イベントライブ顛末記


篠路コミセン・夏まつり vol.4 /2014.7.12



 近隣の地区センターで開催の夏祭りイベントに出演。私の担当は、13時半開始の「昭和歌謡リクエストタイム」なるもの。会場からのリクエストにより、昭和歌謡を生歌とCDとで流そうという新企画で、その生歌の担当が私である。

 打診があったときは、ちょっと躊躇した。得意な昭和歌謡はともかく、全てを聴き手からのリクエストで進行するのは、まるで未知の世界である。
 しかし、特に今年になってからのチカチカパフォーマンスでは、一部の突発リクエストにも、臨機応変に対応している。CDとの併用なら、何とかやれるのでは…。半分は好奇心もあって、結局お受けすることに。

 30分早く会場に着くと、ステージ周辺が慌ただしい。聞けば、音響関連の電源ブレーカーが落ちてしまい、PAが使用不能だという。直前の出番だった大学のアカペラグループが、困り果てた様子。10分経っても復旧せず、業を煮やしてノーマイクで歌い始めた。
 1曲目を終えたところで、別系統から延長ケーブルで電源を供給し、ようやく復旧。ここで15分ほど時間が押してしまった。

 その後消防署の防災クイズがあり、予定より遅れて13時45分から私の出番となる。この日の機材は、月末の別の地区センター・シルバー大学講義のために整えた自前のシステムを、初めて試すつもりだった。
 マイクスタンド、電子譜面、マイク、ミキサー、モニタースピーカー、関連ケーブル類一式は、自宅でチェック済みのものを持参。全機材が乾電池駆動で、機器の各種数値は事前に設定を終えている。ミキサーからのアウト端子1本を会場に設置のマイクケーブルにつなぎ、設置はあっという間に終わった。
 事前のリハは一切やっていないので、ミキサーの主音量だけはその場で調整し、準備完了である。

 いきなりリクエストを募っても、すぐには出ないだろうとの予想から、「最初だけ知り合いに頼んでおきましょうか?」との打診もあったが、慎んでご辞退し、まずは数曲を生歌で歌ってみて、そこからMCでリクエストを引き出す手法をとった。

 まずはニギヤカ系の「どうにもとまらない」を、続けて若い層にも人気のある「赤いスイートピー」を歌う。場内はステージ後方の壁際にたくさんの食べ物系バザーが出店されていて、かなりのにぎわい。生ビールも売られていて、ステージから遠い場所では、歌よりも飲食に夢中、といった印象だった。
 それでも2曲歌った時点でリクエストが飛び出す。何とそれが「異邦人」で、あいにく即座に取り出せる昭和歌謡系ファイルには入れてなく、検索に時間がかかりそうだった。CDリストにあることは分かっていたので、すぐにかけてもらった。

 係員が会場に入り、リクエストをくれた方にインタビューなどするうち、同じテーブルの女性から「松山千春ならなんでも」というリクエストが続いて出た。こちらは予想の範ちゅうで、ただちに「季節の中で」を歌って対応。
 その後、リクエストが途切れたので、「カサブランカ・ダンディ」でつなぐ。最初は関心の薄かった場も、少しずつ反応がよくなってきた。

 すると、いきなり2曲まとめてリクエストが出た。「ルビーの指環」と「いい日旅立ち」がそれで、あいにく「ルビーの指環」は一度電子譜面に入力したものの、ラストの転調部が難解すぎて、断念したいわくつきの曲。
 まず「ルビーの指環」をCDで対応してもらい、流れている時間に「いい日旅立ち」の譜面を検索。終わるとただちに歌いつないだ。

 歌っていて気づいたが、CDよりも生歌のほうが、聴き手の反応が抜群にいい。プロといえど、やはりCDはCDで、多少の難はあってもライブの魅力は捨て難い、と手前味噌に考えよう。

 歌い終えると、「大空と大地の中で」をぜひに、との声あり。てっきり最初と同じ方かと思いきや、あとで聞くと別の方だったらしい。譜面は偶然「いい日旅立ち」と同じファイル内にあり、難なくたどり着く。
 その後休みなく「秋桜〜コスモス」のリクエストが入る。2年ほど前にディサービスでリクエストを事前にもらい、一度だけ歌ったことがある。無難に対応。

