イベントライブ顛末記


大宥寺・新春祈祷会 /2015.1.11



 市内のお寺での新春祈祷会コンサートに出演。依頼はネット経由でかなり前にあり、担当の住職Yさんには事前にチカチカパフォーマンスを聴きに来ていただき、その後会場となるお寺の本堂にも出向き、下調査まで済ませていた。
 PAは本堂に備えつけの立派な設備を使用することになり、持参する機材としては、電子譜面搭載のマイクスタンドとギターだけという軽装備。万事ぬかりなく、気がかりは豪雪による交通障害だけのはずだった。

 前日に大雪が降って今冬2度目となる陸の孤島状態に陥ったが、深夜になってようやく除雪車がやってきて、交通障害の不安は消えた。
 早めに起きて車庫前を除雪。念のため前夜から予備として準備したPA一式を車に積み込もうとリモコンキーを操作するが、なぜか全く動作しない。1年ほど前にも起きた電池の劣化かと考え、手のひらで温めてみたが、変化なし。
 やむなく直接鍵穴に入れてドアを開け、車を少し前に出そうとエンジンキーを回したが、うんともすんとも言わない。(しまった…!)と天井を見上げると、室内灯のスイッチがONのまま。消し忘れでバッテリが上がってしまったのだ。
 過去にも2度、似たような間違いでバッテリを上げている。またやってしまった…。

 短い時間で対策を考える。出発時間が迫っていたので、近所の方にバッテリ起動をお願いするしかない。隣家に駆け込んで事情を話し、ブースターケーブルでバッテリ間をつないで始動を試みるが、うまくいかない。
 大型の車に変えて再度試みても同じで、完全にバッテリがやられているらしい。この時点で車での移動をあきらめ、万一の豪雪に備えて前夜考えておいた、車なしでの移動を決意する。

 最低限の機材だけをまとめ、いつも頼んでいるタクシー会社に電話すると、5分ほどで玄関前まで来てくれた。時計は11時15分あたり。運休の多いJRは避け、最寄りの地下鉄駅まで移動。
 地下鉄なら乗り換えなしでお寺近くの駅にたどり着く。そこから再びタクシーに飛び乗り、当初予定してた12時ちょうどに先方に着いた。

 祈祷開始は12時30分で、それまでにマイクテストと住職Yさんとのオカリナコラボ演奏の音合せを終わらせる手はずである。挨拶もそこそこに、会場にマイクスタンドを置き、数曲をテスト。突然のトラブルで自宅での練習が全くやれなかったので、いいリハーサルになった。
 やや不安だったギターのマイク録りは、小型の無線マイクの感度がよく、DIYで作ったマイクホルダにもクリップやテープなしで、うまく固定できた。

 150席ほどの椅子が整然と並んだ会場は、じょじょに埋まって祈祷の開始までには、ほぼ満席に。私も会場の片隅で祈祷に参加させていただいた。宗派は異なるが、同じ仏教なので抵抗はない。

 読経がやや伸びて、13時35分くらいから私の歌が始まる。リクエストやコラボ演奏を含め、先方の希望通り40分ちょうどで13曲を歌った。


「北国の春」
「おかあさん」
「ソーラン節」
「知床旅情」
「幸せなら手をたたこう」
「リンゴの唄(全員で)」
「バラが咲いた」
「高校三年生」
「酒よ」
「月がとっても青いから」
「酒と泪と男と女(リクエスト)」
「どんぐりころころ(オカリナとのコラボ演奏)」
「青い山脈(全員で)」


 会場の年齢層は40〜80歳といったところ。子供の姿もちらほら見える。事前の打合せで介護施設でのセットに準じたものをと言われていたので、昨年暮れの介護施設ライブで好評だったセットを中心に構成した。
 開拓時代から100年以上も続く曹洞宗の由緒ただしき寺である。全道各地から集まった30人を超す僧侶による読経は厳粛そのもの。その直後の会場は荘厳な気分がまだ隅々にまで漂っていて、非常に難しい場となった。

