及川恒平時計台コンサートレポート /2004.10.31
コンサート当日である。このプロジェクトを立ち上げたとき、(6ヶ月はきっとあっという間だろうな…)という漠然とした予感はあったが、実際その予感通りにその日はやってきた。
日曜日だが、あいにくこの日私は札幌郊外で地鎮祭の立会いがあり、スケジュールを際どくやり繰りして、何とか午後4時のスタッフ集合時間に滑り込む。受付や会場整理係などの各担当者と細かい詰めの作業をしつつ、サンドイッチで腹ごしらえ。恒平さんを始めとする他のメンバーも、思い思いのスタイルで静かに本番の時を待った。
午後5時になって全員待ちかねたように時計台へと向かう。ホールは展示場も兼ねており、観光客がまだ残っているとかで、窓口でしばし待たされる。5時15分すぎにようやく入場を許されるが、折悪しくその頃になって、細い雨が空からポツポツと降ってきた。
音響設備のセットと調整は中ちゃんとtakaさんに任せ、私は1階受付の設営と備品類のセット、受付スタッフのチケットさばき模擬練習にしばし専念した。雨は止む気配がない。傘をさすほどではないが、ささないと濡れてしまう、そんな中途半端な降りである。念のため、用意しておいた傘袋を受付に準備する。
同時に、2階の階段昇り口付近にCD販売の小コーナーを設置。ところがこのときになって、CD販売のスタッフが手薄であることに気づいた。当初は司会担当のあずきさんに兼任してもらう予定だったが、コンサート開始直前の15分は、会場案内などのアナウンスをする関係で、どうしても席を離れてしまうというのだ。
ぎりぎりのスタッフでやり繰りしていた思わぬツケに一瞬困ったが、スタッフのT.Aさんの友人が、事前に援助を申し出ていてくれたことをふと思い出した。急きょT.Aさんにお願いすると、開演前の15分なら手伝って下さるでしょうとの心良い返事。ほっと胸をなで下ろす。ばたばたしているうち、あっと言う間に時計は6時を回っていた。
ここで私とtakaさん、あずきさんの3人には、進行とは別の大事な役目があった。実はプログラムの中程で歌う予定の「夏・二人で」を、恒平さんとジャングルジムとで共演しましようという重要な提案が、2日前に恒平さんからあったのだ。
リハーサルでの音出しのお手伝いならいざ知らず、本番での共演などとんでもないと、私は固辞したが、恒平さんの決意は揺るがない。細かい経緯は省くが、紆余曲折のすえ、「あくまで恒平さん中心で」という条件つきで、結局お受けすることにした。その最終リハーサルを、開演前の短い時間の中でやる必要があった。
4人での音合わせは前日までに延べ数時間にわたって済ませていたが、各自の座る位置やマイクの音量調整、出だしの合図など、会場でなければ出来ない細かい微調整をここでする。なんとかやれそうな感じになったとき、開場の6時半が残り数分に迫ってた。
再び階下の受付に走る。不意の雨というアクシデントのこともあり、どうしても客のさばきが気になってならない。玄関に行くと、すでにかなりの方々が集まっていて、中には傘の用意がなくて濡れている方もいる。開場時間はまだ間があったが、急きょ玄関ホールまで客を誘導することをその場で決断。いっそ早めに入場していただこうかと2階会場に声をかけると、「もうちょっと待って!」との応答。じりじりしながら時を待つ。
6時半きっかりに入場開始。ハガキやメールで激励の言葉をかけてくださった方々を始め、快くチケットを購入してくださった顔見知りの方が、続々と入場してくる。受付スタッフは3人いたが、とても手が足りない。最初の5分だけは私も玄関の外に出て、傘袋の配付や客の誘導を手伝った。