 当初は1時間の予定だったが、終了時刻は予定通り15時30分と聞いていた。残り時間が少なくなり、続くリクエストもないので、時間調整として「ブルーライト・ヨコハマ」を歌う。ちょうど時間となったが、次の催しの準備が整っていない。「もう1曲お願いします!」との館長さんの要望により、「青春時代」を歌う。
 この日は全体の進行がアバウトなこともあり、全曲をフルコーラス歌った。ラストになったこの「青春時代」が一番の盛り上がりで、会場から期せずして手拍子が湧いたほど。

 結果として45分間を使い、リクエストが6曲。私の生歌で4曲、CD対応が2曲ということになった。要所のつなぎで別に5曲歌ったので、全体では11曲。うち、私の生歌としては9曲。虚をつかれた印象の「異邦人」も、予め昭和歌謡ファイルに入れておけば、瞬時に対応できたと反省。
 しかし、初めての冒険的試みとしては、無難に場をまとめたと思う。今後の課題としては、譜面の検索時間を早める工夫をすること。検索時間は場の雰囲気として30秒が限度で、売れた曲はジャンルにこだわらず、同じファイルに入れておくのが無難だ。

 初めて実戦で試した「自力モニターシステム」は思惑通り、何ら問題なく使えた。マイクとギターのバランスやモニタの調整が、全て手元で自分でやれるのが最大の魅力。今後この種の場では、全てこのシステムで臨みたい。

 帰宅後、「ルビーの指環」を再度練習。ラストの転調部は原曲の半音ではなく、1音上げてやると何とか演れることが分かった。売れた曲は好き嫌いにこだわらず、レパートリーに加えておくべき。これまたこの日の教訓。


 

太平百合が原大学・音楽講座 /2014.7.25



 かねてから準備中だった、近隣地区センターが主催するシルバー大学音楽講師の業務を無事に終えた。あえて「業務」と記したのは、いろいろな点で通常のライブとは、かなり異なるスタイルであったから。
 そもそもの発端は、4年前にロビーコンサートの企画書を持って「営業」に訪れたこと。交渉相手は運営するNPO法人だったが、企画書はすんなり通り、以降毎年のように地域住民むけの音楽系イベントに出演依頼されるようになった。

「いずれシルバー大学の講師もぜひに」と打診されていたが、話が具体化したのは、昨秋の地域中高年対象の敬老イベントでのこと。過去の実績があるせいか、所属や肩書き、資格は特に不要とのことだったので、ありがたくお受けすることにした。

 5月上旬に正式な依頼があり、テーマはかねてから構想にあった「北原白秋〜そして北の叙情歌」で即決。その後、具体的な選曲や、曲にまつわる歴史的事実の裏付け調査、そして曲間で説明する原稿書きなど、綿密な準備を重ねて、ようやくこの日を迎えた。

 講座はすでに6月下旬から始まっていて、毎週金曜の14〜16時に定期開催中。終了は10月という長丁場だ。
 私の担当する「音楽」は、全15講座のうちの5番目。各講座の内容はさまざまだが、あくまで「生涯学習講座」という位置づけなので、それをある程度意識した内容でなくてはならない。

 普段は「聴き手を楽しませる」「聴き手に感動してもらう」といった基本姿勢で歌っているので、この「学んでもらう」というエキスを注入する作業が、最も難しかった。ただ難しい言葉を並べるだけではダメで、聴き手の興味を引きつつ、「なるほど」と納得してもらう必要がある。

 13時半に会場入りし、機材をセットして音響の調整をする。特に事前のテストはしてなく、ぶっつけ本番に近いが、2週間前に別の地区センターで試してうまく機能した「ミキサー経由でマイク端子につなぐシステム」をそっくり使用。こちらのPAでも音はすんなり出た。
 講座の受講者数は88名で、人数分の椅子がホールに準備されていたが、開始前までにほぼ満席となる。
(合計参加者は81名で、ここまでの最高人数だったらしい)

