進行日誌


  札幌ライブ実現にむけて /2004.5.5〜6
  あくまでアソビ感覚で /2004.5.7〜8
  経過報告 /2004.5.14
  会場と期日決定 /2004.5.17
  6月スタッフ会議 /2004.6.5
  経過報告 /2004.6.21
  7月スタッフ会議 /2004.7.5
  時計台虹雪コンサート /2004.8.9
  虹雪コンサートレポート /2004.9.1
  9月スタッフ会議 /2004.9.25
  10月スタッフ会議 /2004.10.16
  リハーサルという名の前夜祭 /2004.10.29
  及川恒平時計台コンサートレポート /2004.10.31


 
札幌ライブ実現にむけて /2004.5.5〜6



 この企画の冒頭でもふれたように、ふとしたきっかけで私が記した掲示板への足跡から、思いがけず恒平さんから暖かいお申し出があった。これが5月5日の端午の節句の日で、それに対する私の「決意」が、以下のようなものだった。
(及川恒平さんのホームページ掲示板から自身のコメントを引用)


 恒平さん、コメントありがとうございました。無理だと思っていた恒平さんの札幌ライブですが、(もしかしたら不可能ではないかもしれない…)という大きな勇気と励ましを得ました。
 私にとって恒平さんは長い間、強い磁石のような存在でした。でも、ただくっついていただけの鉄釘でも、いつしか磁力を帯び、別の磁石となることもあると聞きます。
 まずは一人で、「どうすれば恒平さんに札幌で歌っていただけるか?」を模索してみます。興行としての問題が大きな壁になりそうですが、あきらめずにやってみます。場所も好きな喫茶店に限定せず、もっと交通の便のよい場所も含め、検討してみます。
 ただ、どこでもいい、というわけにはいかず、やはり恒平さんにふさわしい場所がある気がする。そこにはこだわりたいです。
 具体的な行動は、まずは自分のホームページで展開したいと思います。ときどき経過をご報告します。ご賛同いただける方は、ぜひともこの掲示板か私あてに直接ご連絡ください。


 これに対し、翌6日に恒平さん自身からメールをいただいた。私一人にあまりにも負荷がかかることを案じておられる様子である。
 元来、私は一人で何もかもを自虐的に成し遂げてしまうことを、苦痛よりはむしろ喜びと感じる妙な性癖がある。大変なことはあとで振り返ると楽しいこと、常日頃からそんなふうに考えていた。この種のイベント企画もやっている途中は大変であっても、終ったあとの満足感は得難いものになるはずで、そんな経験を過去にも幾度かしていた。
 まずは自分が動くことが楽しく、おそらくそれが旗ふりとしても大切なことだろう。だが、一方でその楽しみを他と共有するすべも心得ていた。協力してくださる方には、いろいろ仕事を手分けしてお願いするつもりだった。おもしろがって一緒にやってくれそうな友人の心当たりも何人かあった。

 コンサート会場に関してはやはりこだわりたいということで、これはほぼ予想した通りだった。定期的に会場として使われている横浜イギリス館に近い感覚で、札幌としての特質のある建物、それが私の会場に対するイメージだった。最終的には恒平さんの好みで決めていただくことになるが、他の方々の意見も聞きつつ、なるべく多くの情報を提供する必要があった。


 
あくまでアソビ感覚で /2004.5.7〜8



 メールのやり取りの中で、無謀とも思える今回の企画に対する私の考えと恒平さんの考えとに、大きなズレがないことが分かり、ひとまず私を安心させた。だが、恒平さんのメールの中にあった「あくまで貴方のアソビ感覚で」の一文に私は引っ掛かった。

 数多くの実績を積み重ねてきた恒平さんには、全国に多くのファンの方々がいる。出身地北海道、という特殊事情があったとはいえ、行き掛りで書いた「企画」が、思いもよらずに受け入れられ、それだけでもやや当惑気味だった私である。
 嬉しさの反面、「言い出しっぺ」の責任として、(会場は?観客数は?赤字が出たらどうする?契約はどうすれば…?)等々、考えるほど不安のほうが勝ってきたのもまた一方の事実で、そんな中での「アソビ心で」のお話。正直に書くと、戸惑いの気持ちのほうが大きかった。
「肩の力を抜いて気楽に」というありがたい忠告であろう、という察しはついたが、物事を非常に真面目に考えるのが私の特質のひとつだった。おそらくそれは私の欠点でもあり、また長所でもあるのだ。感覚の中での「遊び」は大切にしたいとは思うが、団体に関わる「責任」としての行動には、事が何らかの形で決着するまで、どうやら今後ともアソビ心は働きそうにない。

 コンサートの規模に関しては、過去にいくつかのソロコンサートを実際に見に行っておられる方からの情報などから、およそ50〜100人がひとつの目安になりそうだった。
 コンサート入場料は過去の例から推測すると、3000〜5000円ほどだろうか。食事や飲物を出すか出さないか、ゲストを呼ぶか呼ばないかで、この数字は変わってくるはず。
「長年恒平さんの追っかけをしています」と、自らおっしゃる方からも、「興行というより、恒平さんやみんなが楽しめるものを作るために、どうすればいいか」この視点がまず大切ではないか、という有り難い忠告をいただいた。やはりまだまだ肩に力が入り過ぎているようである。


 5/7から電話等で具体的な行動を開始し、場所を中心にいくつか進展があった。これに関しては、再び自身のコメントを引用する。

●会場
・M珈琲店:
 オーナーがジャズ嗜好の方で、過去にジャズ以外のライブは開いたことがなく、しかもなかなか採算がとれないとのことで、いまはライブの受けつけは一切していないそうです。HPに記載の内容「ライブもお受けしています」は、削除もれとのことでした。
 大変残念ですが、アクセスの悪さもあり、今回は断念となります。

・札幌時計台ホール:
 使用料は営業用途の場合、倍の1日12,000円だそうです。椅子、照明、マイク、受付テーブル等はこみの料金です。不足分機材の持込みもOKですが、PM9:00までに完全に片づけ、退去する必要があります。定休は月曜です。
「フォークギターの弾き語りはどうか?」と聞きましたら、「問題ありません」とのこと。係員も好印象です。
 収容人員は最大200人、半年前の月初めから受付開始です。(現在は11月分まで受付中)直接窓口に行ってその場で代金を払い、先着順受付です。
 今日(5/7)夕方5時現在、7〜8月で空いているのは、7/13(火)8/1(日)8/31(火)の3日間だけでした。9月以降は聞いていませんが、多少余裕があるそうです。

