その8 .......フォークブーム再燃?
山谷ブルース /2007
続編はもうないだろうと決め込んでいたこの連載に、再び書かざるを得ない情報が突然舞込んできた。これまでのフォークに関わる活動に対する、テレビ局からの取材依頼である。
事の顛末は、2007年1月下旬に届いた1通のメールから始まった。「NHK札幌放送局の者ですが…」という書き出しで始まり、団塊世代ビジネスについて近々番組で取り上げたいと考えている。その過程で、フォークに熱中している中年世代を札幌で探していたら、このサイトにヒットした。ついては、取材に協力していただけるだろうか…、およそそのような内容だった。
「ビジネス」という切り口が引っ掛かった。取材の主旨と自分の活動とは、ややポイントがズレている印象がしたのだ。それでも自分のささやかな活動に目を止めてくれたことは単純にうれしく、ひとまず自分のこれまでと現在のフォーク関連活動の要旨を知らせた。すぐに返信がきたが、やはり当初の意図とは少し違っていたということで、取材はまた別の機会に、という内容。この時点で話はいったん流れた。
ところが翌日になり、担当の女性から直接電話が入った。「フォークブーム再燃」という形で、僕の活動にある程度沿うよう、取材が復活したというのである。
この間、制作者側でいったいどのような議論があったのか知る由もないが、報道とか企画はナマモノだし、放送日に合わせたタイムリミットもある。当初とは取材意図が変わってゆくことも、当然あっただろう。
電話での再依頼があったのが金曜の夕方で、放送予定日は翌週の木曜夕方。編集その他の作業もあり、常識的に考えると取材日は早いにこしたことはない。翌日の土曜に取材準備の打合せに来ていただくことにし、本取材は翌週の火曜午後に実施することを、その場で慌ただしく決めた。さて、翌日の午後、さっそく担当者が我が家にやってきた。番組はNHK札幌放送局で平日の午後5時〜7時までやっているニュース番組の「ほくほくテレビ」。その中の「情報ナビ」という10分弱のコーナーが今回の放送枠である。
現れたのは、番組でもしばしば登場しているSさんという女性リポーター。僕の娘のような年代の方だ。末の息子と同じ年であることを後に知る。事前に僕のサイトを充分に読んでくれたそうで、大事な部分はプリントアウトして持参していた。そのせいで、打合せはトントンとスムーズに運んだ。
フォークにはまったきっかけの取材から始まり、若い頃の活動とその記録のチェック。古いレコードと復刻版のCDを取り出し、対比させて紹介することもそこで決まる。古い資料やMDコンポはすべて家の1階にあるため、まずは1階から撮影を開始することになった。やがて場を2階に移し、20歳から40年近くにわたる自分のフォーク活動を延々と語りつつ、ターニングポイントとなった曲を話の進行に合わせてその場で歌う。
このとき、会話そのものがある種のライブに近いものになっているという、不思議な時間を体験した。いわば、「取材中の即興ライブ」のようなもので、このシチュエーションは使えるぞ、いつか別の機会に試みる価値があるなと、心密かに思ったりした。2階では定期的に開催している自宅コンサートを模し、実際に歌を歌っているシーンを撮影することが決まる。候補曲をその場で何曲か披露したが、「団塊の世代への熱いメッセージ」という切り口が取材意図に合致するということで、オリジナルの「夕凪わるつ」を歌うことになった。
会話の間に歌った曲は、順に以下の通り。「雨が空から降れば」 作詞:別役 実、作曲:小室 等(歌:六文銭)
「山谷ブルース」 作詞/作曲:岡林信康(歌:岡林信康)
「雨が降っても」 作詞:菊地友則、作曲:HIRO(オリジナル)
「結婚したんです」 作詞/作曲:菊地友則(オリジナル)
「野の花や」 作詞:なんかい&菊地友則/作曲:菊地友則(オリジナル)
「もっと」 作詞/作曲:菊地友則(オリジナル)
「夕凪わるつ」 作詞:菊地友則/作曲:イワノビッチ(オリジナル)
「里山景色」 作詞/作曲:菊地友則(オリジナル)
夕凪わるつ /2007