 14時ちょうどから講義開始。事前の打合せで「曲よりも逸話中心で」とあり、状況次第では予定曲を減らしても構わないとのこと。
 自宅で重ねたイメージ講義に従って進めたが、時間を気にするあまり早口になってはならず、講義(MC)の分で、かなりの時間を費やした。

 前半50分で歌ったのは、以下の11曲である。
(全て北原白秋作詞。※は初披露)


「ゆりかごの歌」
「城ヶ島の雨」
「あわて床屋※」
「からたちの花※」
「ちゃっきり節」
「砂山(中山晋平作曲)」
「砂山(山田耕筰作曲)※」
「あめふり※」
「雨(弘田龍太郎作曲)※」
「雨(成田為三作曲)※」
「この道」


 ひとつの歌詞に2つの曲がついているものは展開が面白いので、すすんで取り上げた。結果的に時間が足りなくなってしまい、予定していた「ペチカ」「待ちぼうけ」が歌えずじまい。(説明だけはやったが)白秋の曲は途中を省略して歌えるものが少なく、悔いは残るが、やむを得ない選択だった。

 場が終始静謐で、まさに「講義」といった印象である。ただ、歌ったあとの拍手は熱く、手応えは悪くない。(ここ…)と力を入れて説明した部分にも、期待通りの反応があった。
 最もリスクが高いと思ってた難曲「からたちの花」も、ボーカル中心で無事に乗り切る。

 前半終了は14時52分。予定よりも2分オーバーとなり、後半開始は15時5分となった。ところがここで思わぬトラブル。後ろのほうの聴き手から「歌とギターは聞こえるが、話がよく聞き取れない」という声があったのだ。
 急きょミキサーや会場のPAを調整するが、どうもうまくいかない。備えつけの無線マイクは機能するので、講義(MC)はこちらのマイクを使うことにした。

 マイクスタンドが急に2本に増え、やや戸惑ったが、あくまで聴き手が中心である。幸いにハウリングはなく、その状態で後半を始めた。
 後半の切り口は「北の叙情歌」で、結果として以下の12曲を歌った。


「時計台の鐘」
「マリモの唄※」
「さくら貝の歌」
「襟裳岬(森進一)」
「襟裳岬(島倉千代子)※」
「知床旅情」
「宗谷岬」
「北の旅人」
「石狩川悲歌※」
「アカシアの雨がやむとき」
「熱き心に」
「青い山脈(アンコール・リクエスト)」


 前半の北原白秋が初披露かそれに近い難曲の連発で、非常に神経を使ったが、後半は手慣れた実績ある曲が中心である。しかし、思わぬ音響トラブルで開始が15時8分あたり。「終了時間は守ってください」と事前に言われていたので、何とか途中で時間調整する必要があった。

 後半1曲目「時計台の鐘」は、前半ラストの「この道」に登場する札幌時計台をキーワードにし、たすきをつなぐ形で選曲した。ここから北海道を順に周り、最後はまた札幌に戻ってくるという趣向である。
 時間を配慮し、フルコーラスは最初から断念して、割愛可能な曲は2番までに縮めた。無難に歌い進んだが、「さくら貝の歌」あたりで左手指に異変を感じた。いわゆる「つる」気配である。

 緊迫した場で曲数を重ねた際にしばしば起きる現象だが、幸いにまだ兆候の段階。ホールに冷房はなく、非常に蒸し暑い環境で、水分不足も影響しているのは明らかだった。
 以降、用心して押えを軽めにし、こまめにスポーツドリンクを補給しつつ歌い進む。

 どうにか大事に至らずにラスト近くまで進んだが、時計はすでに15時45分あたり。時間的に残り3曲を歌い切るのは無理なので、予定していた「雪の降る街を」をカットすることを即断した。もともとが冬の歌なので、削除候補の筆頭。これまたやむを得ない選択である。

 予定をややオーバーして、15時52分に終了。質疑応答に10分を予定していたが、特に何も出ないので、「日本の歌百選」の説明をして締めくくろうとしたら、期せずして場内から「アンコール!」の声が湧く。
 全く予想もしてなかった展開にかなりあわてたが、ホール内にいた館長さんにお伺いをたてると、まだ16時までに7〜8分残っていたこともあって、1曲限定でOKのサイン。

