イベントライブ顛末記


JUNON・リクエストサロン 07th /2019.4.19



 近郊の街にあるカフェで久しぶりに歌わせていただいた。知人経由で一昨年5月に最初のライブ依頼があり、その年に計4度、翌年にも2度依頼があったが、経営者家族の健康上の事情で、昨年7月を最後に依頼が途絶えた。
 その後、常連客の要望や健康問題の小康などがあり、9ヶ月ぶりの開催がようやく決まった。健康でなければライブは開けないし、歌うことも叶わない。

 いつも通り13時半にお店に到着し、14時からスタート。長いブランクがあったせいか、客の入りはいまひとつ。いつも聴きにきてくれる小学校時代の恩師も、多忙で案内状を出すのをつい忘れてしまい、姿が見えない。
 聴き手は顔なじみの常連客ばかりで、やりやすい部分とマンネリによる難しい部分の両面があった。前半40分は私のセレクションで10曲を歌う。


「木綿のハンカチーフ」
「蘇州夜曲」
「さくら(直太朗)」
「宗右衛門町ブルース」
「くれないホテル」(初披露)
「野ばら(メドレー)」
「ハナミズキ」
「港が見える丘」
「異邦人」
「天使のウィンク」


 春にちなんだ曲が構成の中心で、演歌や洋楽はそれぞれ1曲にとどめた。高齢者中心の場だが、介護施設系の曲はほとんどなく、比較的新しい傾向の曲が中心。
 基本的に私の歌を聴きたい方々が集っているので、進行自体に大きな緊張感はなく、歌そのものに集中できる環境が整っていた。

 10曲目に出来たてのオリジナルを歌う予定でいたが、時間が押していて断念。ライブ間隔が短いときはマンネリ回避を意図してオリジナルを数曲歌ってきたが、今回に限ればそれほど意識する必要はない。

 10分の休憩後、後半開始。冒頭で前回終了後に常連客から提案のあった「歌声タイム」を設けることになっていた。
 この店では一度もやっていない企画だが、これまたマンネリ回避のためには意味ある試みだった。
 セルフアンコールを含め、45分で11曲を歌う。
(※は歌詞カード配布曲、他はリクエスト)


「瀬戸の花嫁」※
「いつでも夢を」※
「みかんの花咲く丘」※
「高校三年生」※
「恋の季節」(コラボ演奏)
「くちなしの花」
「さざんかの宿」
「私鉄沿線」
「千の風になって」
「つぐない」
「世界に一つだけの花」(セルフアンコール)


 前半4曲は歌詞カードを休憩中に配り、全員で斉唱する歌声形式をとったが、大半の方が一緒に歌ってくれた。
 当初の希望は「瀬戸の花嫁」「いつでも夢を」の2曲だけだったが、裏面に印刷しておいた予備2曲も「ぜひ歌いたい」との声。よいメリハリになったように思える。

 この4曲にはいつも一緒に歌っているお店の常連S子さんもリード役として参加。次なるリクエストタイムの1曲目「恋の季節」もコラボ演奏したが、リハなしの一発勝負にも関わらず、見事にサイドボーカルをつけてくれて、会場の喝采を浴びた。

 歌声タイムでかなりの時間を費やし、その分リクエストへの対応は減ってしまったが、前回あたりからリクエストが途絶える時間帯が出始めていたので、これくらいの比率が程よいのかもしれない。

 予定ぴったりの15時半に終えたが、前回終了後に「アンコールがなかった…」との声があり、その旨を会場に告げて、自主アンコールとして平成で最も売れたという「世界に一つだけの花」を歌って収めた。
 アンコールは本来、客かお店が仕掛けるものだが、ライブに不慣れな場では歌い手側から仕掛けるのもアリだろう。

 久しぶりのライブで取り仕切るお店のママさんも大変そうだったが、ともかくも無事に再開&再会できたことを喜びたい。


 

北海道神宮フォークうたごえまつり /2019.6.15



 北海道神宮祭の関連イベント「北海道神宮フォークうたごえまつり」に、4年ぶりに出演した。今年で17回目の伝統あるイベントで、私は2005年に初めて出演。その後2年続けて出て、4年後の2011年と、さらに4年後の2015年にも出た。
 今回が6度目の出演で、だいたい1/3は出ていることになる。