・札幌資料館ミニギャラリー:
 コンサートの目的では、一切貸し出していないそうです。こちらも対象から外します。

・豊平館(新情報):中央区中島公園内
 詳細は企画書を参照。

 このほか、円山公園の近くの比較的アクセスの良い地区に、古い民家を改造したひっそりとした印象のレストランがあることを思い出しました。一度妻と行きましたが、森に囲まれたとてもよい感じの店です。コンサートをやれるかどうかは分かりませんが、交渉してみる価値はあると思います。
 恒平さんのご意見、(音響効果)アクセスの良さ、知名度、それらを考えると、札幌時計台ホールが最適かもしれません。実はここは妻が推薦した場所でもあります。
 問題は実施の期日ですが、夏に限定するなら、上記の3日しかありません。先着順という慌ただしさ、恒平さんのスケジュールなどの問題が関わってきます。
 個人的な好みとしては、秋のひんやりと澄んだ空気の中で恒平さんの歌を聴きたい気がします。「暑くも寒くもないお彼岸前後の秋の夕暮れ」、これが私のイメージです。9月であれば、まだ予約にも多少の余裕があり、恒平さんのスケジュール調整も楽なような気がしています。
 ただ、本州のファンのことを考えると、休暇の取りやすい夏がいいのかもしれません。悩みます。

●スタッフ(仲間)
 今日心当たりを二人あたってみましたが、そのうちの一人がいい感触でした。私と同年代で、もちろん恒平さんのことも知っています。私と同じで、好奇心と遊び心は人一倍持っている方です。明日、フォークギターを持って私の家に来ます。二人だけのミニ発表会を開きます。(観客はたぶん妻一人)
 このほか、メールや掲示板ですでに何人かの方から、賛同メールやスタッフとしての協力のお申し出をいただいています。ありがたいことです。

●広報
 地元新聞に「札幌地区のイベント」というコーナーがあり、そこには事前に無料で掲載してくれると思います。市内版だけに数千円でイベントを告知してくれるコーナーもあります。
 他にも今回の主旨をそこなわない範囲で、ニュースソースになりそうな切り口があるかもしれません。ただ、本当に恒平さんを愛する人だけを対象にしたひっそりとしたコンサートにするなら、告知もあくまでひっそりとした形がふさわしい気もします。もう少し考えてみます。

「あくまでアソビ心で」とのご意見、何よりありがたく思います。実施期日に関し、ご意見がありましたらお知らせください。新しい動きがありましたら、またご連絡いたします。


 
経過報告 /2004.5.14



 この1週間の経過をざっと報告します。

●スタッフ会議
 5/8(土)に有志3人が集まり、我が家にて最初のスタッフ会議を開催。会場のこと、開催時期、音響機器のこと、契約のこと、いろいろ話合った。といっても、半分はフォークギター2台によるセッションだったが。
 私がリードボーカルとサイドギター、takaさんがサイドボーカルとリードギターで、初めての音あわせだったが、そこはあうんの呼吸で息はぴったり。本当はピアノとトランペットが得手らしいが、takaさんのギターの腕はなかなかのものだ。
 当日演奏した曲、ジャンルは雑多で、「さみだれ川」「雨が空から降れば」「眠れない夜」「達者でナ」「El Condor Pasa」「恋のバカンス」「グッドナイト・ベイビー」「面影橋から」等々。

 takaさんがいろいろな面で私の足りない部分を補ってくれそうなのは確実である。次回以降のスタッフ会議は、もう少しメンバーが増えそうだが、やはりこうした珈琲を飲みながらのギターセッションを中心にしたものになりそう。
(ちなみに、木材内装と吹き抜けを多用した我が家の音響状態は、最高だそうです)

●コンサートスタイル
 恒平さんのソロコンサートということで決定。「恒平さんの世界にどっぷり浸りたい」という私のわがままが通ったような感じですが、同じ気持ちの方々はたくさんいると思います。フォークジャンボリーとはまた違った形での恒平さんが見られるでしょう。

●会場
 いろいろ候補が出ていて、現在調整中です。恒平さんのスケジュールとのからみもありますが、初めての企画でもあるので、トータルで瑕の少ない会場に落着くのでは、と思っています。決定次第、発表いたします。

●期日
 よい場所はどこも予約がいっぱいです。夏開催の線はほぼ消えました。10月を中心とした秋開催で調整中です。こちらも決定次第、発表いたします。
 実施曜日と時間は、会場の予約のとりやすさ、道内の札幌以外のファンのこと(その日のうちに帰って翌日から仕事に行ける)、スタッフのスケジュールなどから、日曜夕方開催が目下有力です。

 そのほかの細かい部分は、まだ話合っていません。会場と期日が決まってから、徐々に煮詰めていきたいと考えています。


 
会場と期日決定 /2004.5.17



「及川恒平札幌ライブ」の会場と期日が決定しましたのでお知らせします。

会場
・札幌時計台ホール:札幌市中央区北1西2

 知名度、アクセスの良さ、国指定重要文化財としての重厚さ、札幌としての特徴、主としてクラシック系コンサートに使われている実績、音響機器の無料レンタル制度、公的施設としての低料金などの諸条件から、今回は最も適切であろう、という結論に達しました。恒平さんにも事前に多くの写真や図面などの資料をお送りし、ご了解いただいています。
 なお、この施設は国の重要文化財である関係で、飲食は一切できません。もちろん内外を問わず、全面禁煙です。みなさまのご協力をお願いいたします。
 このほかにも数多くの情報をお寄せいただいたみなさまに、感謝いたします。


ステージから見た札幌時計台ホール内部


期日&開演時間
・2004年10月31日(日)PM6:30前後(開演時間に関しては調整中)

 諸条件をつきあわせ、札幌以外の道内ファンなども考慮し、日曜開催となりました。かなり先のことでもあり、11/3の祝日をうまく利用すれば、道外ファンにもゆっくり楽しんでいただける日程かとも思います。

 会場と期日の決定により、「及川恒平札幌ライブ」が実現にむけて大きく動き出しました。今後煮詰めなくてはならない細かい要件がたくさんありますが、ひとひとつ解決していきたいと考えております。


 
6月スタッフ会議 /2004.6.5



 6月最初の土曜日の午後、賛同者の最初の顔合わせとなるスタッフ会議が、我が家の2階で開かれた。多忙な方々のスケジュールを考慮し、会議は午後1時〜5時のフレックスタイム制とし、全員の集まれそうな午後2時半〜3時半をコアタイムとした。

 1時少し前にtakaさん、1時15分に小樽からトーンポエムさんがやって来る。その後しばらく誰も来ないので、ギターでオリジナル曲の音合わせをtakaさんと二人でやる。1時45分にあずきさん、2時に中ちゃんが来る。私の送った案内図に誤記があり、何度かの電話のやりとりのあとでT.Aさん、Y.Kさん、Seiyaさんが最後に登場、2時半をもって妻を含めた9人のスタッフ全員がそろった。
 さっそく資料を配り、事前にピックアップしておいた項目順に役割分担を決めてゆく。同時に各項目の問題点を指摘していただく。takaさん以外は全員初対面だが、メールで何度が連絡をとりあっているので、大きな戸惑いはない。T.Aさん、Y.Kさんからいただいた美味しいお菓子をいただきつつ、妻が流れ作業で入れた珈琲を飲みながらの打合せが始まった。