「みんなで歌える歌を」「《青い山脈》ぜひ歌ってくださいよ」などとの声があり、ただちに応じた。
 一般の介護施設同様に、曲中に歌詞指導を入れつつ歌う。途中からさらに盛り上がって、全員の手拍子へと発展する。2番以降は、その手拍子にリズムを合わせて歌った。

 終了は16時2分前で、想定外のことがいろいろあった割に、結果的にはうまく収まった。会場の出口でみなさんを見送ったが、

「とてもよかった」
「あめ玉、差し入れです!」
「出身が同じ幌加内町です。感激しました」
「息子が同じ工業大学の出身なんです。いろいろやってらして、驚きました」
「CDあればぜひ欲しいんですが…」

 など、終始静謐だった会場の雰囲気とは打って変わった熱い反応に、こちらが戸惑うほど。思うに、ラストで飛び出した自然発生的アンコールが、この日の聴き手の正直な感想だった、と考えてよさそうだ。
(オリジナルCDは持参していたので、館長さんの許可を得て販売した)

 全てが手探りの連続で、未知の場に対する怖さも正直あったが、終わってみれば大きな経験と自信につながった。数年後しの構想だったライブを無事に乗り切って、いまはただホッとしている。


 

望羊町内会女性部サロン /2014.9.10



 GW直後に依頼され、3週間前に会場下見とプログラム調整を済ませていた町内会女性部サロンの余興に出演。以前にもふれたが、今回のライブはチカチカパフォーマンスで私の歌を偶然4度も聴いてくださった方からの依頼である。
 私よりひと回り以上も若い方だが、この春に地元町内会女性部長に就任し、女性部のイベントに新しい風を吹き込みたいとの意向で、声をかけてくださった。

 会場は札幌南部、札幌ドームのすぐ近く。自宅から25キロほど離れた地区なので、直前のリハもそこそこに、11時過ぎに家を出る。
 12時過ぎに会場到着。開始は午前10時30分からで、第1部は市民活動家の深町さんによる原発の勉強会があり、私の担当は昼食後の第2部。硬い話のあと場を和ませ、リラックスしてもらう役割と思われた。

 会場となる町内会館は決して新しくはないが、手入れの行き届いた清潔な印象の建物。みなさんちょうど食事を始めたところで、私も五目オニギリを1個だけいただく。その後設営に入り、ライブ終了後の抽選会などの打合せ。

 実はこの日、オリジナルCDを町内会で買っていただき、参加者に抽選で進呈することになっていた。その抽選役が私。
 当初は5枚のはずだったが、会場で頒布価格(500円)を告げると、1枚千円で予算を組んでいたという。CDは15枚持参していたので、急きょ買い上げ分を10枚に増やし、残りの5枚を抽選に外れた方への販売分とすることに。

 予定より10分早く、12時40分からライブ開始。聴き手は35名で、当然ながら全員が女性。当初は15名前後の参加数だったが、締切直前になって急に増えたという。加入世帯数は200弱と聞いていたので、この種のイベントとしては、かなり多い印象がする。
 女性部のイベントなので、構成はそれを意識した叙情性の強いものとなった。つまりは、私の最も得意とする路線である。アンコールを含め、およそ50分で12曲を歌う。


「ラストダンスは私に」
「サン・トワ・マミー」
「愛燦々(リクエスト)」
「少年時代」
「北の旅人」
「夕凪ワルツ(オリジナル作詞)」
「エーデルワイス」
「月の沙漠」
「ブルーライト・ヨコハマ」
「熱き心に」
〜アンコール
「オリビアを聴きながら」
「亜麻色の髪の乙女」


 3週間前の会場打合せで私が提案した構成に沿ったものだが、「サン・トワ・マミー」「月の沙漠」「ブルーライト・ヨコハマ」はそれぞれ「サンタ・ルチア」「かなりや」「アカシアの雨がやむとき」からの変更。アンコール2曲は、打合せ時点で最終候補に残って漏れたものを歌った。

 序盤の数曲は、会場内にややざわつきもあったが、中盤以降のアルペジオ系の曲になると、場内の「気」が一点に集中してくる気配を感じた。後半になると、曲に合わせて身体をゆったりと左右に揺れ動かす方が続出。大半の方が床に座って聴いていたことも関係ありそうだが、過去にあまり経験のないこと。

