北海道神宮フォークうたごえまつり /2015.6.15
「北海道神宮フォークうたごえまつり」に出演。北海道神宮祭の中日(6/15)に境内の土俵上を舞台に繰り広げられる、ちょっと変わったステージだ。
主催は北海道神宮で、制作は地域FMの三角山放送局。今年で13回目となるが、2005年から連続3回、4年後の2011年にも出て、「生きていてまだ活動を続けていたら、4年後にまたエントリーします」と、まるでオリンピックのようなあてどもない口約束を、担当の方と交わしたものだ。
その4年後が今年。折悪しく6月はライブスケジュールが立て込んでいて、前日の14日も早々と予定で埋まった。エントリーをどうすべきか躊躇していたら、4年前のことを覚えていたのか、担当の方から案内メールが届いた。
出演申込みが多数の場合は抽選となり、いつも2倍を超える競争率。歌うのは1曲限定で、仮に当たってもそう大きな負担ではなく、ひとまず申込みだけはした。
忘れた頃に出演が決まったとの連絡が入る。大きな義理もなく、集客ノルマや出演料も不要。出演者には弁当や記念品まで出る。純粋に歌そのものを楽しめる稀有な場だ。
出演した過去4回の大半は雨が降ったり異常低温に襲われたりしたが、この日に限っては温暖な日和である。
皮肉にもエントリー曲は井上陽水の名曲「傘がない」。タイトルが厄祓いになって、今回は晴れる予感が何となくしていたが、当たった。
最寄りの駐車場に車を入れ、17時20分に会場入り。司会の女性と簡単な打合せをする。過去4回のうち、2回がトリで2回が中ほどの出演順だったが、今回は出場14組のうち、5番目という早めの順番だった。
じりじり待たされるのは好まないので、早い出番は歓迎である。
支給された弁当とお茶をいただく。いつ食べてもここの弁当は美味しい。あまり満腹では歌に差し支えるので、半分だけにしておいた。
(余談だが、お茶の容器は円筒形の紙という、珍しい素材だった)
顔見知りのライブハウスのマスターがいたので、開演前に写真を撮ってもらう。今回、マスターは抽選で外れたが、ママさんがお客さんとのユニットで出演するらしい。
18時15分からライブ開始。14組のうち女性は3組で、大半がフォーク系の曲でエントリーしていた。日本のカバー曲なら特に制限はないが、イベント名に「フォーク」が入っているので、傾向としてはどうしてもそうなる。
いつものことだが、楽屋にはどこかのライブで出会った方が多くいた。私が知らなくても、「チカホで歌っているのを見ましたよ」と声をかけてくれる方もいる。長く演っていると、こうした知り合いが少しずつ増えてゆくものだ。
前半7組にはゲスト歌手の五十嵐浩晃さんが司会も担当。曲に応じて時折り歌に「応援(乱入?)」するという、全く予定にない現象が起きた。
臆せずに堂々とコラボする人、反対に緊張して演りにくそうな人もいたりして、客席から観ていると興味深かった。
予定通りに進んで、18時40分くらいに私の出番。4年ぶりとはいえ、慣れた場なので大きな緊張はない。前回と違っているのは、早めの時間帯で客席が明るく、聴き手の顔がはっきり見えることくらい。しかし、介護施設ライブでの明るさと比べると、まだまだ薄暗い。
聴き手はこの時点ですでに100人を超えていた。ライブの進行に伴って、音を聞きつけてジワジワと人が集まってくるのも、いつもの現象である。(終了時には200人近くに達した)
歌い始めて、大きな違和感に気づいた。足元にあるモニタの音量がゼロで、全く音が聞こえない。やむなく勘だけで歌い始めたら、ワンフレーズ歌ったところで、ようやくモニタがオンになる。
しかし、音が安定するまでやや時間がかかり、歌いにくい状態は続いた。かってなかったことだが、人間のやることだから、こんなこともある。
5分近くを要する長い曲だが、後半になってようやく音も安定し、気持ちも乗ってきた。客席は身動きひとつせず、じっと聴いてくれている。
