街角100ライブ


001 モエレ沼青空ライブ
   「届け! 青空に」
/2005.5.6



 介護施設訪問ライブと並んで、かねてから密かに暖めていた企画、「単独路上ライブ」がとうとう実現した。場所は自宅から車で10分ほどの距離にある「モエレ沼公園」である。名づけて、「モエレ沼青空ライブ」。
 話を進める前に、なぜ「路上ライブ」なのか?という疑問がある。しかも、56歳を目前に控えたいいオジサンが…。
 この問いへの答えは実に単純明解で、私のことを何も知らない通りすがりの人々に、どれだけ自分の歌が受け入れてもらえるか?それに対する強い好奇心、その一点に尽きる。自分にとって好奇心と年齢は全くの無関係で、時にそれは金銭的価値や社会的体面をも凌駕する。あくなき好奇心は、おそらく私を死ぬまで捕らえて離さないだろう。

「何かのライブをやる時は応援に駆けつけますので、ぜひお知らせください」
 そんな優しき声を、実は複数の方からかけられている。しかし、初めて路上ライブを実施するにあたり、聴き手として知人を招いたり、何らかの告知をサイト等でしたりする気はまるでなかった。
 今回のライブは、歌好きの私が通りすがりの見知らぬ人々に仕掛ける、ある種の「勝負」である。家族以外の応援なしで、あくまで独りでやり遂げたかった。

 まず、やる場所を決めなくてはならない。「単独路上ライブ」なのだから、本来は繁華街の路上でやるべきなのかもしれない。だが、その種の場所は、どことなくプロを目指す若者のための場所であるような気がした。人生の終盤を迎えた男が、若者を押し退けてはいけない。もっと私の年齢に相応しい等身大の場所はないだろうか…。
 去年の秋あたりからずっと具体的な場所の検討をしていたが、そんな折、たまたま共著で本を出す企画が持ち上がり、取材でモエレ沼公園を幾度か訪れた。
 モエレ沼公園は世界的彫刻家、イサム・ノグチが北海道に記した最初で最大の作品であり、長年にわたる創作活動の集大成とも言えるものだ。公園全体がひとつの彫刻になっている。訪れるたび、その雄大なスケールと考え抜かれた仕掛けに魅せられ、創造力がかきたてられた。やがて、(最初の路上ライブをやるなら、ここしかない)と強く思うようになった。
 趣旨は同じだが、場所は厳密には「路上」とは言えない。そこでこのライブを自ら「青空ライブ」と名づけた。

 さて、こうして場所は決まった。次なる検討事項はいつやるかである。モエレ沼公園は終年オープンしている。やる気になれば、冬でもやれそうだ。事実、真冬の2月に公園内にある室内施設、「ガラスのピラミッド」を訪れたとき、ちょっとだけアカペラで歌ったことがある。しかし、冬の歌う場所は室内施設に限られた。ここで許可なく歌えば、ツマミ出される心配さえある。純粋な「青空ライブ」からも限りなく遠ざかる。
 前年5月に公園を訪れたとき、園内に3000本の桜が咲き乱れ、実に美しかった。気候がよくなるこの時期が、やはり最初の青空ライブに最も相応しいと考えた。
 ライブの実施は5月上旬の桜の開花時期に絞り、具体的な日取りはその日の天候や、マネージャー役である妻の仕事の都合に合わせることにする。この辺の融通がいくらでもきくのが、独りでやる最大の利点だ。

 場所と時期が決まったので、それにむけての選曲を3月末あたりから少しずつ始めた。聴いてくれる人がいるかどうかさえ皆目分からないので、季節と場所、そして戸外に似合った曲、自分の感覚としてそこで歌いたい曲を中心に、徐々に候補を絞りこんだ。
 たまたまギターのサドルというパーツの具合が悪く、部品を買ってきて自分で調整し直したら、ギターの音が格段に大きくなった。外なのでギターの音が大きいことは必須条件のひとつである。まさに青空ライブ向きの音と言えた。屋外を意識し、得意のストローク奏法でガンガン歌える曲を中心にプログラムを構成する。