 この日は意識的にMCを多めにした。最近は曲にまつわるエピソードを電子譜面に短く記しているので、MCネタには事欠かない。場をリラックスさせ、自分のペースに持ち込むには効果的だった。
 3曲目を終えたあと、ギター弾き語りを始めたきっかけの曲として、岡林信康の「山谷ブルース」をワンフレーズだけ歌った。プログラムにはない予定外の歌だが、いいメリハリだったと、終了後の反省会でも好評。

「癒やしのひとときをぜひに」と、責任者のSさんから事前に聞いていたが、その目的は充分に果たせたと思う。(期待に応えよう…)という気負いとプレッシャーが正直あったが、どうにか乗り切れた。

 終了後、オリジナルCD10枚の抽選会へと進む。これだけでも身に余る話なのだが、抽選にもれた方で欲しいという方がいて、結局予備として持参した5枚も完売。場の雰囲気も後押ししたように思える。身の程を知って、ほどほどに考えておくことにしよう。

 片づけを終えたあと、女性部のスタッフの方による簡単な反省会があり、「近来まれに見る好企画」との参加者アンケートが読み上げられる。アンケートは後日提出の手はずだったが、その場で書き残した方がいたらしい。
 チカチカパフォーマンス経由で依頼された初のイベントだったが、予想をはるかに超える手応えと評価をいただいた。今後の自分の進むべき方向が、少し見えてきた気がする。


 

チカチカパフォーマンス 第7期オーディション/2014.10.5



 第7期チカチカパフォーマンス、オーデションの日だった。本来なら1週間前に屋外のアカプラで実施されていたはずが、雨天予報のため(実際は降らなかったが)屋内会場に順延。
 特別枠活動者なので、再来年3月までオーデションは免除されているが、パフォーマンス終了後の審査時間中の場つなぎとして、ゲスト出演を事務局から依頼されていた。

 折しも2枚目のオリジナルCD録音作業の真っ最中。しかも予定が1週間延びたとあって、気持ちの調整が難しかったが、しばらくイベント系の場からは遠ざかっている。ライブ感覚を磨くいい機会だと考えた。

 会場はJR琴似駅そばにある文化施設&劇場コンカリーニョ。近くでは何度もライブをやっているが、この施設に入るのは、今回が初めてだった。
 立派な照明設備と200席ほどの椅子が並んだ会場で、パフォーマンスは舞台のないフラットな空間で繰り広げられている。

 オーデション自体は13時開始だったが、私の出番は17時10分で、会場入りは15時30分ころ。ちょうど後半の始まる直前の休憩時間だった。更新のパフォーマーは多くが顔見知り。そのまま座席でパフォーマンスを見届ける。
 今回からパフォーマンス終了後に、審査員から出演者にむけての質疑時間が設けられ、かなり厳しい質問も飛び交ったりし、これまでよりも一段とハードルが高くなった印象が漠然とした。

 あっという間に自分の出番がやってきた。開始時間はやや押して、17時20分ころ。持ち時間は15分で、マニアックな内容は避けて、場を退屈させない構成を心がけた。
 他と競合する可能性の少ない洋楽を中心に、4曲歌う。

「ボラーレ(オリジナル作詞)」「イエスタディ(オリジナル作詞)」「ケ・セラ・セラ」「オー・シャンゼリゼ」

 聴き手の大半が出演者とその関係者で、普段のような通りすがり対象とは異なる独特の雰囲気。しかも、階段状の客席が目の前に「立ちふさがる」感じで、かなりやりにくい部分はあったが、無難に時間内に収めた。

 私のあとにジャグラー・コーヘイさんのステージがあり、18時ころから審査結果発表が始まる。
 今回はパフォーマンス部門で17組、展示部門で2組のエントリーがあったが、無条件合格はパフォーマンス部門で6組、展示部門2組という狭き門。パフォーマンス部門の2組は6ヶ月限定だったり、展示部門にスライドの条件づきだったりした。