 全体的に場の反応は弱く、自然発生的な手拍子は少なかった。最も湧いたのは「幸せなら手をたたこう」。「リンゴの唄」「青い山脈」は事前に歌詞カードが配られ、全員で歌った。
 出掛けのトラブルの影響もなく、声はまずまず出たが、スピーカーが全て天井に埋め込まれていて、音が上から降ってくる感じ。モニターはしやすかったが、歌が聴き手にどう届いていたかは、よく分からなかった。

 時間がやや余ったので、9曲目を終えた時点で、1曲限定の先着順でリクエストを募った。10曲目を歌う間に考えていただく趣向だが、終わるとすぐに手が挙がって「河島英五をぜひ」との声が3列目あたりの中年婦人からかかる。
 ただちに歌い始めようとしたら、千昌夫の「味噌汁の詩」が続けて後列の男性から飛び出す。時間的に厳しく、そもそもレパートリーにない。お断りせざるを得なかった。

 これまで経験のない場だったので構成は手探りだったが、思っていたより年齢層の幅が広く、フォークやシャンソンなど、新しい曲をもっと混ぜるべきだったかもしれない。しかし、担当の若住職Yさんのイメージには沿った内容だったと思う。
 なにより、まるで昨年暮れの豪雪によるライブ断念の悪夢を再現させるようなトラブルに遭遇した割に、大きなキズもなく無難に場をこなせたことを喜ぶべきであろう。


 

たんぽぽ新年会 /2015.1.18



 わずか3日前に依頼された町内会関連の新年会余興に出演。ほとんど準備期間のない突発的ライブだったが、社福協の敬老会や地域サロン等で日頃からお世話になっているK子さんからの依頼なので、万難を排して臨んだ。
 あとで聞いたが、これまでずっと使ってきた会場のカラオケ機が突然の故障で使えず、レンタルは費用が予算オーバーで困っていたらしい。

 昨年暮れから、ライブ前になると決まって天候が悪化。前々回は豪雪で車が出せずに、無念のキャンセル。前回は滑り込みで除雪は間に合ったが、思いがけぬ車のバッテリ上がりで対応に振り回された。
 今回も前日から大雪注意報が発令され、20センチを超す積雪に見舞われた。幸いに明け方までに雪は峠を越し、除雪車もやってきたが、玄関前の除雪に1時間を費やした。

 ライブ会場までは車で10分足らず。交通渋滞の心配はない。下調査の時間がとれず、リスクを避けてPAは2スピーカー方式を選択した。
 16時から新年会が始まり、挨拶などあって、予定通り16時10分からライブ開始。休憩をはさんで前後半に分け、正味48分で16曲を歌った。極端な隔たりは避け、最近の傾向である幅広いジャンルからの選曲を意識した。


《前半》16:10〜16:33
「憧れのハワイ航路(リクエスト)」
「お富さん」
「知床旅情」
「ソーラン節」
「幸せなら手をたたこう」
「矢切の渡し」
「エーデルワイス」
「あの素晴らしい愛をもう一度」

《休憩》16:33〜16:40

《後半》16:40〜17:05
「つぐない」
「お座敷小唄」
「年下の男の子」
「雪が降る」
「月がとっても青いから」
「浪花節だよ人生は」
「リンゴの唄」
「二人は若い」


 聴き手は40人ほど。60〜80歳の地域中高年が中心で、子供も2人いた。会場が思いのほか広く、立派なステージも常設されていて、PAは2台準備して正解だった。

 乾杯の直後から歌い始めたこともあって、前半は食べるのに忙しく、拍手はまばら。まあ、これは過去の酒席と同じ傾向で、ある程度覚悟していた。
 比較的反応がよかったのが、「幸せなら手をたたこう」。全員が畳に座っているので、いつも2番で歌う「幸せなら足ならそう」が使えない。やむなく予備の歌詞「ほっぺつねろう」で代替したが、「ギュツギュ」と擬音を入れたので、うまく収まった。