 候補曲は合計30曲にもなった。まともに歌うと、2時間近くはかかりそうだったが、まるで検討もつかない要素ばかりの青空ライブである。仮に無駄になったとしても、多めの曲を準備しようと考えた。
 この年に限って春の訪れが遅く、待っても待っても一向に桜の開花宣言はない。出来れば連休中で妻の休暇の日に、と考えていたので、週間天気予報なども参考にした結果、桜の開花の如何に関わらず、連休の谷間である5月6日に実施することに決めた。

 当日がやってきた。早めに起きてまずは発声練習をする。外で歌った経験はほとんどなかったが、青空の下でPA(音響装置)なしに歌うのだから、中途半端な声では通用しないのは推測がつく。幸い、この日の声はよく伸び、何とかいけそうな感じだった。
 平日なので人によっては学校や勤めがある。公園の人手が気になったが、仮に人がいなければ、歌う場所の下見とリハーサルをやる気分で、ともかく数曲歌ってこようと腹をくくる。

 2時過ぎ、妻に急かされて車に乗り込む。PAが不要なので、機材はギターと譜面台くらいのものだ。楽譜とデジカメを妻に託す。
 公園に着くと空は穏やかに晴れ上がっていて、気温も15度前後、人出はまずまずだった。この日のために自らミシンを踏んで用意したエンジ色のバンダナを、きりりと額に締める。すると不思議なもので、「サア、やるぞ」と気分が盛上がってきた。
 さて、どこで歌おうかとギターをかついでまずは場所探し。公園の東にあるサクラの森を見やると、案の定、まだツボミは固く閉じたままだ。「満開の桜の下で歌う」という企画は次回の楽しみとして残すことにし、4つの歩道が交差する最も人通りの多いモエレ山の麓の芝生をステージにすることに決めた。

 手早く譜面台を組み、さっさと歌い出す。時刻は14時30分、まず最初に演奏中の写真を写してもらう。今日のマネージャー役である妻の、大事な仕事だ。周囲の芝生でくつろいでいた人々が、何事かと注目し始めた。この種のライブは辺りの目を気にしだすとキリがないので、あくまで自分のペースで歌い続ける。
 最初の30分のプログラムは以下の通り。


「さくら」(直太朗)
「カントリー・ロード」
「白い冬」
「東へ西へ」
「イムジン河」
「北国の春」
「翼をください」


 1〜2曲目は2ヶ月前に実施した「春の介護施設訪問ライブ」と全く同じ選曲である。「春」「道」というイメージが今回の企画に合っていたし、前回のライブでの受けが良かったことも大いに影響している。
 最初の「さくら」を歌っているとき、近くの芝生で犬と戯れていた30代前後の女性3人が早くも近づいてきて、歌を聴いてくれた。終わるといきなりの拍手。思わず、「ありがとうございます」と最敬礼してしまう。たとえ通りすがりの方であっても、聴き手とのコミュニケーションは欠かせない。
 実は始める前には、(20曲歌って1人くらい聴いてくれたらいいかな…)と思っていた。「まずは30分歌ってみようよ」と、歌う前に妻から励まされてもいた。予想外の早い反応に自分でもちょっと当惑したが、やはり嬉しい。この1曲でこの日の目標はすでに達成、ということになる。

 調子に乗って「カントリー・ロード」を続けて歌い始めたら、ここで予想外のアクシデントが起きた。強い風にあおられて譜面台が倒れそうになり、楽譜のページもめくれてしまうのだ。これでは歌えない。ステージに選んだ場所は、周囲に何のしゃへい物もない360度見通しの効く平原のような場所だ。どこからでも歌を聴ける反面、風にはめっぽう弱い。
 急きょ歌を中止し、譜面台を低く下げ、予備のカポを楽譜の止め金具代りにして急場を凌ぐ。何とか風に飛ばされず、歌い続けることが出来た。

