イベントライブ顛末記


篠路コミセン・ふれあいコンサート /2013.10.27



 地元の小中高ブラスバンド&合唱団5校が出演する「ふれあいコンサート」と称するイベントで、ラストのシングアウトに出演。参加者全員で歌う「ドレミの歌」をギターの弾き語りでリードする役だが、依頼があったのはわずか1週間前のこと。
 学年や学校の壁を飛び越えた交流の場として、近隣の地区センターが企画したものだが、その象徴としてラストで全員で歌う曲をリードする役がどうしても見つからないという。

 以前から顔見知りの館長さんから別のイベントでお会いしてそんな話を聞くうち、「そうだ!菊地さんにその役をギターでやってもらおうかしら」と、思わぬ方向に話が動いた。
 日頃から何かとお世話になっていて義理もあり、何より協力したくなるようなお人柄である。時間もなく、難しい役割にも感じたが、すぐにお引受けした。

「ドレミの歌」は難曲ではない印象だったが、なぜかレパートリーには含まれていない。すぐにネットで情報収集すると、歌詞にいくつかのパターンがあり、どれを採用するか迷った。
 ギターのコードにも異なる情報が混じっていたが、実際に弾いてみて最適と思われるパターンを採用。自作の譜面データベースにまとめて事前に打合せをした結果、歌詞はシンプルでしかもシングアウトとして盛り上がりそうな、ラストにフェルマータが含まれているもので演ることに決まる。

 歌う位置や電源を含めた設営の段取り、歌詞をプログラムの裏に印刷すること、PAやマイクは手持ち品を使うことなど、細部を徹底的に詰める。複数の出演者が入れ替わり出る場合の必須条件である。

 コンサートは10時から体育館で始まり、まずは中学校ブラスバンド2校が演奏。(写真)その後、小学校合唱&リコーダー、高校ブラスバンドと続く。打合せ通り、この時点で手持ちのPAとマイクスタンドの組み立てをロビーで始めた。
 開始時点から続々と父兄や市民が集まっていて、200はある椅子席はすぐに満席。ステージと椅子席の間にはシートが敷き詰められ、次の出演者はそこに座って待機しつつ、他校の演奏も同時に聴くという仕組みだったが、最終的には出演者だけでも300名近くに達した。

 受付で入場者数をカウントしていた顔見知りの係員の方が、「800名を越えてます〜!」と、驚きの表情。椅子席後部や壁際も立ち見で埋まり、最終的には床が見えないほどだった。

 やがて11時半、私の出番となる。ラストに歌った小学3年生100人ほどの前に私が立ち、客席と向かい合って共に歌うというスタイルである。スタンバイは1分ほどで終わり、簡単な自己紹介のあと、歌のキーとテンポを軽く弾き語って全員に周知。
 さらに前奏から歌の入りのタイミングとかけ声、途中のサビの冒頭に4分休符が入ること、ラストのフェルマータのタイミングなども実際に歌って知らせた。
 参加5校のメンバーが事前に集まることが難しく、リハの類いは一切できない。つまりは本番一発勝負で、指導者がリード役に逃げ腰になるのは理解できる。地域シンガーを自負する私には、うってつけの役割かもしれない。

 時間がやや押していたので、ただちに歌い始めたが、私の後方で歌う小3の合唱団が抜群のノリ。細かい12ビートストロークで弾いたが、全員の歌のテンポが予想より早く、リードしていてそれが小気味よい。
 そのまま突っ走るつもりが、冒頭のAメロを繰り返す2巡目で、なぜか後方の歌声がふっと消えた。会場に配ったプログラムにはちゃんと歌詞が書いてあるが、合唱団は譜面ナシで歌っている。
(さては普段は繰り返さずにサビに移っているな…)と察知したが、かまわず歌い進むうち、途中で状況を知った子供たちが、ちゃんとついてきてくれた。
 その後は順調。最初は客席の声がいまひとつ小さい感じだったが、歌い進むうちに自然発生の手拍子が起き、その熱気がじわじわと会場全体に広がる。ちょっと不安だったラストのタイミングもぴったり合って、「ふれあい」に相応しい、楽しく一体感に包まれたシングアウトとなった。