 主催は地域FMの三角山放送局。当初はイベントとしての知名度が低く、2005年の出演者は7組だった。最初の数回は1組2曲歌えたが、2007年から応募者の急増で枠が12組に増え、曲は1組1曲限定となった。
 2005年まではコンテスト形式で優勝と優秀賞2組を選んでいたが、2006年からそれも廃止され、単なる音楽イベントとして定着した。

 最近の出演枠は15組だが、例年その倍は申込数があるという。応募者多数の場合は抽選で決定、と募集要項にあるが、実際には全体のバランスをとりつつ、事務局による予備審査で最終決定されるのではないか。

 今回久しぶりにエントリーする気になったのは、4年ごとの節目にあたるほか、10月に古希を迎えることが大きな理由だった。
 62歳で出演した地区センター夏祭りイベントで、「今後の目標は?」と進行の方に突然問われ、「そうですね…、では70歳まで歌い続けることにしましょうか」と咄嗟に答えたもの。
 当初は単なる思いつきのつもりが、年を重ねるにつれ、次第にそれが現実の目標へと変貌していった。たとえささやかでも、人生にはやはり目標が必要なのだと思う。

 2年前に咳喘息を発症し、喉を致命的に傷めて活動の継続が怪しくなったが、病院での治療と食事や日々の節制、練習法の改善などで懸命の対策を試み、その後じょじょに回復。誕生日まであと4ヶ月あるが、密かな目標は達成できたと自己評価したい。

 当日は空模様が怪しく、予報よりも早い15時過ぎから雨がぱらつき始めた。会場は北海道神宮境内にある土俵の上。屋外だが屋根があって歌うには支障がなく、雨天決行が原則である。

 妻を伴って車で出発。17時5分前に最寄りの駐車場に着き、そこから境内まで傘をさしてテクテク歩く。控室入りは17時15分で、進行の方と簡単な打合せをし、静かに出番を待つ。
 私の出演順は5番目。たまには1番をやってみたいが、今回も外れた。

 雨は本降りにはならず、帽子があれば凌げる程度。しかし、雨の影響でいつもより観客は少なく、開始の18時時点で50〜60名ほどだった。
 18時13分からライブは始まったが、出番2つ前にはステージ裏のテントにいなくてはならず、18時20分には控室から自主的に移動した。

 トントン進んで、あっという間に出番。今年は初参加が多いそうで、古株として自分が選ばれた理由もなるほどと納得できる。

 リハの類いは一切なく、音響も一発勝負である。譜面台は用意してくれるが、シールドケーブルは各自が持参。直前の演奏者がインタビューを受けているわずかな時間にスタンバイする。
 客はじょじょに増えて100名弱。ステージに立つと、最前列に座る客から声をかけられた。以前によく通っていたフォーク居酒屋の常連客で、ママさんの顔も見える。他の出演者がらみで、応援にやってきたようだ。歌う前のわずかな時間に「しばらくです」と挨拶を交わす。

 タイムスケジュール通り、18時37分から歌い始めた。今回の選曲は、ふきのとうの「風来坊」。特に路上ライブでは抜群の集客効果があるノリのいい曲で、いきなり会場から手拍子が飛び出してびっくりした。

 以降、その会場のノリに合わせる感じで歌い進める。歌詞は4番まであって、1〜2番の間には間奏がなく、2〜3番の間には短い間奏がある。しかし、曲が長引いてせっかくの手拍子が細くなってはいけないと思い、咄嗟の判断でこの間奏は飛ばした。
 冗漫を避ける意味で3〜4番の間奏はさすがに省かず、ラストも譜面通り。最後まで手拍子が途切れることはなく、これといったミスもなく歌い終える。「坂は続く、続く〜♪」というラストのフレーズが、いまの自分の心境にピタリはまっている気がした。

 終了後のインタビューで活動歴や年齢のことなど聞かれたが、隠さずそのまま披露。70歳はあくまで自分の内なる目標であって、ことさら強調して客におもねる気はないが、同年代の方にとっては何かしらの励みになるかもしれない。

 終わって引き上げる途中、最前列で盛んに声援を送ってくれたSさんがやってきて、硬い握手と言葉を交わす。ガンを患って以来、店からはしばし遠ざかっているが、音楽仲間はいいものだな…、と思った。