 さい先は良かったが、芝生の前の道を通る人々は、なかなか足を止めてくれない。遠くから興味を示し、じっと見ている人はいるのだが、近づいて足を止め、聴いてくれる人がいないのだ。しかし、私が歌っている間も周りをさり気なく見回していた妻が、「遠くでちゃんと聴いている人がいるわ」と曲間にささやく。
 歌いながら何となくそんな気配を私も感じていたので、あまり周囲の反応には気をとらわれず、自分のペースを守って淡々と歌い続けた。
 3時になったところで水を一口飲み、妻の写したデジカメの映り具合をチェック。アップが少ないので、追加撮影を依頼する。

 途中、公園の管理職員らしき人が現れ、それとなく様子をうかがっている気配を感じた。作業服らしき上下にネクタイを絞めているので、雰囲気で公園利用者ではないことがすぐに分かる。
 おそらく譜面台の近くに、お金を投げ込むための蓋を開けたギターケース、あるいは空き缶の類いが物欲しげに置かれていないかを確認しているに違いなかった。当然だが、ほとんどの公園では物乞い、あるいは許可のない物品販売に類する行為は禁じられている。
 私は単純に歌を楽しみに来ているだけなので、空き缶の類いはもちろん置いてないし、ケースは固く蓋を閉じてはるか後ろに片づけてある。しかし、いざ公共の場である新しい公園で歌うとなると、いろいろやっかいな問題がからんでくるのだ。

 3時を回るとあたりの雰囲気にも慣れ、気分も次第に乗ってきた。フォークで大事なのが何といってもこの歌うときの「気分」である。この「気分」が乗ると乗らないのとでは、たとえ同じ歌い手による同じ曲でも、仕上がりに雲泥の差が生じる。そしてこの「気分」こそ、本人を含めて誰もが計算出来ないやっかいなシロモノなのだ。

 3時から3時30分までのプログラムは以下の通りである。


「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「おおスザンナ」
「突然さよなら」
「落陽」
「展開」
「りんご撫づれば」
「春のからっ風」


 いわゆるMC(曲間の語り)が皆無であり、休憩らしい休憩もないので、どんどん曲ははかどる。1曲平均4分といったところか。熱を入れて歌っている本人は少しも寒さを感じないが、風に吹きさらされて見守ってくれている妻は、かなり寒そうだ。

 歌ってみて初めて気づいたが、外で歌うと残響が全くないので、声が周囲の大気に吸い込まれるような錯覚に陥る。最初はこれがちょっと頼りなく感じ、不安になって妻に「ちゃんと聴こえてる?」と確かめたりもした。
 真横や後ろからだと音量は落ちるが、前方左右45度以内だと、とてもよく響いていると妻は言う。室内でいうと、モニタースピーカーなしでライブをやっている感じだろうか。
 以降、自分の声量を信じ、気にせずに思いきり歌った。すると、歌によっては、実に声が気持ちよく空に抜けてゆくことに気づいた。まるで自分の声が天まで届くようなイメージである。あまり楽譜に目をやらず、胸を張って顔を上げて歌うとその傾向は一層顕著になった。こんな気分は、室内ではまず味わえない。実に新鮮な体験だった。

「突然さよなら」、「りんご撫づれば」、オリジナルの「展開」は、この「いい気分」で歌えた代表曲である。「突然さよなら」では妻が、「いい曲ね、外だとまるで違ったように聞こえる」と涙ぐんでいる。
 まだ確信はないが、自分にとっての「外向きの曲」というのがあるような気がする。今回の選曲はおそらく大きく的を外してはいないが、機会を重ねればもっとはっきりしてくるだろう。

 最初はどうなるやらと思って歌い始めたが、ふと気づくと時計は15時30分を回っている。北の春の陽射しはまだ頼りなく、気温も次第に下がってきた。まだいくらでも歌えそうな感じがしたが、そろそろライブの終い方を考えなくてはならなかった。歌い残した曲、ぜひとも歌っておきたい曲を見繕い、ラストステージとした。
 最後のプログラムは以下の通り。


「バンダナを巻く」(オリジナル)
「大空と大地の中で」
「花〜すべての人の心に花を」
「風」
「生活の柄」
 〜アンコール
「さくら」(直太朗)