 反省は手拍子系の2曲を早い時間に歌ったこと。「お富さん」「ソーラン節」がそれで、飲食に忙しい時間帯では、手拍子を暗黙に促す曲は避けるべきだった。
 たとえば「ブルーライトヨコハマ」のような、明るめの昭和歌謡を選択するのが無難だったろう。

「エーデルワイス」はこの日が偶然誕生日だというK子さんにむけたお祝いソング的位置づけ。「何か華のある曲をぜひに」とのリクエストに応えたものだ。

 曲間のMCが使いにくい状況ということもあって、前半が予定より2分早く終了。休憩時間を3分詰めて、後半は予定より5分早く開始した。
 後半は飲食も一段落し、聴き手の側にも歌に耳を傾ける余裕が出てきた印象。前半よりも手応えを感じたが、お酒の間隙を突いて歌で引きつける難しさを、改めて思い知った。

「お座敷小唄」は前回がいつだったのか思い出せないほど久々に歌った。そう苦手な曲ではないが、介護施設側から敬遠されることが何度か続き、長く封印してきた。しかし、酒席でなら許されるはず。
 結果として前半の「幸せなら手をたたこう」に匹敵する手応え。宴会には相応しい曲である。同系列の「ノーエ節」もおそらく受けたであろう。

 プログラム上のラストは「リンゴの唄」だったが、MCでその旨を告知すると、ひとりの女性がステージに近寄ってきて、ぜひ一緒に歌いたいという。快諾し、前奏を軽く弾いてキーを確認すると、それでOKとのこと。
 あいにくマイクが1本しか準備してなく、スタンドから外してその女性に持っていただいたが、大変に美しい高音で驚いた。あとで聞くと、合唱をやっていたことがあるという。
 一度ギターの生伴奏で歌ってみたかった、願いが叶って嬉しい、と感激していた。

 やや時間が余ったので、「二人は若い」を時間調整として歌う。全体としてライブ自体が「多いに盛り上がった」とは言い難いが、途中でお酒が足りなくなり、急きょ追加注文したという。宴会のBGM的生演奏としての役割は果たせたようだ。
 K子さんにも喜んでいただき、最も苦手としていた酒席でのライブにも、ある程度の見通しがついた。


 

篠路コミセン・叙情歌サロン02nd〜春編
  「聴き手に後押しされた」
/2015.4.18



 近隣の地区センターにて、第2回目のリクエスト型オープンコンサート、「叙情歌サロン」を実施。昨年12月初旬に実施した初回が好評で、終了後すぐに2回目の打診が施設側からあった。
 イベントを企画したのは私自身なので、喜んでお引き受けしたが、もし2回目も好評であれば、年に3回ほどのペースで定例化しましょうという、大変ありがたい話である。

 とはいえ、最初が良かったからといって、以降も評価が継続するかどうかは、やってみないと分からない。「初めての物珍しさ」という、フロックであった可能性もなくはない。準備期間は充分にあったので、初回の経験をベースに、細かい修正を加えて臨んだ。

 開催日が土曜で、他に大きなイベントのない日。時間帯はカフェ販売の関連もあって、14〜16時という2点は不動である。
 場所も同じロビー奥の展示コーナーだったが、南面するガラスブロックを背に歌うので、まぶしくて歌い手が見えない時間帯がある、との指摘が一部にあった。
 そこで今回は、ステージ位置をガラスブロック間の壁を背にした中央に設定。さらには、節電目的で普段は電球を外してある真上のスポットライト3灯を、コンサート時間限定で点灯してもらうことになった。

 前回193曲だったリクエスト曲は、67曲増やして260曲に。2週間前からの特訓で充分に歌い込み、万全を期した。

 13時15分くらいに妻を伴って会場入り。普段のライブは妻を一切頼らないが、このコンサートだけは例外。案内状を配った方への接客や写真撮影係として、妻の役目は重要である。
 ステージの飾りつけや椅子の設営は施設側ですでに終わっていたが、前回20席だった椅子は、今回39席に増えていた。前回、椅子がすぐに足りなくなり、追加作業に追われたからで、さすがに多すぎる気もしたが、ひとまずこれでやりましょう、ということに。