 終了後、館長さんを始めとする職員さんから労われる。シングアウトは初めての試みだったそうだが、その効果もあったのか、過去の屋内イベントの集客記録を更新したらしい。
(関係者がみな忙しく、私の写真はありません)


 

さっぽろアートステージ・クロスロードライブ /2013.11.17



「さっぽろアートステージ・クロスロードライブ」に出演。音楽・美術・舞台芸術など、札幌の街をアート一色で染めようという総合企画イベントで、11/9〜12/8にかけて札幌の街のあちこちで実施される。

 2005年から始まって、今年が9回目。かなり前に知人が音楽部門に出演し、応援に行ったことがある。音源審査があって、エントリーはオリジナル曲限定。さらにはオリジナルCDを出していることが条件という、高いハードルがある。
 実は一昨年から2年続けてエントリーしていたが、全て落ちていた。出演者の顔ぶれをみると、若手が中心。しかもプロ指向のメンバーが大半のようで、要するに自分には縁遠い場なのかと、少し卑屈になっていた。

 しかし、どうしても諦めきれない。今年が最後と思って、1曲限定のエントリー曲に、チカチカパフォーマンスで最も評価の高い「抱きしめて」を選んだ。あまり期待はしてなかったが、突然の合格通知が届いた。
 3年越しの願いがついに叶った形だが、ここで気負うと、よい結果には結びつかないのが世の常。「出られたことで充分」とハヤる自分に言い聞かせ、自然体で臨もうと考えた。

 当日は自宅で簡単にリハを済ませ、休暇をとってもらった妻と共に、11時過ぎに家を出る。12時少し前に会場に着いたが、まさに開演の直前。1番で歌うU18部門のスミレさんは、他のカフェコンサートで知り合った仲。スタンバイ中だったが、軽く挨拶を交わす。
 スミレさんのステージを見届けたあと、係員と時間やマイクに関して打合せ。その後楽屋に入って、しばし時間をつぶす。トイレに行ったり軽い食事をしたり、ハンチングをバンダナに取り替えたり、ギターのチューニングをしたりするうち、あっという間に出番がやってきた。

 私の前の出演者がクラシック系のインスト5人グループ。素晴らしいパフォーマンスで会場を湧かせていた。その直後で、かなりやりにくい雰囲気だったが、ここで自分のペースを乱しては負けだ。賑やかな気分のあとは一転して静謐な大人の気分で迫り、その対比をうまく活かせばいい。

 時間ぴったりの13時20分に開始。持ち時間いっぱいの28分で以下の6曲を歌った。(注釈のない曲は全てオリジナル)


「アメイジング・グレイス(オリジナル訳詞)」
「雨ニモマケズ(オリジナル作曲)」
「サクラ咲く」
「独り(作詞:まりりん)」
「抱きしめて」
「サヨウナラ」


 会場には100席分の椅子が準備されていたが、7〜8割の入り。立ち見の方が10人ほどいて、顔見知りの姿もチラホラ見えて心強い。
 普段歌っているチカチカパフォーマンスと同じ会場だが、マルチビジョンの音はなく、画面には私の名が大書き。立派なPAと司会があって、完全に用意された場である。自由なスタイルで歌うことを好む私には、そこが逆に微妙に難しい感じだった。

 事前にイメージしていたMCを少し長めにはさみつつ進めたが、途中で席を立つ人が全くいない代りに、音を聞きつけて集まってくる人もあまりいない。まさに静まり返った雰囲気の中でステージは進んだが、場の反応自体は決して悪くなく、かなり気分が乗った3曲目の「サクラ咲く」では、長い拍手がなかなか途切れず、思わず「ありがとうございます」を重ねたほど。
 ラストの「サヨウナラ」では、歌詞の内容に合わせてボーカルとギターで強弱を作り、聴き手とのキャッチボールを試みたが、何人かの方が目と身体で反応してくれて、ちょっと嬉しかった。

 自分の子供や孫のような他の出演者の中で、突出した高齢者なので、そんな自分の立場をわきまえ、「若い人と張り合う」というキモチは一切捨てて、淡々と歌い綴った。
 ギターのセーハする部分で多少怪しい箇所もあったが、大きなミスなく乗り切った。後半になって空いていた席も少しずつ埋まりだし、まずまずの集客で歌い終える。