 ラスト20分では大きな反響があった。まずオリジナルの「バンダナを巻く」で、通りすがりの40代前後の男女がぴたりと私の前で立ち止まり、熱心に歌に聞き入ってくれた。実はこの曲は、この日のライブのために作った新曲である。もちろん人前で披露するのはこの日が初めてだった。
 自分がモエレ沼公園で歌っているイメージをそのまま歌にしたので、気分は乗った。歌いながら反応をうかがっていると、何か二人でささやき合っているが、私の耳には届かない。歌い終わると、大きな拍手を二人はくれた。「どうもありがとう」と、すかさずお礼をした。
 二人のそばにいた妻にあとで確かめると、「きれいな声だね」「ええ、とてもいい声」と二人は話していたそうである。嬉しくてありがたかった。

 この曲が終わったとき、後ろからも小さな拍手が聞こえた気がした。数曲前からその気配はずっと感じていたが、あえて振向かないでいた。ところが次の「大空と大地の中で」を、これまた青空に向かって気分よく歌い終えると、今度ははっきり聞き取れる盛大な拍手がきた。
 振り返ると、私と同世代の中年女性が少し離れた場所に座っている。ずっと私の歌を聴いていてくれたのだった。その女性にも改めて「ありがとうございます」と頭を下げた。
 結局、その女性は最後の歌である「生活の柄」が終わるまで、ずっと座って拍手をくれた。もちろん見ず知らずの方だが、一期一会の深い心のつながりを感じた。

 もうひとつ特筆すべきことがある。「大空と大地の中で」を歌っているとき、5、6歳の男の子がそばにきて私をじっと見つめ、歌が終わるまで聴いていた。歌いながらその子の眼を見つめ返し、微笑んであげた。手にフリスビーなど持ち、いかにもそれで遊んでいる素振りをしていたが、私の歌に関心があるのは明らかだった。
 幾度かの介護施設訪問で、高齢者に歌やギターが何らかの癒し効果があるのは、すでに分かっている。同様に小さな子供にとっても、歌やギターは豊かな心の糧となるような気がしてならない。このことはいずれ確かめる機会がくると思う。

 アンコールの「さくら」は観客ではなく、「もう一度ここで聴きたい」という妻からのリクエストに応えたものだ。このとき、周囲には誰も人がいなかった。無理を聞いてつき合ってくれた妻への感謝の気持ちこめて歌った。実に自分に合った曲だと思う。いいフィナーレだった。

 この日、「拍手」という形ではっきり意思表示し、聴いてくださった見知らぬ方々は、都合6人である。(「大空と大地の中で」の男の子を含めると7人)
 合計20曲、延べ80分の演奏時間の中で、1曲の演奏中におよそ2〜3人の人が目の前を通り過ぎたと思う。延べにすると50〜60人ほどだろうか。単純計算すると、通りすがりの人のおよそ1割が僕の歌に耳を傾けてくれたことになる。この数値は当初の予想をはるかに超えていた。帰りの車の中で妻も言った。

「まさかあんなに多くの人が聴いてくれるとは思ってなかった」

 歌った本人も全く同じ感覚なのだが、もっと暖かくなってもっと多くの人々が公園に溢れだすと、もっと多くの人が聴いてくれそうな予感はする。
 何より、「青空に向かって伸びやかに歌う」という得難い快感を知ってしまった僕は、この「青空ライブ」が当分病みつきになりそうな気がしてならないのだ。




002 モエレ沼青空ライブ
   「桜満開」
/2005.5.21



 初めての野外ライブ、「青空ライブ」を仕掛けてから2週間が過ぎた。この間、多くの人から、「青春を感じた」「レポを読んでいて身体が熱くなった」「夫婦の共同作業に感動」等々、好意的な反響があった。勇気をふるって試みた無謀とも思える単独野外ライブは、歌とギターを趣味とする同志に、ささやかな感動をもたらしたのかもしれない。
 実施後、僕の中でも大きな変化が生まれた。見ず知らずの通りすがりの人々を自分の歌とギター1本だけで引きつけ、立ち止まらせ、時には拍手までいただく。その筋書きのないドラマのような行為に、どうにも捨て難い麻薬のような魅力を感じてしまったのだ。