 ロビーの一角に設けられたカフェコーナーは、今回から近隣の障がい者就労支援施設「ふれあいセンター A・yell」が担当。本格珈琲が150円、手作りパン各種が各100円で販売されている。
(コンサート終了前に予定分を完売したそうで、大変喜ばしい)

 今回、友人知人への案内状配りは最小限にとどめた。前回実施から日が浅く、あまり頻繁にライブ案内するのも考えもの。案内した方にも、「今後定例化の可能性もありますので、お時間ある時にでもぜひ」と添えるのを忘れなかった。

 友人知人を中心に、三々五々と人が集まってきて、開始時刻までには半分以上の席が埋まる。定刻の14時ちょうどからコンサート開始。メール連絡や早めに来た方への直接聞き取りなどで、リクエストはすでに10曲ほど溜まっている。
 第1ステージでは30分で8曲を歌った。


「麦の唄」
「イエスタデイ」(オリジナル訳詞)
「川の流れのように」
「春雷」
「浜千鳥」
「年下の男の子」
「涙そうそう」
「知床旅情」


 1曲目は初回同様、館長さんのリクエスト。以降、ジャンルや曲調に隔たりがないよう、バランスよく配分して歌うのは、不動の自分流ルールである。
 進行に伴って席もじょじょに埋まり、やがて満席に。歌に集中していて気づかなかったが、あとで館長さんに確かめると6席を追加して、最終的には45席となったそうだ。

 最初は固かった場の反応も、歌い進むにつれて、次第に熱い手応えに変わってゆく。あっという間に30分が経って、ここで10分の休憩が入る。
 前回は35分〜5分のセットを3回繰り返したが、気力体力面から今回は30分〜10分のセットに変更した。

 休憩中に会場を回ってリクエストを受け付ける。すでに場は充分にこなれているので、ここで20曲を超すリクエストが一気に集まった。今回も無事にリクエストのみでステージをまかなえそうだ。
 14時40分から第2ステージ開始。やや押して、31分で7曲を歌った。


「釜山港へ帰れ」
「ラブ・イズ・オーヴァー」
「星影のワルツ」
「サクラ咲く」(オリジナル)
「いい日旅立ち」
「パフ」
「時代」


 当初、各ステージでは8曲を歌うつもりでいたが、なぜか7曲しか歌えずじまい。場の反応がよく、普段は省略して歌う部分も、原曲通りについ歌ってしまったせいか。
 今回、知人からの要望もあって、初めて完全なオリジナル曲を歌ってみることにした。CDでの評価が高く、季節的にもピッタリな「サクラ咲く」を選んだが、手応えはあった。
 次回以降のチャンスがあるなら、1曲限定でオリジナル系の曲を歌ってみようかと考えている。

 15時40分から第3ステージ開始。ここまで時間は予定通り。公的空間で演る関係もあるが、「ライブの時間は極力正確に」が我がモットーである。
 ラストステージでは定刻までに余裕があったこともあり、40分で11曲を歌った。


「星影の小径」
「津軽海峡冬景色」
「卒業写真」
「Godfather愛のテーマ」
「面影橋から」
「世界に一つだけの花」
「月の砂漠」
「石狩挽歌」
「また逢う日まで」
「花は咲く」
「レット・イット・ビー」(オリジナル訳詞)


 3曲目あたりから、またしても左手指に違和感を覚えた。前回と同じ、緊張下で20曲を超すと発生する指のツリである。ミネラルや水分はスポーツドリンクで充分に補給していたが、まるで効果なし。
 やむなく、曲間でマッサージしたり、セーハでの押さえに余分な力を入れないよう工夫したりして、だましだまし進める。
 この影響からか、得意なはずの「面影橋から」の間奏部で、Bmの押さえが甘くなってしまう、という失態をやらかした。指のツリ対策は、今後克服すべき大きな課題だ。