3日後の夕方、平日だったが、幸いに急ぎの仕事はない。土曜日に打ち合せたリポーターのSさんのほか、撮影スタッフの男性二人が、たくさんの機材をタクシーに積んで現れた。わずかの放送時間だが、あまりの機材の多さに驚く。家に運び込む作業を、思わず手伝ってしまったほどだ。
すでに日はとっぷりと暮れていて、挨拶もそこそこに、まずは照明機材のセットから始まる。三脚やケーブルで、家の中は足の踏み場もないほどだ。当初の段取り通り、1階の居間に座って古いフォークのCDを僕が聴いているシーンから撮影が始まる。妻は「完全取材拒否」で、カメラが回り始めると、台所の奥に逃げ込んでしまった。
カメラの位置と動きを何度かテストしたが、脱衣室の奥から歩きながらカメラマンが居間に入ってくるスタイルで撮影することになる。後で編集したシーンを見たが、植木の陰からすっと僕の姿を入れて行くという、実に洗練された画像に仕上がっていた。次に昔のライブのアルバムを取り出し、懐かしく振り返る、というシーンを撮影する。古いアルバムやレコードは階段下の収納にしまってあるが、ミシンや掃除機が手前にあって、明らかに撮影の邪魔。いったん脱衣室の奥に待避させることにした。
古い写真のアップ撮影に、結構時間がかかる。強く光をあてると、反射してしまうのだ。照明のあて方や数を変えて何度も撮影し、ようやくOK。人間の入っているシーンより、はるかに手間取った。1階での最後のシーンは、古いレコードと復刻版のCDを対比して並べるというもので、及川恒平さんの初ソロアルバム、「忘れたお話」を素材として使うことになる。
このあたりの進行は、まるで映画かドラマの撮影のようで、アドリブやその場での変更は全くといっていいほどない。3日前の調査時の打合せ通りで、非常にキッチリしていた。ここまでがおよそ1時間弱。テレビカメラの前でポーズをとったり話したりするのは初めての経験なので、かなりの緊張を強いられた。
休む間もなく、2階での撮影に移る。常設のライブコーナーにギターをセットし、スポット照明も普段の自宅コンサート通り。マイクテストとカメラテストを兼ね、まずは「山谷ブルース」を歌う。
撮影スタッフの準備OKが出たので、予定通り「夕凪わるつ」を歌った。出来はなかなかよく、Sさんからも、「菊地さんは本番に強い」と驚かれる。それでは一発OKで撮影終了かと思ったら、撮影スタッフから、「もう一度最初から歌って欲しい」との要望。カメラマンが階段を昇りながら部屋に入り、右にパンして、歌っている途中を撮りたいという。1階の撮影でもそうだったが、映像に動きを取り入れて変化をつけたいようだった。
いったんしまいかけたギターを再び取り出し、もう一度歌う。リポーターのSさんは客のように椅子に座り、歌が終ったあとに拍手を送る、という段取りがその場で決まる。このあたりは、珍しく予定にはない変更だったが、結果的にはよい映像が撮れていた。およそ2時間で、すべてのシーンを撮影し終える。最後に予定外の「面影橋から」まで歌い、予備映像として撮影してしまう余裕。
スタッフを交え、妻が用意してくれたコーヒーを飲みつつ、その場でちょっとした反省会を開く。
「撮影がこんなに早く終るのは、珍しいんです」と、Sさん。僕が場をテキパキと仕切ってくれたからだと感謝され、まんざらでもない。2日後の放送(2007.1.25)では、思っていたよりも自分がよく撮れていて、なぜかホッとした。編集や構成も実に巧み。わずか数分の映像に、あれだけの準備と手間がかかっている。テレビの裏側とは実に大変な世界なのだと、思い知らされた。
数日後、取材のお礼としてNHKのキャラクター「どーもくんキーホルダー」と、おいしいコーヒーセットが送られてきた。どちらも好物である。甘露、甘露。(この時の放送は好評だったそうで、約3ケ月後の2007.4.13に再放送された)
小さな日記〜再び /2007
NHKの取材が終ってからおよそ3ケ月たった2007年4月中旬、今度はしばらく沙汰のなかった知人のラジオプロデューサーから、突然のメールが飛び込んだ。