 やがてこの「青空ライブ」を、とりあえず100本やってみようと思い立った。そして「青空ライブ」のコーナーを「訪問出張ライブ」のコーナーから独立させ、その軌跡を記録として残そうと…。
 そう思い立つと、すぐに次の青空ライブの具体的な検討に入った。僕の場合、思い立つことと実行に移すことは、ほとんど同時進行だ。考えに考えたあげくに結局は走らないのではなく、まずは走ってみて考えるということ。人生は短いよ。

 創作者としての感性を刺激してくれる絶好のライブフィールドが、わずか車で数分の場所にある。この地の利を活かさない手はない。青空ライブのメインステージは、モエレ沼公園以外に考えられなかった。
 他にもいくつかの候補はあったが、まずはモエレ沼公園の桜が満開になる時期にねらいを定め、桜の森の中で次なる青空ライブを仕掛けようと考えた。

 この年は厳しい冬の影響で、桜の開花は遅れに遅れた。青空ライブの場合、「週末(あるいは祝日)」「天気がよい」「仕事が混んでいない」という最低条件がまずあり、これに「妻がマネージャー役をやれる」という付加条件が加わる。さらに、年に数日しかない「桜満開」という条件を重ねると、実施はさらに厳しいものになる。
 ネットで毎日週間天気予報を確認し、同時にモエレ沼公園の桜開花予報をチェック。モエレ沼公園は札幌の北東の外れに位置するため、桜の開花は平年でもかなり遅い。検討を重ねた結果、5/21(土)に候補を絞り込んだ。翌日には別の介護施設訪問ライブがすでに決まっている。仮にこの日が何らかの事情で実施不可能だった場合、「桜満開ライブ」は、翌年まであきらめようと腹を決めた。

 当日、天の恵みか、ずっとぐずついていた空は見事に晴れわたり、気温はぐんぐん上がって昼過ぎには汗ばむほどの22度。桜は満開になり、風もない。青空ライブにはこれ以上ない条件がそろった。
 連日の仕事の疲れからか、声にいつもの伸びが欠けるのが気になり、入念に発声練習を重ねる。通りすがりの人が相手だからこそなおさら、自分を最高の状態にもっていきたかった。
 午後2時過ぎに仕事から戻った妻と共に、さっそく車で出かける。今回は仕事の予定が詰まっているので、長くても1時間、14〜15曲でやめる予定だった。

 新しく出来た西駐車場に入ると車はいっぱいで、空いた場所を見つけるのに一苦労する。通路から見上げる小高いモエレ山には、溢れんばかりの人がいる。前回の数十倍の人出だろうか?もしかするとすごい青空ライブになるかも…、などと妻と戯れ言を交しつつ、15分かけて公園の東端にある「サクラの森」に着く。ここにもたくさんの人がいる。
 肝心の桜は前日も高温だったせいか、すでに散り始めている木さえある。しかし、3000本もあるという桜の森の中ではあちこちで人々がお弁当を広げ、ようやくやって来た遅い北の春をそれぞれ楽しんでいた。

(さて、いったいどこでライブをやればいいんだ?)

 僕と妻はあでやかな桜の花をゆっくり楽しむ余裕もなく、あちこちさまよいつつ、ステージに相応しい場所をひたすら探す。前回めぼしをつけていた丸いベンチに囲まれた場所は、人が多すぎて通行の邪魔になりそうだったので、諦めざるを得ない。
 数分たってようやく沼の土手を背にした1本の桜の木を見つける。通路からは遠く、シートを広げてくつろいでいる多くの人々からも少し離れていて、やるには絶好の場所に思えた。

「よし、ここでやるぞ」と妻に宣言、さっさと譜面台を組み、ギターを取り出した。譜面台の裏に、作り立ての「青空100ライブ」の小さなボードを吊るす。いつものようにバンダナをきりりと額に絞めると、気分はたちまちライブモードに変貌した。
「ちょっと歌とギターのライブ演奏で、お騒がせします」などと、妻が周囲の人に如才なく声をかけて回っている。僕は必要ないと思っていたが、マネージャー役を心良く引き受けてくれている彼女の判断に、ここは任せた。