 それでも進行に伴って、場の反応は尻上がりに熱くなった。第3ステージではリクエストに1曲もお応えしてない方を中心に歌ったが、そのせいもあっただろうか。

「世界に一つだけの花」では自然発生的な手拍子が飛び出す。「叙情歌」をうたい文句にしているので、そもそも場は終始静ひつ。歌い終えたあとの拍手で場の反応を推し量るのが常だったので、この手拍子には正直面食らった。
 終了後も、長い拍手がなかなか終わらない。「ありがとうございます」の挨拶を2度繰り返したほど。

 指に不安を抱えているので、いつでも終われるよう、9曲目にラストには相応しい「また逢う日まで」をまず歌う。しかし、場の熱は一向に収まる気配がない。指は何とか持ちそうだったので、続けて「花は咲く」を歌ったが、逆にこれが火に油を注ぐような効果となってしまった。
 終わると場が一種異様な気分に包まれる。もちろん悪いものではなく、強い高揚感のようなもの。これまで経験したことのない感覚だった。
 この日の男女比は2:8ほどで、初回に比べて女性の比率が増えた。全体的に叙情性の強いリクエストが多かった所以と思われるが、そうした比率も関わっていたかもしれない。

 指はすでに限界に達していたが、とてもそのまま打ち切るような気分ではなく、終了予定までわずかに時間が残っていたこともあり、「熱さまし」として、元気の出る「レット・イット・ビー」で締めくくることに。
 いわば、「聴き手に押された自主的アンコール」といった形で、こんな終わり方も過去にあまり記憶にない。

 終了後、たくさんの方々から声をかけられた。ラストの挨拶で館長さん自らが、「今後も定例イベントとして継続させていただきます」と宣言。

「最初と最後のみなさんの顔つきが、まるで違ってましたよ。喜びに満ちて輝いていました」と館長さんから指摘される。 (ちなみに、館長さんは40代前半の女性で、途中の演奏には立ち会っていない)
 自分がステージで感じた思いと一致している。

 全ての方のリクエストにはお応えしたが、最終的に歌えなかった曲は、「糸」「恋人よ」「時の流れに身をまかせ」「少年時代」の4曲。前回との重複曲は、「時代」「川の流れのように」のわずか2曲のみ。聴き手側の絶妙なバランス感覚を感じる。
 気力体力面での課題は残ったが、満足できるコンサートだった。

 いただいたリクエストを詳しく調べると、全26曲のうち、女性歌手が歌っている曲が12曲、男性歌手の曲が9曲、残り5曲が唱歌のように明確に区別できない曲だった。ここでも女性が男性を凌駕している。
 リクエストを貰いつつ歌えなかった4曲でも、女性歌手3、男性歌手1という傾向で、唱歌もどちらかといえば女性歌手が歌うことが多い。

 実はリスト260曲の中でも、女性歌手の曲が100近くを占める。以前にも確かふれたが、女性歌手の曲は自分にとって非常に相性がいい。歌唱法に合っているのだと思う。今後もこの傾向はおそらく変わらない。

 ともかくも、コンサートのおおよその方向性は今回でつかんだように思える。今後歌うべき曲もだいたい分かった。
 大きな不安だった集客面に関し、私自身の集客活動は最小限にとどめたが、施設側で告知にいろいろ配慮してくれ、大変ありがたかった。

・広報さっぽろ:所属する札幌北区の地区センター催事欄に告知され、北区全戸に配布。
・地元紙の販売店ミニコミ誌:イベント欄に告知。北区の地元紙朝刊に折り込み。
・地区センター月間広報:イベント欄に告知。近隣町内会回覧板で閲覧。
・地区センターホームページ:イベント欄に告知。
・地区センター内にフライヤー(ポスター)を掲示。


