歌には、「黒いカラスは東へ西へ…」というフレーズがある。歌そのままの光景だ。大いに乗って歌っていると、階段を下から上ってきた若いカップルがぴたりと真横に立ち止まり、そのまま階段に座ってじっと聴いてくれた。歌い終わると、「いいですねぇ〜」と熱烈な拍手。

「リクエストなんかしてもいいですか?」と男性。弱ったな、と思いつつ、「楽譜がないと歌えないんですよ」と正直に応えた。
 すると、サザンの歌なんか出来ませんか、ときた。楽譜もなく、もちろん暗譜もしていない。サザンとはそう世代も離れてなく、聞く分には決して嫌いではないが、自分が歌ってあまりしっくりくる歌い手ではない。これまた正直にお話しし、勘弁していただいた。

 それにしても、通りがかりにリクエストが出るとは驚きだ。しかし、うれしさ半分、戸惑い半分が正直な気持ちだった。
 私はたぶんかっての流しのギタリストのように、3曲いくらでリクエストを貰って歌う歌い手じゃない。その日そのとき自分が歌いたい歌を、その場の気分にあわせて歌うのが一番大好きな、ひどくワガママな歌い手なのだ。

 さすがに少し疲れを感じ始めたので、その後3曲歌って、この日の青空ライブを終えた。拍手こそなかったが、その後も階段の途中で立ち止まって、「懐かしいわネ」と言いつつ、じっと歌を聴いてくれた人が何人かいた。階段横の芝生に腰掛け、茂みの陰になって最後までずっと聴いてくれた人もいた。

「好きな歌を好きなように歌い、足を止めてじっと聴いてくれる見知らぬ人がそばにいる」
 自分の歌を支えるそんな原点を再確認できた、貴重なひとときだった。