開場して10分も経つと、人波もようやく落ち着く。再び2階に上り、控え室に一人でいる恒平さんのお相手をしばしする。お手伝いすべき用事もさほどなく、恒平さんの着替えが始まったのを潮に、またまた受付やCD販売コーナーを回って細かい確認をする。客の入りもほぼ予定通り順調で、この時点で大きな手違いはなく、ようやく一息ついた。
開演10分前、司会担当のあずきさんがスタンバイし、開演前や演奏中の細かい案内を始めた。あずきさんにはPTA関連の役職経験があって、話ぶりは滑らかである。
開演5分前、なぜか恒平さんが控室からギターを抱えていきなり会場に現れ、すたすたステージに上ってしまう。不意をくらって一瞬慌てた様子のあずきさんだったが、アドリブでうまくさばく。さすがだ。そのままマイクを恒平さんに預け、開演前のわずかな時間を、恒平さんのお話しで過ごすことになった。
MC(演奏の間のお話し)の苦手らしい恒平さんの声は、会場の最後尾にいた私には、やや聞き取りにくい。しかし、どうやら時計台の7時の鐘をMCの中に取り入れ、それを合図にコンサートのスタートを切ろうと考えているようだった。
ジャスト7時、時計台の鐘がカンコンと鳴り出す。この鐘の音のキーはC#かDあたりだ。すると恒平さんは、あらかじめ配っていたプログラムの順序をあえてずらし、鐘と同じDのキーで始まる「雨が空から降れば」の歌を、静かに歌い始めた。
折しも外では、細い雨が煙るように街を包んでいて、その情景が会場にある縦長の格子窓から、ぼんやりと見えている。私も観客もその自然が作り出すこれ以上ない憎い演出のなか、恒平さんの歌声とその世界に、するすると引込まれていった。
当日のプログラムは、以下の通りである。(演奏順)
「雨が空から降れば」 作詞:別役 実、作曲:小室 等
「私の家」 作詞:及川恒平、作曲:原 茂
「冬のロボット」 作詞/作曲:及川恒平
「長い歌」 作詞:及川恒平、作曲:原 茂
「ガラスの言葉」 作詞:及川恒平、作曲:吉田拓郎
「なつのあさ」 作詞/作曲:及川恒平
「さみだれ川」 作詞/作曲:及川恒平
「優しく逃げた」 作詞:及川恒平、作曲:国吉良一
「夏・二人で」 作詞/作曲:及川恒平
「星の肌」 作詞/作曲:及川恒平
「冬の池」 作詞:萩原健次郎、作曲:及川恒平
「岬の部屋」 作詞/作曲:及川恒平
「面影橋から」 作詞:田中信彦・及川恒平、作曲:及川恒平
「引き潮」 作詞/作曲:及川恒平
〜アンコール
「冬の音」 作詞/作曲:及川恒平
北海道での初のソロコンサートということもあり、前半は懐かしい歌が中心にプログラムが構成されていた。恒平さんのギターテクニックは想像以上の素晴らしさだった。フラットピックによるストローク奏法ではなく、親指にはめる小さなサムピックだけを使った、生の指によるアルペジオ奏法が中心だった。
このアルペジオ奏法による「味つけ」の入れ方が実に巧みで、ソロであることを感じさせない。楽器は1台のはずなのに、まるで2台のギターがそこにあるかのような錯覚に陥る。時計台ホールという静ひつな雰囲気の中に、その落ち着いたギターの音色と恒平さんの澄んだ歌声とが、ぴたっとはまっていた。
「長い歌」は、恒平さんのソロで聞くのは初めてだったが、早いアルペジオが曲調によく合っていた。「私の家」と並んで、六文銭の生み出した名作のひとつだろう。
「なつのあさ」はCDで知っていたが、CDとは違う早いテンポのボサノバ調で歌ってくれた。まるで別の曲のように聞こえたが、個人的にはこちらのほうが断然好きだ。
「さみだれ川」になって、突然恒平さんがマイクの前から離れ、ステージの一番前まで進んだ。(ノーマイクで歌うんだ…)すぐにそう感じた。事前のスタッフ打合せで、「1曲ノーマイクで歌うかもしれない」と、予告されてはいたが、どの曲をいつ歌うかは、誰も知らされていない。それがこの曲だった。