 ネット系は地区センターHPのみだが、集客面で効果的だったのは、口コミとアナログ的な紙媒体による告知で、これは訪れた方への直接取材でもある程度裏づけをとっている。
 聴き手の中心年齢層が50代以上なので、ネット系での告知にはそもそも無理がある。基本はまだまだアナログなのだ。


 

ばりばらパトス「ドナルドたっく」の陣 /2015.6.10



 札幌市営地下鉄東西線、琴似駅地下にある公的空間「ことにパトス」で、1年半ぶりに歌った。
 2012年10月のカフェコンサート以降、計7度もいろいろなイベントに出演していたが、ガンを患って以来、活動をセーブせざるを得なくなり、すっかり足が遠のいた。

 今回、久しぶりに声がかかったのは、市内にある重症心身障がい者施設の音楽バンドが主催するイベント。平日の昼間に実施ということで、出演できるパフォーマーが限られている。しかも、かってパトスで演奏したことがある者という条件もあった。
 障がい者支援系イベントには、他にもいくつか関わっていて、経験値として大きな問題はない。明るいうちに終わるイベントは身体への負担が少ないので、むしろ歓迎である。他の出演予定者も既知の方ばかりだったので、ありがたくお受けすることにした。

 開始は正午からで、オープニング担当としてパトス系の3人のパフォーマーが順に演じ、30分の休憩をおいて音楽バンドが演奏する、という手順だった。
 11時40分に会場到着。共演のカリットおじさんと、およそ2年ぶりに再会。互いの健康と無事を確かめ合った。

 12時ちょうどにイベント開始。会場使用時間の都合で、リハの類いは一切なしのぶっつけである。
 この日の主役はあくまでラストの音楽バンドで、そこはわきまえておく必要がある。ステージには普段はない車椅子用の傾斜アプローチ台も設置されていた。

 まずはカリットおじさんの紙芝居「黄金バット」があり、続いてまるりっちさんによるピアノ弾き語り「昭和歌謡&アニソンメドレー」やオリジナル曲と続く。みなさん経験豊富で、場のさばきも実に巧みである。
 最初は20名ほどだった聴き手も、場が進むにつれてじわじわと増えてきた。

 1人の持ち時間は20分だったが、予定よりも少し早く進み、12時39分くらいから私の出番となる。久しぶりに歌うせいか、珍しく緊張している自分に気づく。しかし、いざステージに上ってライトを浴びると腹がすわり、落ち着いて歌えた。
 聴き手の年齢層がまるでつかめず、構成には悩んだが、幅広い客層を想定してチョイス。およそ17分で以下の5曲を歌った。


「大空と大地の中で」(フォーク)
「ボラーレ」(カンツォーネ)
「誰も知らない夜」(オリジナル)
「時の流れに身をまかせ」(昭和歌謡)
「オー・シャンゼリゼ」(シャンソン)


 客席を見回すと、予想通り下は20代から上は80代あたりまで、非常に幅が広い。多ジャンルのバラエティに富んだ選曲は正解だった。

 無難にまとめて、休憩となる。事前に了解を得てオリジナルCDの告知をしたが、終了後に買ってくれた若い女性がいて嬉しかった。

 休憩を利用した長い設営時間を経て、ラストの音楽バンド「ドナルドたっく」のステージが始まる。聴き手はさらに増え、30名を超えた。ステージ上にはサポートも含めて20名ほどが陣取る。
 主旋律やリズムは3人のサポートメンバーが補佐していたが、ハンデにもめげずにひたむきに演奏しようという心意気に圧倒された。これぞ音楽が持つパワーであろう。

 長いブランクという事情もあって難しい場だったが、旧交を温めたり、新しい出会いもあったりして、結果として意義あるものとなった。


 