「3日後の土曜なんですが、フォーク関連の新番組の生放送に、ゲストで出ていただけませんか?」またしても寝耳に水の話だったが、出ていったい何をすればよいのか、詳しいことにはふれていない。
実はこの方には過去にライブ出演やら、自宅コンサートやらでさんざ世話になっている。それでいながら、これまでラジオのフォーク関連番組への出演依頼を、2度断ったいきさつがある。不義理を重ねたうえ、つい最近フォーク関連の取材で他局のテレビに出たばかり。今回に限っては、断りにくい条件がそろっていた。
しばし考え、承諾のメールを送った。ほどなくして返信があり、喫茶店で気軽に昔話をするような感じで、フォークにまつわる思い出を語って欲しい、とのこと。本番で何か歌ってくれ、と頼まれそうな予感がしていたが、どうやらそれはなさそうである。その後、別の担当プロデューサーと電話で細かい打合せをする。生放送2時間のうち、ゲストとして1時間半ほど出て欲しいとのことで、思っていたよりも長い。しかし、いまさら断れない。こうなれば腹をくくろう。
これといった事前の打合せもなく、指定された通り、放送開始の30分前である午後6時半に放送局に到着。担当のプロデューサーと男性アナウンサーのNさん、女性アシスタントのYさんに紹介され、簡単な打合せが始まった。
この打合せが実にあっけないもの。僕の仕事とフォークにはまった経緯を聞かれただけで、あとは軽い雑談が続くだけ。「これで大丈夫なの?」と、テレビ取材に比べるとあまりのあっけなさに、不安がつのった。番組について簡単にふれておくと、放送局は北海道では老舗のHBCラジオ。4月の番組改変で新たに始まった「フォーク喫茶・青春復刻堂」という番組である。
放送はこの日で2回目だったが、初回は野球放送の関係で午後3時過ぎの変則開始時間。ゲストは音楽関連事業のプロであり、フォーク歌手でもある藤田伸二さんだったそうで、本来の時間である夜7時から、しかも一介のフォークファンをゲストとして迎えての放送は、この日が初めてなのだそうだ。やがて7時。本番が始まる。打合せでは、7時15分に僕が喫茶店の「客」としてスタジオに入る手筈になっていた。プロデューサーに導かれて部屋に入ると、思っていたよりも広く、そして明るい。なかなかいい雰囲気だった。
同年代で気さくなNさんのリードで、話はサクサクと進む。スタジオだから、マイクやイヤホン、その他の機材は部屋に備わっていたが、なぜかあまり緊張せず、舌は極めてなめらか。冒頭の「なぜフォークにはまったか?」の下りで、すでにかなり予定を越えて話してしまった感じがした。やがてリクエスト曲が流れたが、ラジオの特質として、曲やCMが流れている間の雑談は、これまた自由である。マイクがスタジオに切り替わる数秒前に、ADの方から「そろそろ入りま〜す」と声がかかるまで、ああだこうだと、勝手な会話を続けていたが、メイン司会のNさんは、その雑談のいくつかをすかさず次の本番のネタにしてしまった。
つまり、テレビ取材のように事前に周到な準備をするのではなく、その場の流れで、話題をぽんぽんと場当たり的に変えてゆくのである。事前打ち合せなどほとんど無用のアドリブさばきなのだ。
それでも、放送自体はちゃんと機能している。テレビとは別の意味で、見事なプロの腕だった。恐れ入りました。しかし、アドリブ(機転)では僕も負けていない。事前の打合せにはなかった話のフリに、ことごとくアドリブで応じた。ギター弾き語りで初めて覚えたフォーセインツの「小さな日記」、自分の結婚式に歌ったオリジナル曲「結婚したんです」などは、曲のさわりの部分をアカペラでちゃっかり歌ってしまう。
打ち明けると、この「本番で歌のさわりを歌う」というシナリオは、事前に僕が提案し、場の流れでやってもよい、という許可を得ていた。さすがにギターは持参してなかったが、先のテレビ取材のときに偶然閃いた、「会話中の即興ライブ」がその下地になっていたのは間違いない。
出発の歌 /2007
やがて1時間が過ぎる。実感としては、あっという間だった。
この日はまるで冬のように寒い日で、朝方にはうっすらと雪が積もったほど。用心してセーターやジャンパーを着込んできたが、それでも本番中にトイレに走る羽目になった。