 充分に吟味したつもりだったが、やはり素人の悲しさでいくつかの問題が出た。スポット照明設備、実行予算を組む段取り、打ち上げのあり方やスタッフ経費の考え方、等々に足りない部分、補うべき部分があった。しかし、最初の集まりとしては役割とその細目に大きなもれはなく、修正すべき点は恒平さんとも密に連絡をとりながら調整してゆくことになった。
 この日決まった役割分担は、各自の適正を考慮したものだったこともあり、私の事前に用意した案を100%受け入れていただいた。誰かがどこかひとつの部署の責任者を務めるようにし、非常時に備えてサブの責任者を決めた。同時に、入場料と観客数の目安、チケットの販売方法の大枠が決まる。
 手短に切り上げたつもりでも、すべてが決まり、議題が出尽くしたとき、時計はすでに4時を過ぎている。

 仕事の都合で会議終了と同時に中ちゃん、Seiyaさんが退席。少し遅れてトーンポエムさんも帰り支度をし始めたとき、あずきさんが恒平さんの最新テレビ映像の映ったビデオを取り出し、突然階下で上映会が始まる。去年のフォークジャンボリーと暮れのNHK-BSの映像だ。見ていない人が大半で、「ブラウン管の中で動く恒平さん」を前に、場が一気に盛り上がる。
 一曲終るごとにテレビの画面に向かって拍手の嵐。あれ?この光景は確かどこかで見たような…、そうだ!小さい頃、たまに来る田舎の学校の体育館での映画上映で、終ると必ずスクリーンにむかって拍手をしていた、まさにあの光景だ。映像にむかっても拍手が自然に出る。さすがに恒平さんの磁力はすごい。

 上映会が終ると、すでに5時近い。トーンポエムさんとT.Aさん、Y.Kさんはそそくさとお帰りになる。残ったのは私たち夫婦とtakaさん、あずきさんの4人だけだ。
 そう頻繁に合う機会もないので、遠くない将来にフォークデュオを組んで老人施設などを慰問する話もでているtakaさんと、歌の練習をすることにした。まだ時間に余裕のありそうなあずきさんを引き止め、妻と二人で観客になっていただく。
 充分トレーニングを積んだこともあり、あり合わせの音響装置でマイクも使った「強引押しつけライブ」の評判は、なかなかのものだった。あずきさんは、私の歌にあわせてハミングなどしてくれている。歌った曲は「老人施設用」の数曲も含め、以下の通り。

「首飾り・夜が走ってゆく」「みどりの蝉」「燃えながら飛んだよ」「おやすみなさい」「忘れたお話」(以上、恒平さんの曲)
「達者でナ」(三橋美智也)「グッドナイト・ベイビー」(ザ・キング・トーンズ)「待っているうた」(オリジナル)

 歌だけではアラが目立ち過ぎ、間も持たないので、いろいろ観客と会話のキャッチボールをしながら進めていくのが私のやり方なので、これだけ歌うとかなりの時間を食う。終ってみると時計は6時を廻っていた。
 様々な不手際もあり、予定を大きく過ぎた事実上の最初のスタッフ会議は、こうして無事終りを告げた。


 
経過報告 /2004.6.21



 あまり表には出てきませんが、スタッフ一同、水面下では精力的に動いています。差し障りない範囲で最近の動きを報告します。

●入場料
 \3,500〜\4,000の範囲で調整中です。予約・前売をできれば安くしたいと考えています。

●販売方法
 まずはネット予約とスタッフ中心の直販を中心に考えています。このふたつで販売目標に到達出来ればいいのですが。

●フライヤー(チラシ)&チケットデザイン
 最も難航しているのが実はこれ。たたき台は私(菊地)が作っています。現場(時計台)にも写真撮影やイメージ取材のため、何度も足を運びました。いろいろな方々の意見を聞きつつ、まとめていかねばなりません。決定はぎりぎりまでずれこみそうです。

 何も問題がないわけではありませんが、全体の方向としてはいまのところ順調だと思っています。来月早々にも開催予定の2度目のスタッフ会議、そしてそれ以降のチケット販売の動きが、大きなカギになりそうです。


 
7月スタッフ会議 /2004.7.5



 7月最初の土曜日の午後、2度目のスタッフ会議が我が家の2階で開かれた。今回は多忙な方が多く、午後1時〜2時の短期決戦スタイルで実施。議事進行をスムーズにするべく、議事録やポスターデザイン、チケット予約方式などを事前にメール送信して万全を期した。

 時間よりもかなり前にtakaさんがやってきて、いきなりギターをつまびき始める。しばししてあずきさんが来る。全く予定になかったが、開始時間までの間、軽くセッションしようよと誘うと、takaさんがすぐ乗ってきた。
 楽譜の山から、「ガラスの言葉」を引っぱりだす。元祖拓郎バージョンで私が歌うと、「ラストが恒平さんのとかなり違ってるのね」と、あずきさんはとても興味深そうにしていた。若いころに耳コピーで何度も練習したというtakaさんのギターテクはさすがで、ボーカルの私もとてもいい気分。

「この曲をおけいさんと二人で歌っているそうだけど、どこをどう分けているのだろう?」と3人で首をひねった。
 ここだけの話だが、「3人でユニットでも作って歌おうよ」と、私がけしかけている。あくまでお遊びだが、仲間内だけのミニライブのときに、本当に実現するかもしれない。

 少し遅れて中ちゃんがくる。トーンポエムさんを待たず、会議開始。ポスター、チケットデザインが提案通りにすんなり決まる。実はこの案に至るまでが大変だったのだが、その子細は書くまい。
 チケットの販売方式にも大きな異義は出ず、しばらくはネット予約の様子をみましょう、との結論だった。もしも売れ行き不調だった場合の腹案もいろいろ出たが、これまたここに記す段階ではない。

 きっちり2時に会議を終え、帰り支度を始めたころ、かなり遅れてトーンポエムさん登場。ここで重要な議案が出された。「開演PM6:30は厳しいのでは?」
 夕方5時まで一般公開されている関係で、時計台ホールにスタッフが入れるのはPM5:30。その1時間後に開演は、リハーサルをやるにしても、少し厳しいのではないか、との指摘である。その後の検討経過は省略するが、初回でもあり、安全をみて開場、開演を30分後ろにずらし、「PM6:30開場、PM7:00開演」に変更することで決着した。
 日曜でもあり、なるべく早く始めて余裕を持って終りたいのが本音だったが、リスクはできるだけ避けなくてはならない。


 
時計台虹雪コンサート /2004.8.9



 チケットのネット予約開始から、ほぼ1ヶ月が過ぎた。出足はなかなか好調だったが、下旬に連日30度を越す北海道らしからぬ猛暑が続き出したあたりから、動きが止まった。
 私見だが、どうも北海道人はお盆を過ぎてからでないと、秋の事は本気で考えない妙な傾向がある。前回のスタッフ会議でも同様の意見が出た。加えてこの2年ぶりの異常な暑さ。この私もぐったりして、いまひとつ気力が湧かない。北海道では購買層にあたる40〜50代のネット人口が少ない、という印象もする。
 ネット予約以外の口コミ中心の「直販」は、予約を上回る勢いであることから考え、現時点であまり深刻には考えていないが、準備しておくに越したことはない。今月末か来月初めあたりに、スタッフ各自の「腹案」を持ち寄り、足と頭を使った攻勢をかける必要がありそうである。