北海道神宮フォークうたごえまつり /2015.6.15



「北海道神宮フォークうたごえまつり」に出演。北海道神宮祭の中日(6/15)に境内の土俵上を舞台に繰り広げられる、ちょっと変わったステージだ。
 主催は北海道神宮で、制作は地域FMの三角山放送局。今年で13回目となるが、2005年から連続3回、4年後の2011年にも出て、「生きていてまだ活動を続けていたら、4年後にまたエントリーします」と、まるでオリンピックのようなあてどもない口約束を、担当の方と交わしたものだ。

 その4年後が今年。折悪しく6月はライブスケジュールが立て込んでいて、前日の14日も早々と予定で埋まった。エントリーをどうすべきか躊躇していたら、4年前のことを覚えていたのか、担当の方から案内メールが届いた。
 出演申込みが多数の場合は抽選となり、いつも2倍を超える競争率。歌うのは1曲限定で、仮に当たってもそう大きな負担ではなく、ひとまず申込みだけはした。

 忘れた頃に出演が決まったとの連絡が入る。大きな義理もなく、集客ノルマや出演料も不要。出演者には弁当や記念品まで出る。純粋に歌そのものを楽しめる稀有な場だ。

 出演した過去4回の大半は雨が降ったり異常低温に襲われたりしたが、この日に限っては温暖な日和である。
 皮肉にもエントリー曲は井上陽水の名曲「傘がない」。タイトルが厄祓いになって、今回は晴れる予感が何となくしていたが、当たった。

 最寄りの駐車場に車を入れ、17時20分に会場入り。司会の女性と簡単な打合せをする。過去4回のうち、2回がトリで2回が中ほどの出演順だったが、今回は出場14組のうち、5番目という早めの順番だった。
 じりじり待たされるのは好まないので、早い出番は歓迎である。

 支給された弁当とお茶をいただく。いつ食べてもここの弁当は美味しい。あまり満腹では歌に差し支えるので、半分だけにしておいた。
(余談だが、お茶の容器は円筒形の紙という、珍しい素材だった)

 顔見知りのライブハウスのマスターがいたので、開演前に写真を撮ってもらう。今回、マスターは抽選で外れたが、ママさんがお客さんとのユニットで出演するらしい。

 18時15分からライブ開始。14組のうち女性は3組で、大半がフォーク系の曲でエントリーしていた。日本のカバー曲なら特に制限はないが、イベント名に「フォーク」が入っているので、傾向としてはどうしてもそうなる。

 いつものことだが、楽屋にはどこかのライブで出会った方が多くいた。私が知らなくても、「チカホで歌っているのを見ましたよ」と声をかけてくれる方もいる。長く演っていると、こうした知り合いが少しずつ増えてゆくものだ。

 前半7組にはゲスト歌手の五十嵐浩晃さんが司会も担当。曲に応じて時折り歌に「応援(乱入?)」するという、全く予定にない現象が起きた。
 臆せずに堂々とコラボする人、反対に緊張して演りにくそうな人もいたりして、客席から観ていると興味深かった。

 予定通りに進んで、18時40分くらいに私の出番。4年ぶりとはいえ、慣れた場なので大きな緊張はない。前回と違っているのは、早めの時間帯で客席が明るく、聴き手の顔がはっきり見えることくらい。しかし、介護施設ライブでの明るさと比べると、まだまだ薄暗い。
 聴き手はこの時点ですでに100人を超えていた。ライブの進行に伴って、音を聞きつけてジワジワと人が集まってくるのも、いつもの現象である。(終了時には200人近くに達した)

 歌い始めて、大きな違和感に気づいた。足元にあるモニタの音量がゼロで、全く音が聞こえない。やむなく勘だけで歌い始めたら、ワンフレーズ歌ったところで、ようやくモニタがオンになる。
 しかし、音が安定するまでやや時間がかかり、歌いにくい状態は続いた。かってなかったことだが、人間のやることだから、こんなこともある。

 5分近くを要する長い曲だが、後半になってようやく音も安定し、気持ちも乗ってきた。客席は身動きひとつせず、じっと聴いてくれている。
 じょじょにボーカルとギターをクレッシェンドして、ラストでズドンとギターをカットして終わる。