じょじょにボーカルとギターをクレッシェンドして、ラストでズドンとギターをカットして終わる。
チカチカパフォーマンスでもときどき歌って、非常に反応がよい曲だが、前半の音響トラブルをやや引きずったので、出来は自己採点で60点ほどか。それでも顔なじみの担当者からは、「さすがですね」と労われた。
(ちなみに、私の歌には五十嵐さんの「応援」はなかった)
終了後のインタビューで、チカチカパフォーマンスに関してあれこれ聞かれ、問われるままに昭和歌謡2曲をワンフレーズずつ歌うことに。
「ところでおいくつなんですか?」と五十嵐さんから聞かれ、「65歳です」と正直に応えたら、会場がかなりざわついた。
「75歳くらいまでは演れそうですね」と励まされる。そうありたいものだが、先のことは分からない。まずは歌えるいまに全力をつくすことだ。
篠路コミセン・夏まつり vol.5 /2015.7.11
長いおつき合いのある近隣地区センターの館長さんから依頼され、急きょ夏まつりのフィナーレで歌うことになった。きっかけは前日に館内PAのトラブル調査に出向いた際、テスト音源で流れていた昭和歌謡。
私の得意ジャンルなので、「何に使うのですか?」と尋ねると、イベントのBGMで随所に流し、締めくくりのフィナーレでも尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を流して、それに合わせて全員が歌う予定だという。
「そうだ、ひょっとして菊地さんに生演奏で歌ってもらうとか…。レパートリーに入ってます?」
昭和歌謡の定番曲なので、もちろん歌える。週末だが、スケジュールもぽっかり空いている。CD音源に合わせるより、生演奏でシング・アウトしたほうが盛り上がるのは明らか。
通算5回目となる今年の夏まつりはステージの予定がなく、日程も1日限定で規模が縮小した。例年何かしらの形で依頼される私の出番はないものと思っていたが、ひょんなことから、今年も協力することになった。
イベントは11時から始まっていたが、会場入りした17時にはすでに終盤。当初はご当地盆踊り終了後にホール中央で歌うと聞いていたので、そのつもりで機材一式を組立て、スタンバイしていた。
ところが、盆踊りが終わるとホールにいた人々は一斉に隣接するロビーへと消え、ホール内の出店は片づけが始まった。どうも雰囲気がおかしい。ロビーでは最後に残った食べ物系出店が値引きに入り、けっこうな盛り上がりよう。
このまま予定通りホールで歌うのは、どう考えても無理があり、いつも「叙情歌サロン」で歌っているロビー内で歌い納めるのが自然な流れである。
事務室に行って、館長さんと再交渉。ロビー内にある全ての椅子や出店に見通しがきく、ホール出入口付近で歌うことを提案。了解を得た。
祭りの余韻がしばし消えないので、時間を15分遅らせ、終了ぎりぎりの17時45分から歌うことになる。PAは1台のみだったので、移動は短時間で済んだ。
1曲限定で、手慣れた曲だが、歌うキーには直前まで迷った。尾崎紀世彦の原曲ではDで歌っているが、私は普段Cで歌う。しかし、これでもまだ高すぎる気がし、前日にはもうひとつ下げたB#の譜面も準備した。
当日になってまた不安になり、妻に一緒に歌ってもらったら、女声だと逆にB#は歌いにくく、むしろCのままでよい、との結論。チェックしてもらってよかった。
本番は無難にこなしたが、進行の方が上手にリードしてくれて、サビの部分を曲間で歌詞指導しつつ、全員で歌うという趣向がピタリはまり、スタッフや出演者が中心の場は、自然発生的な手拍子も飛び出して大変な盛り上がりよう。
終了後、またまた場に余韻が残り、アンコールが飛び出しそうな雰囲気にもなったが、楽しみは次回への期待として持ち越すのも、時にはよい。
突発的な依頼だったが、予想を超える成果を出せたと思う。直前のステージ変更の判断も正解。館長さんにも喜んでもらえた。