 7組エントリーのあった音楽系は、わずか1組のみ合格という厳しい結果。「通りすがりの市民を惹きつけ、楽しませる」という、大道芸の原点ともいえる一点がシビアに審査され、集客や投げ銭に多く見込めないパフォーマーは、相当の実力があってもハネられた印象がする。

 思いがけない特別枠活動者指定により、ひとまずオーデションは免除されているが、もし今回私が審査を受けていたとしたら、あっさり落とされていた可能性が高い。明日は我が身である。
 チカチカパフォーマンスを始めて、丸3年が経過した。ただ漫然とステージ数をこなしていればいい時期は、とうに終わっている。今後の集客にむけて、難しい命題をつきつけられた思いだ。


 

篠路コミセン〜叙情歌サロン01st
  「オープン&リクエスト形式で盛況」
/2014.12.6



 かねてから準備中だった近隣地区センターにおけるオープンリクエスト形式のコンサート、「叙情歌サロン」を実施。主催はあくまで地区センター(篠路コミュニティセンター)だが、企画を持ち込んだのは他ならぬ私。
 当初は2年前に自主企画ライブをやった視聴覚室を借りてオープン形式でやる予定でいたが、個室ではルール上オープン形式でやれないことが分かり、1階ロビーの一角を借りて地区センター主催としてやらせていただけることになった。

 出入り自由で、もちろん無料。歌う曲は200曲弱のリストから、その場で聴き手に選んでもらうという「聴き手参加型」の一風変わったコンサートだ。近年全国的に盛んな街作り活動の一環ともなる意義深いイベントである。

 雪で真冬日の予報だったが、なぜか午前中からカラリと晴れた。無風で気温もプラスに転じ、この時期にしては穏やかな日和。チカチカパフォーマンスのように通りすがりをイメージした企画だったので、天候の要素は大きい。天が味方した。

 開演は14時だったが、妻を伴って13時10分に会場入り。ステージに予定されていたロビー奥の展示コーナーには、すでに事務局スタッフによって椅子が並べられていた。
 コンサートのコンセプトが「サロン」なので、スペースに余裕をみて並べられた椅子は20脚ほど。足りなくなった場合の予備椅子を後方に20脚準備した。

 PAは持ち込みの打合せだったので、能力いっぱいの2台のPAを持参。マイクスタンドの左右に均等に置いた。リクエスト曲一覧を置く譜面台もマイク横に準備。
 椅子が正面よりやや右をむけて並べられていたので、それに合わせて立ち位置は正面よりやや右に設定した。

 ステージ背面のガラスブロックには事務局スタッフによる「叙情歌サロン」のサインとイラストが貼られ、入り口部分には全193曲のリクエスト曲一覧がA3サイズ2枚に拡大されてイーゼルに立っている。
 その横にはテーブルに置かれたA4版のリクエスト曲一覧が30枚ほど。100円の有料コーヒーコーナーもあり、専任スタッフが張りついている。準備万端整った。

 セッティング中から事前に案内した知人が三々五々と現れる。「オープン形式」を強く意識して企画を進めたので積極的な集客活動はせず、「コンサートの折にはぜひご案内を」と、日頃から頼まれている方々を中心に案内状を送った。

 14時ぴったりから開始。休憩5分を含めて40分ステージを3回、合計2時間やる予定だったが、最初のステージはリクエストが出にくいと予想し、過去に様々な場でリクエストのあった曲を中心に歌う気でいた。
 ところが、開始前に知人に聞いて回った時点で、続々とリクエストが飛び出す。1ステージでおよそ9曲を歌うつもりでいたが、全て会場からのリクエストでやり繰り可能であることが分かった。
 第1ステージでは以下の10曲を歌った。


「学生街の喫茶店」
「サン・トワ・マミー」
「銀色の道」
「夜霧よ今夜もありがとう」
「白い冬」
「鱒(シューベルト)」
「パダン・パダン」
「荒城の月」
「木綿のハンカチーフ」
「時の流れに身をまかせ」


 歌い進むにつれ、客席はどんどん埋まって、結局予備席もすべてセットすることに。時間帯によって出入りはあったが、平均して40名の聴き手が常に場にいた感じだ。
 私の案内による知人とその関連の方は合計で13名。他は全て通りすがりの見知らぬ方々である。定着率も高く、有料のコーヒーが結構な売れ行き。