「あら、素敵ですね、どんどんやってください」
 桜の浮かれ気分も手伝ってか、周囲の人々の反応は好意的。「ウルサイからやめてくれ」と拒む声は幸いにひとつもない。舞台は整った。妻に時間を尋ねると、3時20分。4時終了をめどにライブをスタートした。
 この日のプログラムはおおむね前回の青空ライブに沿ったもので、以下の通り。


「さくら」(直太朗)
「北国の春」
「カントリー・ロード」
「里山景色」(オリジナル)
「突然さよなら」
「大空と大地の中で」
「バンダナを巻く」(オリジナル)
「花〜すべての人の心に花を」
「風」
「翼をください」
 〜セルフ・アンコール
「さくら」(直太朗)


 楽譜はもっと用意してあったが、始める時点で決めていたのは、「さくら」を最初と最後に歌うことと、「バンダナを巻く」をどこかで歌うことくらい。何を歌い、何を飛ばすかはその時の状況と気分で変えようと思った。
 最初の「さくら」で、まだ最後の伴奏が終わりきらないうちから、辺りの人から「ザ〜」と風のような拍手がきた。人数ははっきりしないが、10人を越えていたのは確実だ。近くでシートを広げ、座っていた数組のグループのほぼ全員が拍手をくれたと思う。多少の宴会気分を割引いても、前回に続いてこの一発でもう帰ってもいいと、結構本気で思った。
(もちろん、そのまま歌い続けたが…)

 途中、子供がたくさん集まってきた。生のギター演奏と歌が物珍しいのだろう。そこで急きょ予定になかった「カントリー・ロード」を入れた。アニメの主題歌だから、もしかして知っているのではないか?と思った。
 就学前の3人の女の子がすぐ近くまで来て、じっと僕を見て歌を聴いている。僕は一人一人に目で順に語りかけながら歌ってあげた。すると互いに何かささやきあっている。あとで妻に聞くと、「この歌、知っている。トトロのアニメと一緒に見た映画の歌だよ」と話していたという。
 前回の青空ライブでも、じっと耳を傾けてくれた小さな子がいた。ちゃんと歌えば、子供でもちゃんと歌は聴いてくれる。オトナも子供も年寄りもない。

 ステージに選んだ場所はメイン通路から少し奥まった芝生の上だ。酔客はもちろん、宴会集団の類いは皆無。通りすがりの人というより、カップルが桜の森を歩きながら探索したり、そこに腰を落ち着けてゆっくり花見を楽しもう、という家族連れが中心である。前回の通り端でやったシチュエーションとは、聴き手の条件が微妙に異なっていた。
 しかし、聴き手の反応はここでも時に冷酷で、かつ的確だった。曲によって熱烈な拍手が湧いたり、反対に終わっても全く拍手なしの無反応だったりする。いわゆる「義理の拍手」の類いが全くないのだった。ここが室内で繰り広げられるライブとは決定的に違っているところで、おそらく聴き手の基準は、「聴いていてキブンが良かったか悪かったか」あるいは、「心の琴線に響いたかどうか」、単純明解なそれだけなのだ。
 歌い手としては、ある意味でとても怖い。しかし、そこが僕にとっては逆にとてつもなく魅力的なのだ。分かってくれるかな?