2日前、階段ホールに舞い降りてきたあの美声の記憶が、くっきりと蘇ってきた。「音が天空でくるくる回る」(恒平さん談)という、時計台ホールならではの演出だった。
会場の時間的制約もあり、コンサートに休憩はなかったが、運営上「優しく逃げた」までをひとまず前半とし、ジャングルジムとの共演になる「夏・二人で」からを、後半と位置づけていた。
「夏・二人で」は、結果として最も時間を割いた曲だったかもしれない。私たちスタッフへの恒平さんの暖かい気遣いか、今回のコンサートのいきさつを、会場の皆様に恒平さんが詳しく説明してくださったからだ。
そのときになって初めて私は、今回の自分たちの役割を真に理解した。つまり、音楽的な出来不出来はさほど重要ではなく、5月からの一連の流れの中での集大成として、私たちが共演することそれ自体に、おそらく大きな意味があったのだろう。
我々の歌の出来自体は冷静に判断して、あまりよいとは言えなかったように思う。しかし幸いに、会場にいた方々からあとで聞かされた評判は、好意的なものばかりだった。「ファンによる手作りのコンサート」としての明確な位置づけが、きっとあの共演でなされたのだろう。「一緒に歌おうよ」と素人集団に声をかけてくださった恒平さんのプロの音楽家としての判断は、おそらく間違ってはいなかったのだ。
後半に入ると、CDにはまだなっていない新しい曲がしばし続いた。初めての会場で聴き手を上手に自分の世界へと導く、恒平さんの巧みな手法である。
「岬の部屋」では、唯一フラットピックを使ってストローク奏法で歌ってくれた。静かな曲もいいが、こうした激しい曲もメリハリが効いてまたいい。まるで1枚の抽象画になりそうな、聴き手の想像力をかきたてる不思議な曲だった。
噂で聞いていた「星の肌」は、期待を裏切らない名曲だった。恒平さんの歌声にも一層気持ちがこもり、聴衆の心を揺さぶる。会場では感極まった方が、涙を流して聞き惚れていた。その感動の波が、「面影橋から」「引き潮」へと、さざ波のように引き継がれ、伝わってゆく。
あっという間の14曲、80分がこうして終った。会場では感動の拍手が強く、そして長く続いたが、時間の制約でアンコールに多くの時間は割けない。
アンコールは、「冬の音」の曲間に、フランス民謡の「燃えろよ燃えろ」(または、「一日の終り」「星かげさやかに」)を、ポプラ並木が入っている札幌風の歌詞で歌う、という粋な構成だった。おそらくこれも、「札幌むけ」としての恒平さんの気配りだった。
控室で一息ついたあと、会場の後片付けは他のスタッフの方々に一切お任せし、私と恒平さんは出口に並んでお客様を見送った。これまた聴いてくださったお客様に対する、心優しき恒平さんの気持ちの表れだったに違いない。
コンサートの名残りがすべてのお客様の心に強く残っていて、ひとりひとりの挨拶が大変長く、全員をお見送りするのにかなりの時間を費やした。こうして盛況のなか、すべてが終った。心地よい疲労感が、全身をおおっていた。
このレポートを書いているのが、12月の中旬である。コンサートが終って、すでにかなりの日にちが過ぎ去ったが、熱く燃え盛った感動の炎は、関わった方々の心にいまだにちらちらと揺らめいていて、一向に消え去る気配がないようだ。
多くの方々の暖かい手助けで、「及川恒平札幌ライブProject」は無事その役目を果たしたが、もし我々に何か「残した」ものがあったとすれば、おそらくそれは、その最初の小さな炎をささやかにこの北の街の片隅に灯したことだろう。
もしかするとその炎は、次なる新しい舞台へと聖火のように受け継がれていく大切なものかもしれない。そうだったとしたら、仕掛けた側としてはとてもうれしい。時がきっとその答えを教えてくれることだろう。