 他の出演者を10組くらいまで見届けたあと、翌日も午前中から遠方でライブがあるので、早めに会場を出た。事務局から幕の内弁当、缶ビール、ギフト券などいただき、帰宅後に遅めの夕食をとる。
 節目の今回が最後と思っていたが、もし歌い続けられていたら、そのうちまたエントリーするかもしれない。いざ終わってみると、そんな欲が出てきた。


 

伊藤ギター音楽教室・ギター交流会 /2019.9.1



 7年前に地下鉄琴似駅地下・パトスカフェコンサートで知り合ったギター奏者が、数年前に独立して市内でギター教室を開いている。息子の世代の方だが、同じ年頃に脱サラして事業を立ち上げた過去の自分とどこか重なり、いろいろアドバイスしたこともあった。
 今回初めての試みとして、教室の生徒に一般参加者を交えてギター交流会を企画するという。このところ自分の活動がマンネリ気味で停滞している。年に何度かは新しい場を開拓し、自らの刺激にしたいという思いがあった。

 さっそく問い合わせてみると、ぜひにとのお誘い。参加費は会場費&飲物代として500円。場所は過去に何度かイベント広場で自主企画コンサートを仕掛けた白石区複合庁舎にある区民センター視聴覚室だった。
 教室のベースはクラシックギターだが、フォークギターや弾き語り、エレキギターの生徒も広く受け入れているという。「弾き語りは歓迎します」などと言われ、その気になった。


 開始は13時40分だったが、15分前に着くと会場はすでに参加者であふれていて、めいめいが音出しして練習にふけっている。
 あとで知ったが、教室の生徒さんが12名、一般参加者が2名、見学引率などが8名で、計22名の盛況である。

 時間ぴったりの13時40分から演奏開始。トップはたぶん5歳くらいの男の子。「大きな栗の木の下で」をクラギで弾き語ってくれた。
 2番は88歳で初めてギターを始めたという人生の大先輩(男性)。ギター歴3ヶ月とは思えぬ堂々とした場のさばきで、演歌の「天城越え」を、これまた弾き語りで披露。

 以降、「スタンド・バイ・ミー」「スコール(福山雅治)」などの難しい曲を交え、おそらくギター歴の浅いと思われる方々の演奏が続く。
 前半7組のラストは、一般参加の女性と教室主宰の先生によるクラギ重奏で締めくくった。

 20分の休憩後、14時35分から後半開始。出演順は会場横のホワイトボードに記されていたが、私はラストの14番目だった。待つのは苦手だが、年齢とギター歴の長さからすると、こうなるのはやむを得ない。

 後半はややインストの比重が高くなり、ギター歴の長い方が中心だった。持ち時間は正味8分あり、2曲は演れるが、多くの方が1曲限定。直近の練習成果を見せる場で、2曲は難しいのかもしれない。
 この日初めて立って歌ったラスト前の若い女性、声が伸びやかでギターとのバランスがよく、確かな技量を感じた。どうやらプロ志向があるらしく、後半終了後の2巡目ステージでは、斬新なオリジナルを披露してくれた。

 大トリを指名された私だったが、初めての場にしては緊張することもなく、無難にこなした。
 曲はオリジナルの「誰も知らない夜」と洋楽カバーの「オー・シャンゼリゼ」。「誰も知らない夜」は普段ストロークで歌っているが、今回はバランス面からアルペジオで歌った。

 音響設備がなく、つまりは久しぶりのノーマイクである。細部の表現はまずまずだったが、連日のDIY疲れもあって、声量にはいまひとつ不満が残った。
 歌にも基礎体力が必要で、加齢に伴う体力低下とどう折り合いをつけるのか、今後の課題でもある。

 全員のステージが終わって、時計は15時30分くらい。時間が少し余ったので、3組の方が2巡目ステージをこなす。事前にその可能性を聞いていたので、私は「ビリーヴ」を歌った。
 オリジナルは別にして、万人受けする無難な選曲にしたが、他の演奏曲を聞くと、もっと冒険してもよかった気がする。

 最後にテーブルをセッティングし、全員参加の茶話会。年齢層が幅広く、男女比も半々くらいで、普段あまり話せないような方々と、楽しく音楽中心の雑談にふける。
 16時30分にお開きとなったが、想像以上に刺激あるイベントだった。


 