 チカチカパフォーマンスでもときどき歌って、非常に反応がよい曲だが、前半の音響トラブルをやや引きずったので、出来は自己採点で60点ほどか。それでも顔なじみの担当者からは、「さすがですね」と労われた。
(ちなみに、私の歌には五十嵐さんの「応援」はなかった)

 終了後のインタビューで、チカチカパフォーマンスに関してあれこれ聞かれ、問われるままに昭和歌謡2曲をワンフレーズずつ歌うことに。

「ところでおいくつなんですか?」と五十嵐さんから聞かれ、「65歳です」と正直に応えたら、会場がかなりざわついた。
「75歳くらいまでは演れそうですね」と励まされる。そうありたいものだが、先のことは分からない。まずは歌えるいまに全力をつくすことだ。


 

篠路コミセン・夏まつり vol.5 /2015.7.11



 長いおつき合いのある近隣地区センターの館長さんから依頼され、急きょ夏まつりのフィナーレで歌うことになった。きっかけは前日に館内PAのトラブル調査に出向いた際、テスト音源で流れていた昭和歌謡。
 私の得意ジャンルなので、「何に使うのですか?」と尋ねると、イベントのBGMで随所に流し、締めくくりのフィナーレでも尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を流して、それに合わせて全員が歌う予定だという。

「そうだ、ひょっとして菊地さんに生演奏で歌ってもらうとか…。レパートリーに入ってます?」

 昭和歌謡の定番曲なので、もちろん歌える。週末だが、スケジュールもぽっかり空いている。CD音源に合わせるより、生演奏でシング・アウトしたほうが盛り上がるのは明らか。
 通算5回目となる今年の夏まつりはステージの予定がなく、日程も1日限定で規模が縮小した。例年何かしらの形で依頼される私の出番はないものと思っていたが、ひょんなことから、今年も協力することになった。

 イベントは11時から始まっていたが、会場入りした17時にはすでに終盤。当初はご当地盆踊り終了後にホール中央で歌うと聞いていたので、そのつもりで機材一式を組立て、スタンバイしていた。
 ところが、盆踊りが終わるとホールにいた人々は一斉に隣接するロビーへと消え、ホール内の出店は片づけが始まった。どうも雰囲気がおかしい。ロビーでは最後に残った食べ物系出店が値引きに入り、けっこうな盛り上がりよう。
 このまま予定通りホールで歌うのは、どう考えても無理があり、いつも「叙情歌サロン」で歌っているロビー内で歌い納めるのが自然な流れである。

 事務室に行って、館長さんと再交渉。ロビー内にある全ての椅子や出店に見通しがきく、ホール出入口付近で歌うことを提案。了解を得た。
 祭りの余韻がしばし消えないので、時間を15分遅らせ、終了ぎりぎりの17時45分から歌うことになる。PAは1台のみだったので、移動は短時間で済んだ。

 1曲限定で、手慣れた曲だが、歌うキーには直前まで迷った。尾崎紀世彦の原曲ではDで歌っているが、私は普段Cで歌う。しかし、これでもまだ高すぎる気がし、前日にはもうひとつ下げたB#の譜面も準備した。

 当日になってまた不安になり、妻に一緒に歌ってもらったら、女声だと逆にB#は歌いにくく、むしろCのままでよい、との結論。チェックしてもらってよかった。

 本番は無難にこなしたが、進行の方が上手にリードしてくれて、サビの部分を曲間で歌詞指導しつつ、全員で歌うという趣向がピタリはまり、スタッフや出演者が中心の場は、自然発生的な手拍子も飛び出して大変な盛り上がりよう。

 終了後、またまた場に余韻が残り、アンコールが飛び出しそうな雰囲気にもなったが、楽しみは次回への期待として持ち越すのも、時にはよい。
 突発的な依頼だったが、予想を超える成果を出せたと思う。直前のステージ変更の判断も正解。館長さんにも喜んでもらえた。