 突然だが、8月下旬に札幌時計台ホールで開催される「時計台虹雪コンサート」なるものに、私とtakaさん、あずきさんがユニットを組んで出演することになった。
 札幌オリンピックのテーマソング、「虹と雪のバラード」の作詞者である詩人の河邨文一郎さんが今春お亡くなりになり、それを機に、「虹と雪のバラード」の詩碑を札幌市内に建てる運動が起きている。その活動の一環として、「時計台で虹と雪のバラードをみんなで歌って気運を盛り上げよう」というのが今回のコンサートの主旨だ。
 出演はアマチュア10組限定で、オーディションはない。「虹と雪のバラード」を歌うのは必須だが、ひと組10分の持ち時間の中で、もう1曲歌えるという。
 時計台ホールの音響設備や照明の様子、準備の感じなどを肌で感じ取る願ってもない機会と思い、迷わずエントリーした。当日は夕方5:30から3人で会場に入り、じっくり様子を見てくる予定である。

 最初は私一人でやるつもりが、takaさんとあずきさんも手伝ってくれることになり、8/7の猛暑の中、我が家で最初の音合わせをした。私がリードボーカルとサイドギター、takaさんがリードギターとキーボード、あずきさんがサイドボーカル担当である。
 あずきさんは誘った当初、あまり乗り気でなく、私とtakaさんが無理に引っ張りこんだような感じだ。しかも「虹と雪のバラード」はよく知らないそうで、声が前に出ず、リズムもなかなかうまく合わない。1日で仕上げるのは無理そうなので、ほどほどにしておき、自由曲の練習に進んだ。

 自由曲に何を歌うかは、この時点では確定してなかったが、エントリー用紙には暫定的に「雨が空から降れば」を書き込んであった。そこでまずこの曲を歌ったが、こちらもうまく合わない。全員耳なれているはずなのに、なぜだろう?と考えてみたら、どうも原因は私自身にあるらしいことが分かった。
 別の連載
「その時フォークがあった」にも詳しく書いてあるように、この「雨が空から降れば」は私自身、過去のライブで最も数多く歌っている。その分思い入れも大変強く、自己流の解釈で音程やリズム、休符を微妙に変えて歌っているのだった。
 ところがサイドボーカル担当のあずきさんは、そんな事情は知らず、ごく普通にCDで聴いた音をなぞってくる。そこに微妙なズレが出てしまうのだ。何度も繰り返すうち、CD通りに歌おうとすると、今度が私自身がうまく歌えなくなる、という弊害が起きた。これはまずい展開である…。

 そこで素早く、「第3の候補」を引き出しから出した。そう、恒平さんとおけいさんが得意とするデュエットの名曲、「夏・二人で」である。
 こんなこともあろうかと、この曲は最近かなり歌いこんでいた。 恒平さんのような見事なフィンガーピッキング奏法は自信がないので、もっと易しいオリジナルピッキング奏法でそれらしくごまかす。
 歌ってみて驚いた。あずきさんが抜群にいい。普段家事の合間などによく歌っているそうで、声が前に出る。譜面も完全に暗譜していた。私とのハーモニーもぴたりだ。私がまだ覚えたてで、自己流の解釈のない、素直な唱法であったことも幸いした。

「私、こっちのほうがいい」
 あずきさん自らがそう申告。takaさんも全く同じ意見で、バラード調が2曲続くより、雰囲気が変わった曲のほうがメリハリが効いていいだろう、とのことだった。前2曲に難渋していた私も、これなら問題なくいけそうだとエントリーの変更を即断。
 課題曲は練習を重ねるとして、問題は残る自由曲の「雨が空から降れば」だった。私は単純にカットするつもりでいたら、それはもったいないので、短く構成し直して、「恒平メドレー」のようにしてはどうか、とtakaさんが言う。その場合、私のソロに近い形で、好きなように歌えばよい、(いわく、「サブちゃん風のアメソラ」で…)とのことだった。

 10分で3曲はきつい気もしたが、ともかくその場はそういうことでおさまった。ところが、夕方になって主催者に曲目追加を申し出たところ、予算(著作権料)の都合で、自由曲はひとつにして欲しいとのこと。結局、自由曲はキズの最も少ない「夏・二人で」だけということで、最終決着した。
 ちなみに、今回のユニット名は「ジャングルジム」で、ほとんど私の独断でつけた。もちろん、恒平さんにちなんだ名だ。「虹雪コンサート」のその後は、本来の意図である会場の実地調査も交えて、後日ここで報告したいと思う。


 
虹雪コンサートレポート /2004.9.1



 酷暑が去り、お盆過ぎあたりから、チケットの動きがよくなった。見知らぬ方から突然「前売券希望」の現金書留が届いたり、初めての電話予約も飛び込んだ。口コミを中心とする輪も底堅い。開催にむけての最低限のハードルは突破出来そうな手応えを感じる。
 9月に入り、これまで手を広げていなかった新聞やラジオなどへの媒体に対する広報、フォーク系のライブハウスなどへの協力依頼を本格的に開始する予定で、すでに一部は活動を始めている。いろいろな方々からの具体的なご協力も、相次いでいる。コンサートベルまでいよいよあと2ヶ月、気を抜かずに地道に活動を続けたい。

 前回お知らせした通り、8/31に時計台ホールで「虹雪コンサート」なるイベントがあり、会場実地調査をかねて、スタッフから私と、takaさん、あずきさんの3人が参加した。当日は台風が北海道を直撃したが、幸いに夕方には雨も風もやみ、コンサートは無事開催にこぎつけた。
 5時半過ぎに会場に入ると、すでに準備は始まっていた。もしかしたら、コンサートの主旨が極めて公的なものなので、多少早めに準備に入れたのかもしれない。音響スタッフはプロの方が二人で、てきぱきと作業をこなしている。事情を話していろいろ教えていただいた。マイクやコード類は一部持ち込み機材を使っていたが、PAやスピーカーは備え付けのものを使用。接続もそう複雑ではない。
 マイクの音を1本ずつチェックし、微調整していた。ただ、この作業があまりにも簡単すぎる。本番ではもっと時間をかけて、ていねいにやる必要があるだろう。合計5本のマイクセットが終ると、時間はちょうど6時。慣れもあるとはいえ、30分強で作業は終ってしまっている。開場までまだ30分あり、各出演者が舞台に上って音合わせを始めだした。
 takaさんがキーボードを組み、ケーブルを直接PAにつないで音響テスト。私もギターを出してチューニングの確認。この日のために、オートチューナーを購入したが、さすがにやりやすい。6時20分になって、唯一のギター演奏者である私のために、音響テストをやってくれるという。6時半に来る予定のあずきさんは来てなかったが、代わりにtakaさんに横に立ってもらい、「虹と雪のバラード」の一番だけを歌ってマイクテストを終えた。