 拍手がくるこない、通り過ぎる人が足を止める、止めないの基準は、聞き覚えのあるないではなく、その歌が場の雰囲気に合っているかいないか?に大きなカギがあるように思う。

 前回も少しふれたが、やはり「外向き」「野外ライブむき」の曲があるように感じる。今回の選曲では、「さくら」「カントリー・ロード」「大空と大地の中で」「バンダナを巻く」「風」「翼をください」に大きな反響があった。
 誰も一度も聴いたことがないはずのオリジナル曲、「バンダナを巻く」で、今回も数人の若い男女が足を止めてじっと聴いてくれた。モエレ沼の青空ライブをイメージして作った曲だから、どこか人を引きつけるのだろう。あとで妻も「あの曲は不思議な曲ね」と、同じ主旨のことを語っていた。

 この日は暑かった。一曲毎に気合いを入れて歌っている僕はなおさらだ。途中で水を補給しながら歌い続けたが、連日の朝までの仕事のせいか、7〜8曲歌うと、いつになく疲れを感じた。周囲の反応は良かったが、野外ライブとしての出来を前回と比べると、80%くらいだと自己採点した。
 そばでシートを広げて見守っている妻も敏感にそれを察知したようで、「声は前回のほうが伸びていた」と鋭く指摘する。目的もほぼ達成したので、「花」を歌い終えたあと、「次でラストにしょうかな…」と妻につぶやくと、「あら、私はもっと聴きたい気分よ」などとこちらの意図とはまるで違うことを珍しく言う。それではと楽譜ファイルを繰り、「風」と「翼をください」を続けて歌った。

「風」を歌い終えると、それまでとは全然違う方向からいきなり拍手が飛んできた。なんと、うしろからである。沼の土手ぞいの道を背に歌っていたので、その道をゆく人が足を止めてずっと聴いていたと妻があとで教えてくれた。
「翼をください」では、若いお母さんが子供を連れてすぐ目の前までやって来た。小学校で習ったのかな、歌ったのかな、と思った。こういう有り難い人には、歌の合間に目をみて語りかけながら歌う。束の間のコミュニケーションだ。終わるともちろん暖かい拍手。
 ラストの再度の「さくら」では、お孫さんらしき子供を連れた女性が目の前で聴いてくれた。曲毎に聴き手がクルクルめまぐるしく変わる。聴き手が同じ場所に留まらず、絶えず周りを動いているのだ。僕はそんな流れの中で淡々と歌い続けている。ひとときの人生をそこに感じた。

 次でやめよう、と心に決めたとき、「最後はやっぱりサクラでしょう」と、妻にあらかじめ声をかけておいた。周囲の人に、それとなくライブの終わりを告げたのである。すると、何と二人の方が遠くから僕の写真を撮り始めた。余程の変わり者と思われたのだろう。
「今日、公園の桜の下で、妙な夫婦がライブをやっていた」と家族に教えるつもりなのだろうか。
 子育てを終えた夫婦が温泉めぐりをしたり、海外旅行をしたりする話はよく耳にする。しかし、中年夫婦が青空ライブ行脚に精を出す例は、あまりないかもしれない。しかし、それこそがいかにも僕たちらしい、ライフスタイルのひとつなのだ。

「さくら」を終えると、「お騒がせしました」と、僕は誰に言うでもなく宣言し、素早く道具を片づけ始めた。いわゆる「撤収」である。そこへ「アンコール!」という声。思わず妻と顔を見合わせた。ウソでしょう…。
 見回すと、ラストの「さくら」で拍手をくれたお孫さん連れの中年女性が、お孫さんをそそのかしている。「すみません、もう用意がありませんので…」さすがの僕も、そう言って頭を下げ、勘弁していただいた。一期一会の青空ライブでの思いがけないアンコールは涙が出るほど嬉しいが、この日は本当に疲れていた。

 森の中を横切って出口に向かう途中、見知らぬグループの方々が、微笑みながら通り過ぎる僕たちに盛んに拍手をくれる。何事か?と、またまた妻と顔を見合わせた。そこはライブをやった場所からはかなり離れていた。しかし、ギターケースを抱えた僕に対する、ライブへの賛辞であることは確実だった。
「どうもありがとうございます」
 僕と妻はなんだか申し訳ないような気持ちで頭を下げ、足早にそこを通り過ぎた。

 この日、いったい何人の方々から拍手をいただいただろう。「青空100ライブ」の看板、赤いバンダナのアイテムが、周囲に「僕は本気で歌います」という、暗黙の宣言になっていて、それが拍手を助長したのかもしれない。しかし、たぶんそれだけではない。
 何の義理もない、ただの物好きな歌い手を相手に、むやみに拍手など誰もくれない。僕の歌とプログラムそのものに、何らかの力があったことだけは確かだ。この日、自分の歌や構成に、少しばかりの自信のようなものが芽生えた。