篠路シルバー水曜大学 /2019.9.25



 近隣地区センターのシルバー大学修了式ライブに出演した。この地区センターでは過去いろいろな場で歌ってきたが、館長さんが交代したこともあって、この3年余はご無沙汰。数ヶ月前に打診があったときは、正直驚いた。
 シルバー大学講師は別の地区センターで一度経験しているが、当時のテーマが「北原白秋〜そして北の叙情歌」で、持ち時間も正味100分と長かった。歌よりもトークを重視するという難しい条件があり、準備も含めてかなり苦労した記憶がある。

 今回は「叙情歌〜リクエストコンサート」と称し、全15講座の最終日修了式にリクエスト形式で60分歌うという、普段のカフェライブと変わらない内容だった。
 リクエスト一覧は普段使っている320曲余のリストをそのまま使用。あくまで歌が中心で、講師というより、単なる歌い手としての役割を望まれていた。
 ライブは修了式後の昼食前という案が当初あったが、修了式の前に歌うことで最終決着。これにより、開始は9時半という過去に例のない早い時間となった。

 実施2日前に最終打合せがあり、機材の分担や歌う曲の詰めを行う。受講者は63名で、事前に募ったリクエストは18名から反応があり、一人3曲〜計54曲の希望曲が提出された。
 重複曲やジャンル、曲調などのバランスを取りつつ、「希望3曲のうち、最低1曲は応える」等の要素も織り込んで最終的に17曲を決めた。

 当日は6時という、私にしては極めて早い時間に起きて備える。午前中ライブは過去に何度か経験していて、「開始3時間以上前に起きる」「ストレッチを充分に」「入念な発声練習」などで対応できることが分かっていた。
 ネット情報から「起き抜けにコップ1杯の水を飲む」を新たに追加。シャワーが効果的、との情報もあったが、今回はパス。

 9時10分前に地区センター到着。PAは持ち込みで2台を使用し、万一に備えて予備ギターも準備してフル装備に近い。
 駐車場を2往復して機材を搬入し、ただちに設営に入る。高すぎて客席から遠い主ステージは避け、15センチくらいの小ステージ上で歌う段取りだった。

 タブレットからプロジェクター経由で歌詞をスクリーンに投影する手はずだったが、開演時間が迫っても、プロジェクターが一向に設置されない。施設にある高性能プロジェクターを使うはずが、担当のMさんが勘違いしていたようだ。

 慌てて準備し、調整を終えたのは開始1分前。ギリギリで間に合った。直前までバタバタして、開演は1分遅れの9時31分。終了時刻は厳守で、MC等で調整することになる。
 結果として、59分で17曲を休憩なしで歌った。
(※以外はすべてリクエスト)


「大空と大地の中で」※
「ラストダンスは私に」
「空港」
「野ばら」(シューベルト)
「どうぞこのまま」
「いい日旅立ち」
 〜自己紹介(「山谷ブルース」「神田川」)

「for you…」
「愛燦燦〜川の流れのように」(メドレー)
「好きですサッポロ」
「糸」
「アメイジング・グレイス」※
「落陽」
「アカシアの雨がやむとき」
「知床旅情」
「熱き心に」
「高校三年生」


 大事な1曲目は、リクエストにはない「大空と大地の中で」を私の希望で歌った。北海道を代表する曲で元気がよく、前向きな内容。1曲目としての条件がそろっていた。
 聴き手の年齢層は70〜80代で、男女比は半々。場は非常に静ひつで、手拍子や共に歌う声は届かないが、1曲ごとの拍手は熱い。以前のシルバー大学講座と同じ傾向だった。

 調整がうまく運んで、声はよく出た。6曲目を終えた時点で、自己紹介をかねて2曲のイントロを歌う。
 弾き語りを始めるきっかけや、宮仕え時代に上司命令で歌ったことなどを歌を交えて語る趣向。過去にも試みているが、場を引きつけるアクセント効果がある。

 中盤の美空ひばりメドレーは、リクエストの多さから選択した苦肉の策。この2曲以外でリクエストが重複したのは、「いい日旅立ち」「糸」の計4曲。1番人気は「いい日旅立ち」で、希望の多い重複曲にはすべて応えた。
 他はすべて1曲だけの希望。応えられなかった曲では、「時代おくれ」「野風僧」「無言坂」「白いブランコ」「もしもピアノが弾けたなら」「恋の町札幌」「人生一路」「虹と雪のバラード」「仰げば尊し」「黄昏のビギン」「ワインレッドの心」「学生街の喫茶店」「わかって下さい」「見上げてごらん夜の星を」など、和製ポップやフォーク系の曲が目立った。