 6時半の開場と共に、あずきさんもやってくる。客も続々と集まってきて、最大150人収容のホールは、開演の7時には、ほぼ満席となった。
 リハーサルなしのぶっつけ本番だったが、合唱やら独唱、朗読やハーモニカ、ピアノに尺八など、多彩な楽器と編成による「虹と雪のバラード」がスムーズに続き、同じ曲が続くのに、不思議と飽きさせない。トントンと進行して、たちまち8番目(ラストひとつ前)の私たちの出番となった。
 1曲目は「虹と雪のバラード」で、出だしは私のソロだ。イントロのギターはよく響いたが、声がいまひとつ出ていない感じがした。緊張はしていなかったので、そのせいではないはずだった。マイクの調整時間があまりに短かったことと、テストの時よりもマイクの高さがかなり高く、アゴをあげ気味に歌ったせいかもしれない。
 つづく女性ソロはあずきさん。(takaさんは演奏に専念)当初はあずきさんも座って歌う予定だったが、「立って歌うほうが声が出る」とのことで、急きょ変更。マイクの高さもぴたりでよく声が通り、この日が最高の出来だった。

 これといったミスもなく、1曲目を無難に終える。実は歌いながら、注意深く会場の様子をうかがっていた。8番目ともなると、客の緊張もすこし揺るんでくる。そこへこの日誰もやっていないギターとキーボード、そして男女ボーカルという異色の編成である。会場の空気がぎゅっと引き締まったのが舞台からも分かった。 (これは客席にいた妻と息子も同意見)
 2曲目の合間に、しばしの語りを入れる。グループ結成の由来から話題を10月の「及川恒平時計台コンサート」にもってゆき、しっかりアピール。「それではその及川恒平さんが作詩作曲した曲を次に歌います」と、「夏・二人で」に入っていった。
 この曲は大半が二重唱なので、ハーモニー重視で歌った。マイクの調子もおよそつかんだので、聴かせどころの「あの飾り窓の…」のフレーズは、100%のボリュームで熱唱。「ぽつんと一言…」でストンと落として、メリハリをつける。あずきさんとのバランスもぴたりで、会場との一体感もはっきりと感じた。満足出来る演奏だった。


「ジャングルジム」時計台ホールでの初舞台

 終演後、妻と息子の感想は、「生ギターの音が抜群によかった」「キーボードの電子音よりも、takaさんの生ギターが聴きたかった」「歌は2曲目は良かったが、1曲目は私の声があずきさんにちょっと負けていた」と、やや辛口の批評。時計台ホールには、やはりアコースティックな音がよく似合うようである。
 会場に偶然居合わせたtakaさんの従兄弟の女性から、「とても素敵な演奏でした」とおほめの言葉。息子と妻は私の演奏を聞き飽きているので評価は厳しくなりがちだが、初めて聴かれたこの方の感想が、単純にうれしかった。takaさんは何も話してないと言っていたが、この方は恒平さんのコンサートにも来ていただけそうな感じだった。
 最後に会場を出たtakaさんが、「次回(10/19)もぜひ出てください」と、責任者の方から誘われたそうだ。「異色グループ」という面を差し引いても、全体の中の出来としては悪くなかったのだろう。ともかくも、準備段階から後片付けまでのコンサートの一部始終をこの目で見届けたという面で、大変収穫の多い一日だった。


 
9月スタッフ会議 /2004.9.25



 9月に入って2度目のスタッフ会議が、いつものように我が家の2階で開かれた。多忙な方が多く、スタッフ全員が顔を合わせるのはかなり難しい状況となっていて、今回も私の家族を除くと4人だけの参加だった。

 ここまで皆勤のtakaさんとあずきさんがまずやってくる。しばらくしてT.Aさんがやってきた。T.Aさんにいただいたおいしいお菓子とお茶を前に、雑談形式で会議が始まる。
 チケット売行きの現状報告とその内容分析、残された1ヶ月間の見通しなど、かなり真剣な論議が続く。新聞、ラジオなどにも広報をお願いしてはいるが、どれほどの効果があるのか、はたまた広報そのものを受け入れていただけるのか、現段階では未知数である。
 企業という制約の中で、「イベント会社を介さず、一ファンがしかけた手作りのコンサート」という主旨そのものが、マスコミに必ずしも歓迎されるわけではないことも、ある程度推測出来る。以前にもふれたが、最も強力な口コミがやはり今後も活動の中心になりそうである。
 広報関係の明るい材料として、札幌市が10月から時計台ホールで開催されるコンサートを、パンフレットとホームページで広く市民にむけて告知していただけることになった。当日売りなどで、一定の効果が期待出来そうである。

 会場、スタッフ、設備、庶務などでの大きな問題は現時点ではない。チケット販売以外で大きな時間を割いたのが、なんと「打ち上げ会場をどうするか?」という議題だった。
「日曜営業」「夜12時くらいまで営業」「会場から10分以内」「ある程度くつろげる場所」
 これらすべての要件を満たす場所が、案外みつからない。よい店があっても日曜休業だったり、ラストオーダーが夜10時だったりした。ネットや口コミを駆使して私が絞り込んだ4店のうちのどこかに落ち着きそうな気配だが、まだ時間があることもあって、結論には至らなかった。

 会議終了後、「ジャングルジム」のメンバーだけが残って、10/19の第2回虹雪コンサートにむけての2度目の練習をした。

「虹と雪のバラード」 作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦
「お陽様はどちらからのぼるのですか」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「面影橋から」 作詞:田中信彦・及川恒平、作曲:及川恒平

 メールで各自のパートの細かい打合せをしつつ、充分に個人練習を重ねたつもりでも、いざ音合わせをしてみると、課題曲「虹と雪のバラード」以外の新しい2曲は、なかなかうまく合わない。今回は元祖六文銭のCDバージョンを忠実になぞり、歌う予定だったが、やはり細かい微調整は必須だった。
 各自が意見を出し合い、ようやく方向が決まってほぼ満足できる演奏となったとき、あたりにはすでに夕闇が迫っていた。最後にお遊びとして、「インドの街を象にのって」「ホワン・ポエルの街」「おやすみなさい」「忘れたお話」の4曲を、ジャングルジム・アレンジで続けて歌ってみる。
 アレンジの推敲がやや足りない曲もあったが、私のイメージにぴたりはまったのが、「インドの街を象にのって」の男女デュエットバージョンだった。これはtakaさん、あずきさんも同意見。元祖六文銭にもない独自のアレンジなので、歌っていてもかなり面白い。いつかどこかで発表する機会があるかもしれない。


 
10月スタッフ会議 /2004.10.16



 コンサートの本番まで残すところあと2週間、最後のスタッフ会議がいつものように我が家の2階で開かれた。仕事の都合で本番の参加も難しそうなトーンポエムさん以外、久し振りに全員が勢ぞろい。現状分析と、リハーサルや本番にむけての入念な打合せと役割分担の確認、ギャラの支払いや打ち上げ会場の吟味にいたるまで、活発な意見が飛び交った。
 チケット売上げに関してはたくさんの方々の暖かいご協力のおかげで、興行的な意味での最低ラインは確保出来そうである。会場設定、スタッフ役割に関する小さな懸念が指摘され、微調整された。
 秋も深まり、街の木々も徐々に色づき始めている。この北の街の清冽な空気の中で、恒平さんの歌声が生で聴ける幸せを、しみじみと感じる。ゴールを目前に控え、そんな静かな気持ちにたどり着いた。