 サクラの森を抜けると、広場の片隅にソフトクリームの屋台が出ている。
「喉が乾いたから、食べて帰りましょうよ」と妻が言う。長い行列にうんざりしたが、私が並ぶからという言葉に甘え、近くの芝生に腰を降ろして妻を待った。
 見上げると、森の中と違って空は気持ちよく開けている。気温はまだまだ高かった。流れる白い雲をながめるうち、急にまた歌の虫が騒いだ。ほどなくして戻った妻とソフトクリームを食べると、さらに元気が出た。
「ここでまた歌おうかな…」

 気が済むまで歌えば?晩ゴハンの用意はしてきたから…、と妻も反対しない。バンダナも譜面台も看板も出さず、何気なくケースからギターを取り出し、芝生に座ったままで何気なく歌い始めた。
 実はこの日サクラの森で歌ってみて、感じたことがあった。屋根も壁もない桜の木の下で歌ったのだから、青空ライブであることは間違いない。多くの拍手ももらった。だが、2週間前とは何かが違う。森の中ではそれが何であるのか分からなかったが、森を出て広い芝生に座り、広い空を見上げてみて気づいた。

 森の中では見上げても枝と葉にさえぎられ、空の見通しはとても悪い。しかも聴き手の半数はその場に留まり、ずっと座って僕の歌を聴いてくれていた。そこは外ではあるけれど、室内ライブにかなり近い状況でもあったのだ。
 前回に比べ、「大空に向かって気持ちよく声が抜ける」という感覚に乏しかった理由は、おそらくそれだ。通りすがりの人々がふと足を止めるという、独特の危うい感覚がやや乏しかった理由も…。だからこの日、2週間前と同じ条件に自分を置き、それが正しいのかどうか、急に確かめてみたくなったのである。

 座っていた芝生は、通路のすぐそばだった。森の中のような周囲に対する「ライブ宣言」は何もないから、ただの変な歌好きがギターをつまびいているだけの状況である。だが、歌い始めると次第に気持ちが乗り、すぐに2週間前の心理状態が蘇った。最初ささやくようだった声は、いつしかフルパワーに全開した。
 人々は目の前をただ通りすぎるだけなので、選曲も自分の思うままでいい。この日歌いたくてもとうとう歌えなかった曲を、ここで3曲続けて歌った。森の中ではやはり周囲を意識し、知らず知らず受けの良さそうな曲を選んでいたのかもしれない。


「星雲の群と僕等の会話と一体どっちが本当だっただろう」
「りんご撫づれば」
「コンドルは飛んで行く」(オリジナル訳詞)


「りんご撫づれば」以外は初めて人前で歌う曲である。だが、いずれも外向きの曲だと思った。うまく言い表せないが、自分が宇宙の一部であることを実感させる曲だ。
 途中、犬を連れた女性が足を止め、じっと僕の歌を聴いている。何気なく歌っているように見えても、アンテナは常に周囲に張り巡らせているので、誰が歌を聴いてくれているかはすぐに気づく。

 数日前に自分で訳詞をつけたばかりの「コンドルは飛んで行く」を歌っているとき、上空を飛行機がゆっくりと通り過ぎた。見上げながら歌うと、自分も一緒に空を飛んでいるような錯覚に陥った。いいキブンだった。やはり自分の感覚に狂いはなかった。
 この曲の途中、遠くで若い男女が立ち止まり、こちらを見て終わるまで歌を聴いていた。舞台を整えていないので終わっても拍手はさすがにないが、どんな場であっても魂をこめて歌えば、必ず耳を傾けてくれる人はいる。

 すべてが終わって帰る道、夕暮れの迫る高い空を、気持ちよさそうにトンビが旋回していた。まるで僕の歌みたいだった。いつか「コンドルは飛んで行く」を軸にして、青空ライブのプログラムを構成してみようと思う。