 ジャンル別では、フォーク系4曲、昭和歌謡系10曲(演歌を含む)、洋楽系3曲といった内訳。「いい日旅立ち」「for you…」「熱き心に」など、明確にジャンル分けができない曲も多くあった。
 静ひつであっても、強い手応えを感じた曲は「糸」「アメイジング・グレイス」「アカシアの雨がやむとき」など、後半に集中。ラストの「高校三年生」では自然発生の手拍子も出た。朝早いこともあってか、場が乗ってくるには時間が必要らしい。

 時間通りにピタリ終えて撤収にかかろうとすると、進行のMさんから「アンコールは…」と、打合せにない言葉が突然飛び出す。実は10分後の10時40分から修了式が始まる予定で、トイレ時間などを考慮すると余裕がなく、アンコールはやれないはずだった。
 場が尻上がりに乗ってきたのは確かで、念のため準備していた短い曲「また逢う日まで」をありがたく歌わせていただく。これまたラストに相応しく、手拍子でニギヤカに締めくくりとなった。

 終了後は小ステージやスクリーンを含めた撤収作業と修了式の準備に周囲があわただしく、担当者への挨拶はしそびれたが、自分の役割は無難に果たせたと自負している。


 

日曜カフェ・ポピー 05th /2019.12.22



 札幌ドーム近くにある地域カフェで1年ぶりに歌った。責任者のOさんとは路上ライブの聴き手として知り合い、その後各種ライブの運営を通して、長いお付き合いが続いている。
 カフェライブとしては今回が5回目。一昨年は1度、昨年は3度の依頼があったが、参加の顔ぶれが固定化してきたせいか、しばらく間隔が空いた。同じ場としては、年一回が程よいペースと思われる。

 過去4回は10時開始で、今回は30分遅れの10時半開始。苦手な午前中ライブであることに変わりはなく、私にしては早めの7時に起きて備える。
 昨夜は緊張のせいで眠りが浅く、このところの過密スケジュールもあって喉に不安があったが、出掛けの練習でまずまず声は出た。

 久しぶりに雪が降っても車の流れに支障はなく、9時50分に会場到着。PAは2台、予備ギターも持参したフル装備で、Xmasの赤い仮装をしたOさんと打合せしつつ設営。15分前にはスタンバイした。
 少し迷ったが、念のため持参した漢方系喉薬「響声破笛丸料」を飲むことにした。前回のように歌い始めてから喉に異常を感じてはならない。

 出足は悪かったが、開演が近づくにつれどんどん人が集まってきて、最終的には40名を超える盛況。1年ぶりという時間がその背景にあったかもしれない。

 やや遅れて10時32分から開始。前半は「トムノ 情熱の赤を唄う!」と称し、40分弱で12曲を歌う。


「赤いスイートピー」
「真っ赤な太陽」
「サルビアの花」
「どうにもとまらない」
「赤い花白い花」
「君の瞳は1万ボルト」
「さくらんぼの実る頃」
「ブルーシャトー」
「圭子の夢は夜ひらく」
「ワインレッドの心」
「神田川」
「熱き心に」


 ライブのテーマは事務局が決めたもの。ステージ名が入っていて気恥ずかしいが、運営の事情もあるのでおまかせした。
 選曲も半分以上は事務局からの提案で、「赤」「情熱」のキーワードから曲調やジャンルのバランスを考慮して絞り込んだ。プログラムには事前に決めた曲順と、簡単な曲紹介が印刷されている。

 聴き手の多くはリピーターかその紹介で、場は静ひつでも条件としては非常に歌いやすい。直前に服用した漢方薬の効果もあってか、喉の調子はよかった。
 調子よく歌い進んで、ラストの「熱き心に」では「ブラボー!」の声もかかる。どちらかといえばクラシック系の声援だが、ライブがうまく運んだとき、いただくことが稀にある。

 10分の休憩中に六花亭のケーキが配られた。開演時には飲み物だけで、普段はこのまま最後まで進行する。
 今回ケーキをいつ出すのか流動的だったが、「あまり待たせず、空腹を抱えない程よいタイミング」ということで、中間の休憩時に落ち着いた。

 11時22分から後半開始。40分強で13曲(全てリクエスト)を歌う。


「黄昏のビギン」
「真夜中のギター」
「空に星があるように」
「硝子のジョニー」
「コンドルは飛んで行く」
「アメイジング・グレイス」
「知床旅情」
「涙そうそう」
「さくら(直太朗)」
「少年時代」
「地上の星」
「世界に一つだけの花」
「この広い野原いっぱい」(シングアウト)