 会議終了後、これも活動の一環である第2回虹雪コンサートにむけての最後の練習をした。あずきさん、takaさん、そして私と、それぞれ猫の手も借りたいほどの忙しさのなか、懸命に練習を重ねた甲斐あって、今回の練習は満足出来るものだった。名曲、「面影橋から」の練習中には、あまりの感動でサイドボーカルのあずきさんが途中で歌えなくなる、という珍事まで起きた。
 つまりは、それほど演奏の出来がよかったということだろう。実は歌っていた私自身が、あやうく泣きそうになるほどだった。「面影橋から」がなぜ名曲であるのか、20代ではよく分からなかったその謎がこの日、なんとなく分かった気がした。
 この曲には、人生の悲哀がにじみ出ている。それを静かに噛み締めながら歌えば、自然に涙が溢れてくるし、聴いている人も思わず涙を流す。そのことが50代も半ばに差し掛かって、ようやく理解出来た気がする。
 祭りの終りは近い。秋の深まりと相まって、何となくそれが物悲しい気分にさせる。終りがくるのは分かっているが、まだ終って欲しくない、そんな複雑な気持ちにいま、包まれている。


 
リハーサルという名の前夜祭 /2004.10.29



 ついに「その日」がやってきた。といっても、まだ本番ではない。恒平さんが初めて歌う会場であること、そして興行に関してはスタッフのほとんどが素人で準備に不慣れであることなどから、本番二日前に会場と同じ時計台ホールを借り切り、入念なリハーサルを行うことに実はなっていた。
 恒平さんはこの日午後に札幌入り。そのまま会場に向かって、リハーサルに臨む手はずである。私にとって恒平さんとの初めての出会いが「この日」になるわけで、コンサートの実質的な始まりの日とも言えた。

 takaさんと二人で早めに千歳空港に向かう。事前の打合せ通り、目印にコンサートのポスターを持って送迎口でひたすら恒平さんを待つが、なかなか現れない。手荷物カウンターのあたりに、それらしき人物が見え、「きっとギターを預けたんだ、たぶんあの人だよ」と、takaさんと勝手に想像をめぐらせていたとき、「菊地さんですか?」と、ゲートをくぐってきた見知らぬ人物から、いきなり声をかけられた。

「は、はい…。えっと…、もしかして恒平さんですか?」

 思わぬ不意打ちにうろたえつつ、そう応ずると、グレーの毛糸帽子を目深にかぶり、ザックを背負って黒いギターケースを大切そうに小脇に抱えたその人物は、「そうです、初めまして」と言い、ぎゅっと私の手を強く握りしめてきた。
 30数年の時を経た恒平さんとの、これが最初のふわふわとした出会いだった。

 午後4時に札幌に着き、喫茶店で時間をつぶして5時過ぎに会場の時計台に行くと、すでにスタッフのあずきさんやT.Aさんが来ていた。すぐに会場に入り、ただちに音響設備の設営作業を始める。数日前の「第2回虹雪コンサート」の折に、ケーブル等の接続方法を細かくメモしておいたので、作業に大きなとまどいはない。ほどなくして、受付を手伝ってくれることになったごっこさんを連れて、中ちゃんもやってくる。
 レンタルショップから借りておいたスポットライトを、外の駐車場から2階の会場に一人で運んでいると、上から聞き覚えのある歌声が階段ホールに響いてきた。

「さみだれ川のよどみに〜♪」

 恒平さんだ!私は荷物を運ぶ足を思わず止め、階段の途中でその歌声に耳を澄ませた。音響設備はまだ機能していない。すると、恒平さんがノーマイクで歌っているに違いない…。
 ホールのドアを開けると、やはりそうだった。マイクなしで、しかもいきなりギターを出して立って歌っている。まず最初は軽い発声練習からだろう…、などと勝手に思いこんでいた私は、またしてもうれしい恒平さんの不意打ちに、大いに喜んだ。
 初めて目の前で聴く恒平さんの歌声は、とても美しかった。これまでレコードやCDで知っている恒平さんの声が仮に「二次元」の声だとすると、いわば「三次元」の声である。立体感がまるで違っていた。
 ステージ中央で気持ち良さそうに歌う恒平さんの声が、時計台の高い木製天井に朗々と響き渡る。私は仕事の手をしばし休め、その声に聞き惚れた。身体の底からじわじわとわき上がってくる熱い感動があった。

 音響機器の設置と調整は、中ちゃんの手慣れた操作もあって、1時間後にはほぼ終了。他に用のあった妻と息子も遅れて会場にやってきて、6時にはリハーサルの準備がすべて整った。
 ここでいきなり恒平さんからの提案。

「客席の真ん中あたりで音の感じを聴いてみたいから、菊地さん、何曲か歌ってみてよ」

 打ちあけると、こんなこともあろうかと、忙しいなか、数日前から準備だけはしていた。かなり以前に、「リハーサルでもし時間があったら、みんなで楽しめたらいいね」と、恒平さんからも連絡がきていた。
 いつでも歌えるよう、ギターや楽譜は車に積んであったので、すぐにステージに上って歌い始めた。しかし、あのあこがれの恒平さんの目の前である。本人の目の前で、本人の作った歌を歌う…。夢か幻か、そんな舞い上がった精神状態で、舞台度胸には自信があったはずの私も、さすがにコードを押さえる手が震え、思うようにギターの音が出ない。
 幸い、「声」という名の楽器は絶好調に近かった。数曲ずつ恒平さんと交代しつつ、その間に中ちゃんやtakaさんがPAの微調整を加えながら歌い続ける。受付や会場案内担当のスタッフは事前の打合せもすぐに終り、手持ちぶさたの様子で、たちまち歌の「観客」へと変貌する。まるで前夜祭のような楽しい雰囲気のなかで、リハーサルは進んだ。
 当日、私が歌ったのは以下の曲である。

「りんご撫づれば」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「河のほとりに」 作詞:谷山浩子、作曲:谷山浩子
「雨が空から降れば」 作詞:別役 実、作曲:小室 等
「街染まる」 作詞:菊地友則、作曲:菊地友則
  (ここから息子と二人で)
「恋は桃色」 作詞:細野晴臣、作曲:細野晴臣
「忘れたお話」 作詞:流山児詳・北村魚、作曲:及川恒平
  (ここからジャングルジムで)
「夏・二人で」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「インドの街を象にのって」 作詞:及川恒平、作曲:小室 等
「面影橋から」 作詞:田中信彦・及川恒平、作曲:及川恒平
「お陽様はどちらからのぼるのですか」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「虹と雪のバラード」 作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦

 4番目に歌った「街染まる」は、実はこの時計台コンサートのイメージソングとして作った私のオリジナルだ。6月の会場調査の折に不意に「天から降りてきた」詩とメロディで、一部はチケットやポスターの詩篇としても使わせていただいた。
 曲が出来たことは恒平さんにも伝えてあったが、リハーサルで歌うつもりは当初なかった。しかし、恒平さんからの要望もあって、急きょ歌うことにした。
「メロディがとても美しい」と、恒平さんはとても喜んでくれた。一番最後に「もう一回あれを歌ってみて」とアンコールまで出て、調子に乗って二度も歌うことになった。

 ところで、恒平さんの歌ってくれた曲目は、実は完全に覚えてなく、正確な記録もない。乏しい記憶をたどりつつ記すと、おそらく以下のような曲である。

「さみだれ川」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「冬のロボット」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「長い歌」 作詞:及川恒平、作曲:原 茂
「私の家」 作詞:及川恒平、作曲:原 茂
「優しく逃げた」 作詞:及川恒平、作曲:国吉良一
「約束です」 作詞:及川恒平、作曲:小室 等
「惑星」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「夏・二人で」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「プカプカ」 作詞:西岡 恭蔵、作曲:西岡 恭蔵
「遥かな愛…」 作詞:及川恒平、作曲:及川恒平
「冒険者よ」 作詞:及川恒平、作曲:本田修二
「はじまりはじまる」 作詞:佐々木幹郎、作曲:小室 等

 もしかすると、もう1、2曲歌ってくれたかもしれない。内容的には「本番で歌う予定の歌×70%+α」の、ファンならたまらない内容である。これらの歌を、ほとんど人のいない需要文化財の時計台ホールの中で延べ2時間余、かぶりつきで堪能できたのだ。スタッフとしての喜びを、このときしみじみと感じた。

 この夜の恒平さんは、とても気持ちよく歌っているのがはた目からもはっきり分かった。「今日はとてもキブンがいい」と自らも語っていた。中ちゃんがじっくり調整したマイクの音もホールにぴったりと合っていて、アマチュアである私でさえ、その音の素晴らしさに正直まいっていたほどだ。
「まるで自分がプロになったかのように錯覚する」そんな立体感のある音が、びんびん響いていた。(いいコンサートになりそうだ…)そんな確かな予感が、すでにこの時点であった。

 こうして恒平さんとスタッフ一同がよいキブンを保ちつつ、いよいよコンサート本番へと舞台は移ってゆく。


 
及川恒平時計台コンサートレポート /2004.10.31



 コンサート当日である。このプロジェクトを立ち上げたとき、(6ヶ月はきっとあっという間だろうな…)という漠然とした予感はあったが、実際その予感通りにその日はやってきた。
 日曜日だが、あいにくこの日私は札幌郊外で地鎮祭の立会いがあり、スケジュールを際どくやり繰りして、何とか午後4時のスタッフ集合時間に滑り込む。受付や会場整理係などの各担当者と細かい詰めの作業をしつつ、サンドイッチで腹ごしらえ。恒平さんを始めとする他のメンバーも、思い思いのスタイルで静かに本番の時を待った。

 午後5時になって全員待ちかねたように時計台へと向かう。ホールは展示場も兼ねており、観光客がまだ残っているとかで、窓口でしばし待たされる。5時15分すぎにようやく入場を許されるが、折悪しくその頃になって、細い雨が空からポツポツと降ってきた。
 音響設備のセットと調整は中ちゃんとtakaさんに任せ、私は1階受付の設営と備品類のセット、受付スタッフのチケットさばき模擬練習にしばし専念した。雨は止む気配がない。傘をさすほどではないが、ささないと濡れてしまう、そんな中途半端な降りである。念のため、用意しておいた傘袋を受付に準備する。
 同時に、2階の階段昇り口付近にCD販売の小コーナーを設置。ところがこのときになって、CD販売のスタッフが手薄であることに気づいた。当初は司会担当のあずきさんに兼任してもらう予定だったが、コンサート開始直前の15分は、会場案内などのアナウンスをする関係で、どうしても席を離れてしまうというのだ。
 ぎりぎりのスタッフでやり繰りしていた思わぬツケに一瞬困ったが、スタッフのT.Aさんの友人が、事前に援助を申し出ていてくれたことをふと思い出した。急きょT.Aさんにお願いすると、開演前の15分なら手伝って下さるでしょうとの心良い返事。ほっと胸をなで下ろす。ばたばたしているうち、あっと言う間に時計は6時を回っていた。

 ここで私とtakaさん、あずきさんの3人には、進行とは別の大事な役目があった。実はプログラムの中程で歌う予定の「夏・二人で」を、恒平さんとジャングルジムとで共演しましようという重要な提案が、2日前に恒平さんからあったのだ。
 リハーサルでの音出しのお手伝いならいざ知らず、本番での共演などとんでもないと、私は固辞したが、恒平さんの決意は揺るがない。細かい経緯は省くが、紆余曲折のすえ、「あくまで恒平さん中心で」という条件つきで、結局お受けすることにした。その最終リハーサルを、開演前の短い時間の中でやる必要があった。
 4人での音合わせは前日までに延べ数時間にわたって済ませていたが、各自の座る位置やマイクの音量調整、出だしの合図など、会場でなければ出来ない細かい微調整をここでする。なんとかやれそうな感じになったとき、開場の6時半が残り数分に迫ってた。

 再び階下の受付に走る。不意の雨というアクシデントのこともあり、どうしても客のさばきが気になってならない。玄関に行くと、すでにかなりの方々が集まっていて、中には傘の用意がなくて濡れている方もいる。開場時間はまだ間があったが、急きょ玄関ホールまで客を誘導することをその場で決断。いっそ早めに入場していただこうかと2階会場に声をかけると、「もうちょっと待って!」との応答。じりじりしながら時を待つ。
 6時半きっかりに入場開始。ハガキやメールで激励の言葉をかけてくださった方々を始め、快くチケットを購入してくださった顔見知りの方が、続々と入場してくる。受付スタッフは3人いたが、とても手が足りない。最初の5分だけは私も玄関の外に出て、傘袋の配付や客の誘導を手伝った。
 開場して10分も経つと、人波もようやく落ち着く。再び2階に上り、控え室に一人でいる恒平さんのお相手をしばしする。お手伝いすべき用事もさほどなく、恒平さんの着替えが始まったのを潮に、またまた受付やCD販売コーナーを回って細かい確認をする。客の入りもほぼ予定通り順調で、この時点で大きな手違いはなく、ようやく一息ついた。

 開演10分前、司会担当のあずきさんがスタンバイし、開演前や演奏中の細かい案内を始めた。あずきさんにはPTA関連の役職経験があって、話ぶりは滑らかである。
 開演5分前、なぜか恒平さんが控室からギターを抱えていきなり会場に現れ、すたすたステージに上ってしまう。不意をくらって一瞬慌てた様子のあずきさんだったが、アドリブでうまくさばく。さすがだ。そのままマイクを恒平さんに預け、開演前のわずかな時間を、恒平さんのお話しで過ごすことになった。