 時間通りに進行して、14時40分から第2ステージ開始。以下の9曲を歌った。


「異邦人」
「わかっているよ」
「時代」
「夢の途中」
「宗右衛門町ブルース」
「モルダウの流れ」
「五番街のマリーへ」
「傘がない」
「川の流れのように」


 第1ステージ終了後の休憩時に、多くの方がリクエスト用紙の希望曲にマルをつけて持ってきてくれた。中には一人で10曲を超えるリクエストもあったが、全曲はとても無理な情勢。途中から「一人最低1曲のリクエストには必ず応える」という方向に方針転換せざるを得なかった。
 予期せぬ来場客とリクエスト数に、(リクエストが埋まるのは全体の半分くらいでは…)と事前に抱いていた一抹の不安も吹き飛ぶ。まさにうれしい悲鳴である。

 曲の構成で腐心したのは、7ジャンルに分けた曲のバランス。結果として昭和歌謡ポップス系6、昭和歌謡演歌系5、J-POP系2、フォーク系6、唱歌系1、洋楽系2、シャンソン&クラシック系5という配分になったが、これらを受けたリクエストの中から隔たりなく瞬時にセレクトし、同じ傾向の曲が連続しないよう、曲順も考慮しつつ進める必要がある。
 非常に難しい作業だったが、チカチカパフォーマンスで日頃培ったアドリブ的センスが活き、ほぼ思惑通りにうまく運んだ。

 第2ステージの終わり頃、左手の指にやや違和感を覚えた。20曲近く歌った際にしばしば起きる「指がつる」状態である。症状はそれほどひどくないので、第3ステージは曲をやや短めにし、MCを長めにとって曲間に指関節をマッサージしながら進めた。
 第3ステージでは以下の8曲を歌う。


「カントリー・ロード」
「北の旅人(南こうせつ)」
「時の過ぎゆくままに」
「酒よ」
「青葉城恋唄」
「アメイジング・グレイス」
「少しは私に愛を下さい」
「青春時代」


 結果として歌う曲数はステージごとに1曲ずつ減ったが、喉と指の負担を考えると妥当な選択だった。幸いに指のつりは悪化せず、定刻の16時に合計27曲を歌い終えた。
 全曲をリクエストでまかなうことが出来たが、最終的にリクエストに応えられなかった曲が22曲。つまり、全49曲のリクエストが飛び出したことになる。

 最もリクエストが集中したのは久保田早紀の「異邦人」で、5人の方が希望。次点は「サン・トワ・マミー」の4人で、歌った曲の多くが複数リクエストのあった曲。慎重に絞り込んでリストアップした曲の傾向は、おおむね正解だったといえる。
「オンリーワンリクエスト」つまり、「お一人が1曲のみリクエスト」は5曲が該当したが、全てお応えした。
 コンサートの終盤では、「リクエストに1曲もお応えしてない方はおられますか?」と場内に確認をとる。せっかく参加しても、自分のリクエストが全く歌われないのでは、ツマラナイだろう。私が聴く立場ならそうだ。

 参加者の最高年齢は近くに住む小学校時代の恩師で、70代後半。最低年齢は学習コーナーに居合わせた女子中学生で、なぜか「時の流れに身をまかせ」をリクエスト。なにゆえ中学生がテレサ・テンなのかは聞き漏らしたが、人の好みはそれぞれであるということか。
 聴き手の男女比は、およそ4:6といった印象。チカチカパフォーマンスなど、普段は圧倒的に女性の比率が高いが、意外に男性が多くて驚いた。一過性かもしれないが、傾向としては悪くない。

 終了後、館長さんからコンサートの定例化を打診される。おそらく過去に誰もやったことがないような切り口で、大いなる冒険でもあったが、予想を超える盛況だった。ロビーコンサートの新しい方向性を示せたと思う。
 毎月は無理でも、季節ごとに年4回程度ならやれるかもしれない。新しい力が湧いてくる。

 帰宅後の妻との反省会では、電子譜面を探す時間がやや長い場面があったこと、日没までの窓からの逆光がまぶしかったこと、持参の小型イルミネーションを点け忘れたこと、MCでの客席とのキャッチボール(交流)をもっと増やすべきだったことなどが挙がる。なるほど、的を射た指摘だ。