 いつもは休憩時にリクエストを募るが、今回はケーキと飲み物サービスで忙しくなりそうだった。リスクを避け、初めて開演前にリクエストを求めたが聴き手の慣れもあってか、あっという間に12曲が集まった。
 リクエストカードを元に、全体のバランスを見て直感で歌う順番を決める。不思議なことに好きな曲、得意曲が多くあって驚いた。

 出だしの数曲は食器音が少し気になったが、演奏には差し支えないレベル。やがてそれも落ち着く。前半の好調をキープしてライブはトントン進んだ。

「コンドルは飛んで行く」では英語バージョンをまず歌い、オリジナル和訳を続けるという趣向。前奏と終奏のトレモロ奏法も効いて、歌い終わると中ほどにいた男性から声援が飛んだ。
 得意曲「アメイジング・グレイス」では場が静まり返り、「地上の星」では再び声援が飛ぶ。聴き手の強い後押しもあって、一気にラストへとなだれ込んだ。

 時間の都合でアンコールの類いはなかったが、終演後に近寄って声をかけてくれる方が多数いた。いわく、「《赤いスイートピー》で涙が出ました」「《知床旅情》の白いカモメで泣けました。カモメは私です」等々。歌にはそれぞれの強い思いが隠されているということだろう。
 そのほか、「泣ける歌がたくさんあった」という評価が複数あり、聴き手の心に深く届いていたことは間違いない。

 介護施設ライブでの涙はタブーで、多くはニギヤカ手拍子系の進行を求められる。普段は場に合わせているが、自分の本来の持ち味は「泣き」であると思っている。その一点で、今回のライブは歌う側にとっても満足度の高いものだった。
 反省として、時間内にライブを収めようと、進行を急ぎすぎたきらいがある。「少年時代」の後半でアルペジオが怪しくなり、「世界に一つだけの花」の前奏をカットしてバランスを悪くした。
 また、久しぶりに歌った曲でメロディやコードの一部が怪しい箇所もあった。リクエスト対象曲の定期的なおさらいは必須。次回に活かしたい。


 

篠路コミセン・にじ色コンサート /2023.6.10



 4年ぶりに近隣の地区センター、篠路コミセンで歌った。
 ここでは過去にいろいろな形で計13回歌っている。直近では新型コロナ禍前の2019年9月「篠路シルバー水曜大学」修了式ライブ。事前申込みが必要な有料イベントで、場所は体育館ホールだった。
 今回は2014〜2015年に3回実施したロビーコンサート「叙情歌サロン」に準じ、予約不要&出入り自由の無料イベントとした。

 歌う場所はこれまでのロビー奥展示コーナーから、より開放的な大ホールの壁際に変更。吹抜け天井のある大空間で、音響や換気面で利点があり、客席間の距離も広くとれる。収束傾向とはいえ、まだまだ新型コロナに対する配慮は欠かせなかった。
 復活ロビーコンサートとしての企画書を提出し、6月に実施する方向で正式受諾されたのが2月6日のこと。4ヶ月の準備期間は、長いブランクを埋めるには充分な時間だった。

 タイトルは心機一転の意味をこめ、「篠路コミセン・にじ色コンサート」に決定。虹にちんなで7つのジャンルから曲を選択。開始時間も午後2時(にじ)とシャレた。
 コロナ禍直後という事情から、告知は自分のブログと地区センター作成のポスターのみ。個人的な集客は地域カフェ関連1名にとどめた。

 愚図つく梅雨模様の天気が続いていたが、当日は雨もなく、まずまずの天候に恵まれた。
 13時10分に会場入り。予備ギターやギタースタンドなど普段より機材が多く、妻には機材運搬と写真撮影係を頼んだ。すでに20席ほどの椅子が間隔を開けて並んでいて、ステージと最前列との距離は広めの5メートルほどあった。
 ただちに設営を開始。PAが2台あってやや手間取り、13時20分にスタンバイした。

 大ホールでは2011年の復興支援コンサートでも歌っているが、感覚的には初めてに近く、館長さんに客席最後尾に立ってもらい、入念にリハーサルをする。
 PAは2台準備したが、サブPAはないほうが聴きやすい、という館長さんの意見に従い、メインPAのみで歌うことにした。
 実は2011年のコンサートでは、メインPAのみだった。天井が高いせいで、音響効果が微妙に変わるようだ。