 会場の一隅に設けられたCD販売コーナーには、6曲目から妻が販売員として張りついたが、500円のCDが4枚売れて、こちらもまずまずの結果。
 買ってくれた中に、以前に通りで私の歌を聞いたという方がいて、「今日は前回よりもさらに素晴らしかったです」と喜んでくれた。「できれば《誰も知らない夜》も聞きたかったですけど…」と重ねるので、なぜ知っているのか尋ねると、実は前回もCDを買い、何度も聴いて一番気に入ったのだという。

「誰も知らない夜」は1曲目で歌おうかどうか、かなり迷った曲。終了後に妻が「会場のリバーブが弱いので、アメイジング・グレイスは厳しかったかも…」と話しており、他の知人からも、「独自の世界を作っていて引き込まれたが、全体として寂しい曲が多かった」とも聞かされた。
 たぶん1曲目が選曲ミスだったと思う。それにしても、「誰も知らない夜」が中高年にも支持されることを、最近になって知った。この日は過去に評価の高かった曲で全てまとめた気でいたが、人の好みは実にさまざまである。

 いろいろあったが、得難い経験をさせてもらった。


※出演者プロフィール等はこちらで。


 

パトス・心の愉し /2013.11.26



 札幌地下鉄東西線・琴似駅地下にある公的空間「パトス」で実施された街づくり系イベント「心の愉し」に出演。ときどき参加するロビーコンサートではなく、立派な設備の整ったホールが会場だが、入場無料で出入り自由という好条件である。
 主催は以前から交流のあるボランティア仲間のTさんで、1年前にも同じ場所で同じような企画があり、やはり参加している。
 今回は私とTさん以外の出演メンバーが変わった。すべてTさんを軸とする交友関係だが、開演の1時間半前に会場に入り、椅子席の設営を手伝いつつ、互いに挨拶を交わす。

 椅子はひとまず42席分を並べた。「そんなに来ないと思う。これで充分だよ」というTさんだったが、温暖な天気で、交通の便もよい。万が一足りなくなることを想定し、私の助言で予備の10席分を会場の隅に置く。
(結果的に大半の予備椅子を使った)

 開演5分前の13時55分に出演者が入場。Tさんが開演宣言し、出演者を順に紹介した。ただちに1番手の三田ファミリーによるアフリカ太鼓から開始。定刻より2分早いが、席はすでに8割方埋まっていたので、許される範囲だろう。
 家族4人でアフリカ太鼓を叩きつつ、リズム楽器のみでアフリカ民謡を歌うという、非常に変わったスタイル。ボーカル担当の女の子は、まだ3歳くらいの年頃だったが、臆せずにスワヒリ語(?)で堂々と歌いきり、会場を湧かせていた。
 さらに驚くべきことに、ベースドラム担当の奥様の背中には、生まれたばかりの赤ちゃんが。廃校に住みながら農業をやりつつ、日々音楽を続けているそうで、大地に根ざした確かな音楽の原点をそこに見た気がした。

 2番手は影絵の福地さん。演目はアイヌ民話を元にした「エタシップカムイ」。色がついていて、3D的な動きもある、これまた不思議な世界が展開されていた。
 影絵のオペレーターは娘さんだそうで、こちらも母子によるパフォーマンスである。さすがに朗読とオペレーションの息はピッタリ合っていた。

 3番手が私。多忙で事前のPAの打合せに参加できず、やむなく手持ちのPAと100Vバッテリを持参した。いつでもどこでも自分のペースで音を出せるのが強みだが、ホールの天井が思っていたより高く、ややパワー不足であったかもしれない。
 影絵が予定より早く終わったので、予め壁際にセットしてあったPA一式をすばやく移動。14時49分から歌い始める。この日はいつもと少し趣向を変え、洋楽系の曲を中心に6曲をまず歌った。


「アメイジング・グレイス」
「ろくでなし」
「ケ・セ・ラ・セラ」
「知りたくないの(初披露)」
「熱き心に」
「雪が降る」


 持ち時間よりやや短い26分ほどで終えたが、実は開演前に主催のTさんから、「菊地さん、今日はぜひ島倉千代子を歌って欲しいな」と、突然の要請があった。寝耳に水だったが、幸いに2日前に覚えたての「人生いろいろ」を歌ったばかり。電子譜面の準備もある。歌うことに支障はなかった。
 問題は全体の構成の中で、どう配置するかだった。出だしで演って欲しいとTさんは言うが、洋楽中心の1曲目に、演歌色の強い曲は馴染まない。協議のすえ、「セルフアンコール」の形で最後に歌うことで決着した。