 しかし、今後の方向性としては間違っていないことを確認。修正すべき点は次回への宿題ということで、楽しみが増えたと前向きに考えよう。


 

フォーラム北海道 喜寿祝いコンサート /2014.12.20



 予想外の事態で3日連続のライブとなってしまった2日目である。この日は夕方のライブの前に、年明け早々に実施される市内の寺でのコンサート(新春大般若祈祷会)の会場調査にも行く約束になっていた。
 寺は市の中心部近くにあり、このところ雪と悪路による交通渋滞で、時間ギリギリの状態が続いているので、かなりの余裕をみて家を出た。

 昨日と違う幹線道路を選んだせいか車の流れは順調で、早めに先方に到着。そのまま30分ほど会場の下見をし、当日のスケジュールを打ち合わせる。
 聴き手は檀家の方々150名ほどで、心配していたPAは、寺の本堂に立派な音響装置が備えつけてある。実際にマイクで歌ってみたが、近隣の地区センターにも負けない音。問題なく使えそうだ。

 その足で都心のホテルへと向かう。ある市民グループの定期総会があり、代表の方の喜寿をかねたお祝いが同時に実施される。その余興として歌う。

 声をかけてくれたのは、チカチカパフォーマンスの聴き手として知り合い、その後町内会女性部懇親会に呼ばれたり、今月初めの叙情歌サロンにも来てくれたSさん。ふとした縁で、人と人とのつながりは静かに広がってゆく。

 場所は時計台の真横で、札幌のど真ん中。渋滞もなく、約束より30分も早く着いてしまった。Sさんはすでに準備中で、私も早めに設営を始める。
 この日もPAはスピーカー2台方式。会場の下調査が不可能だったので安全をみたが、実際にテストしてみると、やや音が大きすぎるという結論。1台に減らす選択もあったが、両方のボリュームを絞る方向に落ち着いた。

 17時から総会が始まり、私の出番は20分後。設営が早く終わったので、開始までの30分をロビーで過ごす。こんなに余裕があるのも久しぶりだ。
 予定通りに17時20分からライブ開始。およそ40分で11曲を歌った。


「ボラーレ(オリジナル訳詞)」
「バラが咲いた」
「バラ色の人生」
「サボテンの花」
「川の流れのように」
「灯台守」
「雪が降る」
「星影の小径」
「白い想い出」
「時代」
「聖母たちのララバイ」


 選曲リストは10月末にSさんに送り、了解をもらっていたもの。喜寿のお祝いを意識し、人生を懐かしく振り返る曲を中心に構成した。洋楽系を4曲選び、ややバタ臭い雰囲気にしたのは、会の趣旨と代表の方の略歴に合わせたもの。

 聴き手は20名ほどで、40〜70代と年齢層は広く、男女比も半々といったところ。ライブ中は終始静ひつで、一瞬手応えがないような印象もしたが、歌い終えるごとの拍手は熱く、長かった。

 5曲目の「川の流れのように」では、リストにはない「愛燦々」との二択形式にした。主賓でもある代表のHさんにお好きな方を選んでいただくという趣向だったが、結果としてHさんはプログラム通りの曲をチョイス。
 10曲目の「時代」では、こんどは参加者全員に「地上の星」との二択形式を提案。拍手で選んでもらったが、圧倒的に「時代」が支持された。昨日の複合型障がい者施設でも同じ試みをしたが、こちらでは「地上の星」が強かった。場によって嗜好は異なる。
 この「二択形式」は、先日のチカチカパフォーマンスで初めて試みたが、聴き手をライブに引き込む有力な手段となる。今後もいろいろ試してみたい。

 MCがやや長すぎたせいか、終了は18時を1分ほど過ぎてしまい、進行の都合でアンコールなどはなし。Sさんが気を遣って終了後にオリジナルCDの告知をしてくれて、持参のCDが3枚売れた。
 途中、さすがに疲れを感じたが、大きなトラブルもなく、無難に乗り切った。推挙してくれたSさんの面目もつぶさずに済み、これまで例のない新しい場も切り拓けたと思う。