 開始15分前くらいから席がじょじょに埋まり始め、5分前には満席状態に。急きょ椅子を増やすことになる。
 14時ちょうどにコンサート開始。館長さんの簡単な挨拶と紹介があり、すぐに歌い始めた。
 コロナ禍直後ということで演奏時間は1時間と短め。前半を7つのジャンルから1曲ずつチョイス。後半はジャンル分けが難しい曲も含め、計14曲を休憩なしで歌った。

《前半》
「時の過ぎゆくままに(沢田研二)」…J-POP
「いい日旅立ち(山口百恵)」…昭和歌謡
「月の沙漠」…唱歌
「恋の町札幌(石原裕次郎)」…演歌
「夢一夜(南こうせつ)」…フォーク
「思い出のグリーングラス(森山良子)」…洋楽
「ミネソタの卵売り(暁テル子)」…懐メロ

《後半》
「瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)」…昭和歌謡
「空も飛べるはず(スピッツ)」…J-POP
「空港(テレサ・テン)」…演歌
「どうぞこのまま(丸山圭子)」…フォーク
「桃色吐息(高橋真梨子)」…J-POP
「君をのせて(井上あずみ)」…アニメ
「オー・シャンゼリゼ」…洋楽


 1週間前から黒豆煮汁を飲むなど、入念に調整したかいあって、喉の調子はまずまず。1曲の持ち時間は4分しかなく、MCは少なめにしてトントンと歌い進んだ。

 長いブランクがあり、新型コロナ禍の癒えぬ状況下で集客には不安もあったが、最終的には前回と変わらぬ40人ほどの集客にこぎつけた。ホール上部の2階通路で立ち見している方も数名いた。
 告知ポスターは館内掲示のほか、町内会でも回覧してくれたのが大きい。地域イベントではアナログ的手法が効果的と思える。

 数曲歌ったところで、館長さんからボリュームを上げて欲しいと要請がある。空席だったリハーサルの時点から客が増え、音が吸われて状態が変わったようだ。ただちにボリュームとリバーブを上げて対応。

 直前に実施した別の歌イベントでは、全員がマスクなしでの歌唱だったという。それに合わせ、ライブ中のみマスクを外した。聴き手は全員がマスク姿で、ステージからの距離が遠いこともあり、表情が読みにくい。
 場は全体的に静ひつで大人しく、ライブ演奏に対して長いブランクがあるのは聴き手も同じ。反応は1曲ごとの拍手で推し量るしかなかったが、決して悪いものではなかった。

 低音部の音程やロングトーンでのフェードアウトなど、細部に気を配りつつ、ていねいに歌い続けるうち、場の手応えがじょじょによくなってきた。
「空港」では曲紹介の時点で歓声と拍手が起こり、思わず「ありがとうございます」と応じた。直後の歌唱には感情が入り過ぎ、あやうく泣きそうになって際どくこらえる。
「桃色吐息」では「ジョニィへの伝言」「for you…」の3曲から客席の拍手で選んでもらう「三択リクエスト」の趣向を久しぶりに仕掛けた。

 ラストの「オー・シャンゼリゼ」では手拍子も飛び出し、14時55分に終了。事前の打合せでは館長さん主導でのアンコールを予定していたが、期せずして会場から「アンコール!」の声が複数あがる。
 つまりはお約束ではない「真のアンコール」だった。準備していた「上を向いて歩こう」をありがたく歌わせていただく。

 終了後、館長さんからやや長めの挨拶がある。長く苦しかったコロナ禍対応の日々が、歌と共に蘇ってきたという。予想を超える盛況で、ようやくここまでこぎつけましたと、感極まった様子。
 クラスターを出すことなく無事に3年間を乗り切ったが、責任者として相当の気苦労があったに違いない。

 撤収中にいろいろな方から声をかけていただく。自ら企画したこともあり、失敗の許されない状況でのライブだったが、これといったミスもなく無難に乗り切った。
 初めて使った電子譜面表示の10インチタブレットは液晶明るさを95%に設定した関係で、バッテリが90%から52%まで減ったが、表示自体は問題なく機能した。
 年齢的にも次回があるかどうかわからない状況で、毎日少しずつでも歌い続けることで、あるかもしれない「次」に備えたい。