しかし、トイレの位置は事前に聞いてあったし、曲とCMが続く時間帯を選んだので、何ら問題ない。生放送だが、このあたりもラジオの強みか。途中、女性アシスタントのYさんが突然セキとくしゃみに襲われ、止らなくなった。しかし、まだ曲やCMを流すタイミングではない。
「さてはYちゃん、二人のオジサンパワーにやられてしまったかな」とメイン司会のNさんがすかさずフォローしたが、それでも発作はおさまらない。僕と違って彼女はかなりの薄着で、そのせいかとも思ったが、どうも天井あたりから冷風が出ている。エアコンの故障かもしれなかった。
やがてエアコンの不調にNさんが気づき、リモコンでスイッチを切った。このあたりの経緯も、すべてマイクから電波として流れている。生放送とはこんなにアバウトなものなのかと、驚かされた。
スタジオ内にあるモニターに、生放送の様子が映っている
この日、デジカメをポケットに忍ばせてあった。テレビ取材の折には、あまりの緊張と慌ただしさで、写真を撮るのもすっかり忘れていたが、この日は気持ちにかなりの余裕があった。曲間にお許しをいただき、スタジオの風景を何枚か撮影した。
するとその事を、Nさんがすかさずネタとして使っている。これに限らず、リクエスト曲にまつわる雑談が、次々と会話のネタとして使われてゆく。会話は曲そのものに限らず、当時の世相を喚起させるものでもあったから、話している僕も司会のNさんも楽しく、感心しながら相づちを打っている若い世代のYさんとの対比もまた面白かった。ガラスの向こうのスタッフも、僕たちの会話を笑いながら聞いている。スタジオの楽しさは、おそらく電波に乗って聴き手のラジオにまで届いていたはずで、その意味ではこの日の放送は、うまく運んだと言えるのではないだろうか。
もしかすると、Nさんを含めたスタッフの人たちは、すべてを計算づくで進めていたのかもしれない。だとすると、これぞプロ中のプロだ。放送は後半にさしかかっていたが、インターネットやFAXでのリクエストは、放送中にどんどん入ってくる。「何気なくスイッチを入れたら、思わず聴きこんじゃいました」など、コメントは好意的なものばかりで、手応え充分だった。
やがて僕のリクエストの時間帯に入ってきた。これが終ると僕は店を出て帰る、という段取りだった。リクエスト曲は事前の打合せ通り、元六文銭のリードボーカル、及川恒平さんの名曲「面影橋から」だったが、ここに至るまでの会話がまたまた長い。
若かりし頃の僕が六文銭のファン、そして及川恒平さんのファンになる経緯、そしてその後37年近くの及川恒平さんとの関わりを、かなり詳しく話した。
会話の中で、なぜか六文銭の「出発の歌」を歌う羽目になってしまう。これまた全く予定にはなかったが、Nさんから強引にふられ、引くに引けなかった。覚えていて、良かった。「フォーク喫茶」という設定なので、本番中に本格コーヒーがどんどん出てきた。スタッフの準備も、さぞや大変だったろう。
「雰囲気を出すために、カップの音は遠慮なくどうぞ」などと事前に言われていたので、意識してカチャカチャやったが、あとでMDの録音を確かめたら、ちゃんとマイクが拾っていた。やがて帰る時間になった。本番終了まではまだ30分あったが、構成上の都合でそうなったのだろう。長居は無用である。
「ぜひまたお越しください」の言葉に送られ、スタジオを出た。ちょうど放送が終る頃、自宅に着く。やれやれだ。家でずっと聴いていた妻に感想を尋ねたら、「思っていたより、楽しい番組だった」
そうでしょう、そうでしょう。数日後、番組を偶然聴いていたという知人から連絡があった。
「随分マイクに慣れている感じがしました。定期的に出演なさっているんですか?」確かに初めての生放送であれだけ長い時間を、大きなミスもなく、無難にこなせたと自分でも思う。顔が一切写らず、曲間にいろいろ話せるラジオは、自分に合っている媒体かもしれない。そんな新しい発見をした。
世間的には定年間近の引退年齢なのだが、毛嫌いせず、何でもやってみるものだ。人生、まだまだ発展途上である。