 MC(演奏の間のお話し)の苦手らしい恒平さんの声は、会場の最後尾にいた私には、やや聞き取りにくい。しかし、どうやら時計台の7時の鐘をMCの中に取り入れ、それを合図にコンサートのスタートを切ろうと考えているようだった。
 ジャスト7時、時計台の鐘がカンコンと鳴り出す。この鐘の音のキーはC#かDあたりだ。すると恒平さんは、あらかじめ配っていたプログラムの順序をあえてずらし、鐘と同じDのキーで始まる「雨が空から降れば」の歌を、静かに歌い始めた。
 折しも外では、細い雨が煙るように街を包んでいて、その情景が会場にある縦長の格子窓から、ぼんやりと見えている。私も観客もその自然が作り出すこれ以上ない憎い演出のなか、恒平さんの歌声とその世界に、するすると引込まれていった。

 当日のプログラムは、以下の通りである。(演奏順)



「雨が空から降れば」 作詞:別役 実、作曲:小室 等
「私の家」 作詞:及川恒平、作曲:原 茂
「冬のロボット」 作詞/作曲:及川恒平
「長い歌」 作詞:及川恒平、作曲:原 茂
「ガラスの言葉」 作詞:及川恒平、作曲:吉田拓郎
「なつのあさ」 作詞/作曲:及川恒平
「さみだれ川」 作詞/作曲:及川恒平
「優しく逃げた」 作詞:及川恒平、作曲:国吉良一
「夏・二人で」 作詞/作曲:及川恒平
「星の肌」 作詞/作曲:及川恒平
「冬の池」 作詞:萩原健次郎、作曲:及川恒平
「岬の部屋」 作詞/作曲:及川恒平
「面影橋から」 作詞:田中信彦・及川恒平、作曲:及川恒平
「引き潮」 作詞/作曲:及川恒平

 〜アンコール
「冬の音」 作詞/作曲:及川恒平


 北海道での初のソロコンサートということもあり、前半は懐かしい歌が中心にプログラムが構成されていた。恒平さんのギターテクニックは想像以上の素晴らしさだった。フラットピックによるストローク奏法ではなく、親指にはめる小さなサムピックだけを使った、生の指によるアルペジオ奏法が中心だった。
 このアルペジオ奏法による「味つけ」の入れ方が実に巧みで、ソロであることを感じさせない。楽器は1台のはずなのに、まるで2台のギターがそこにあるかのような錯覚に陥る。時計台ホールという静ひつな雰囲気の中に、その落ち着いたギターの音色と恒平さんの澄んだ歌声とが、ぴたっとはまっていた。

「長い歌」は、恒平さんのソロで聞くのは初めてだったが、早いアルペジオが曲調によく合っていた。「私の家」と並んで、六文銭の生み出した名作のひとつだろう。
「なつのあさ」はCDで知っていたが、CDとは違う早いテンポのボサノバ調で歌ってくれた。まるで別の曲のように聞こえたが、個人的にはこちらのほうが断然好きだ。
「さみだれ川」になって、突然恒平さんがマイクの前から離れ、ステージの一番前まで進んだ。(ノーマイクで歌うんだ…)すぐにそう感じた。事前のスタッフ打合せで、「1曲ノーマイクで歌うかもしれない」と、予告されてはいたが、どの曲をいつ歌うかは、誰も知らされていない。それがこの曲だった。
 2日前、階段ホールに舞い降りてきたあの美声の記憶が、くっきりと蘇ってきた。「音が天空でくるくる回る」(恒平さん談)という、時計台ホールならではの演出だった。

 会場の時間的制約もあり、コンサートに休憩はなかったが、運営上「優しく逃げた」までをひとまず前半とし、ジャングルジムとの共演になる「夏・二人で」からを、後半と位置づけていた。
「夏・二人で」は、結果として最も時間を割いた曲だったかもしれない。私たちスタッフへの恒平さんの暖かい気遣いか、今回のコンサートのいきさつを、会場の皆様に恒平さんが詳しく説明してくださったからだ。
 そのときになって初めて私は、今回の自分たちの役割を真に理解した。つまり、音楽的な出来不出来はさほど重要ではなく、5月からの一連の流れの中での集大成として、私たちが共演することそれ自体に、おそらく大きな意味があったのだろう。
 我々の歌の出来自体は冷静に判断して、あまりよいとは言えなかったように思う。しかし幸いに、会場にいた方々からあとで聞かされた評判は、好意的なものばかりだった。「ファンによる手作りのコンサート」としての明確な位置づけが、きっとあの共演でなされたのだろう。「一緒に歌おうよ」と素人集団に声をかけてくださった恒平さんのプロの音楽家としての判断は、おそらく間違ってはいなかったのだ。

 後半に入ると、CDにはまだなっていない新しい曲がしばし続いた。初めての会場で聴き手を上手に自分の世界へと導く、恒平さんの巧みな手法である。
「岬の部屋」では、唯一フラットピックを使ってストローク奏法で歌ってくれた。静かな曲もいいが、こうした激しい曲もメリハリが効いてまたいい。まるで1枚の抽象画になりそうな、聴き手の想像力をかきたてる不思議な曲だった。
 噂で聞いていた「星の肌」は、期待を裏切らない名曲だった。恒平さんの歌声にも一層気持ちがこもり、聴衆の心を揺さぶる。会場では感極まった方が、涙を流して聞き惚れていた。その感動の波が、「面影橋から」「引き潮」へと、さざ波のように引き継がれ、伝わってゆく。
 あっという間の14曲、80分がこうして終った。会場では感動の拍手が強く、そして長く続いたが、時間の制約でアンコールに多くの時間は割けない。
 アンコールは、「冬の音」の曲間に、フランス民謡の「燃えろよ燃えろ」(または、「一日の終り」「星かげさやかに」)を、ポプラ並木が入っている札幌風の歌詞で歌う、という粋な構成だった。おそらくこれも、「札幌むけ」としての恒平さんの気配りだった。

 控室で一息ついたあと、会場の後片付けは他のスタッフの方々に一切お任せし、私と恒平さんは出口に並んでお客様を見送った。これまた聴いてくださったお客様に対する、心優しき恒平さんの気持ちの表れだったに違いない。
 コンサートの名残りがすべてのお客様の心に強く残っていて、ひとりひとりの挨拶が大変長く、全員をお見送りするのにかなりの時間を費やした。こうして盛況のなか、すべてが終った。心地よい疲労感が、全身をおおっていた。



 このレポートを書いているのが、12月の中旬である。コンサートが終って、すでにかなりの日にちが過ぎ去ったが、熱く燃え盛った感動の炎は、関わった方々の心にいまだにちらちらと揺らめいていて、一向に消え去る気配がないようだ。

 多くの方々の暖かい手助けで、「及川恒平札幌ライブProject」は無事その役目を果たしたが、もし我々に何か「残した」ものがあったとすれば、おそらくそれは、その最初の小さな炎をささやかにこの北の街の片隅に灯したことだろう。
 もしかするとその炎は、次なる新しい舞台へと聖火のように受け継がれていく大切なものかもしれない。そうだったとしたら、仕掛けた側としてはとてもうれしい。時がきっとその答えを教えてくれることだろう。