 そんな顛末も率直に会場に説明してから歌った。この日は終始静謐な雰囲気が場を支配していた。1番手のファミリーバンドが賑やかな気分を作っていたので、その反動もあったかもしれない。しかし、各自さまざまな色があってよいのだ。

 私のあとの4番手が主催のTさんによる一人朗読劇。演目は以前にスーパーの市民広場でご一緒した際に初めて見た民話紙芝居「うずら」。今回はこれを紙芝居なしの朗読のみでやろうという新趣向だ。
 切り口が講談や落語にやや近く、これまた不思議な気分を演出していた。

 15時45分に全パフォーマンスが終了。最後に私のリードで会場全員で「故郷」「青い山脈」をシングアウトした。歌詞カードの準備はなかったが、どちらも今年になって別の場で「歌詞指導つき歌唱」という形で歌ったことのある曲。アフリカ太鼓の三田さんもアドリブで参加してくれて、無難にこなした。

 予定より10分早い15時50分で終了。この日は私の知人も4人足を運んでくださったが、初めて私の歌を聴いた同年代の男性から、「とても感動しました」と、ありがたい感想をいただく。
 4組のパフォーマンスが程よくバラけていて、個性あふれる空間を作っていたと思う。楽しい時間だった。出演者を巧みにコーディネートしたTさんに感謝したい。


 

パトス・新年会 /2014.1.17



 札幌地下鉄東西線・琴似駅地下にある公的空間、パトスにて実施された新年会に参加。厳密には、昨年から不定期に開催されている「パトス・オープンステージ」の新年特別版である。
「1組2曲、10分以内」「マイク&PAなし」「予約不要」「途中参加、途中退出可」「入場無料(ワンオーダー)」「食べ物持込み自由」という基本路線は同じで、この日は新年に相応しく、参加者と主催者が一体となった大喜利をライブ後に楽しもう、という趣向。

 本格ライブとは異なる自由なスタイルで、練習をかねた度胸試しにはまたとない機会である。最近弾き語り活動を始めた音楽仲間のミツルさんにも声をかけ、一緒に参加した。

 18時10分ほど前に会場に着いたら、ミツルさんはすでに到着していた。スタッフの方々に紹介などするうち、すぐに開始時刻の18時となる。
 1番手はクラシックのギタリスト、伊藤ケンイチさん。過去に2度ステージをご一緒している顔なじみである。出演順は特に決まってないが、会場に着いた順に演ずるのが慣例になりつつある。
 この慣例通りだと2番手はミツルさんとなるのだが、あまり場慣れしていない身なので、私が先に歌うことにした。

 前回は全4曲を暗譜して歩きながら歌う、という私にしては離れ業を試みたが、この日は普通にステージとして設定された場所で、電子譜面を見ながら歌った。
 ギターは生音での鳴りがよいヤマハのエレアコAC1Mを持参。1巡目はビートルズのオリジナル日本語訳でまとめ、「イエスタデイ」「オブラディ・オブラダ」を歌う。
 実はギタリストの伊藤さんが最初に「イエスタデイ」を演奏していた。他のビートルズに差し替えようか一瞬迷ったが、趣向としては逆に面白いのでは?と考えなおし、予定通りに歌った。

 慣れた場なので、出来としては可もなく不可もなし、といった感。参加者はじょじょに増え始め、スタッフを含めて10名ほどといったところ。これもいつものシーンである。

 3番手にミツルさんが登場。我が家で先月セッションをやってはいるが、それはあくまで仲間内の楽しみの範ちゅう。この日が事実上の初ステージで、かなり緊張している様子がうかがえた。
 叙情演歌が得意のミツルさんらしく、曲目は「別れの一本杉」と「細雪」。ボーカルはよく通り、譜面を準備していたので歌詞のミスも皆無だったが、緊張からか、ギターのタッチミスが多少あったように思う。しかし、全体としては堂々の初ステージである。

 その後、臨時ユニットによるギター弾き語り、キーボード弾き語り2組が続き、1巡目終了。時計はおよそ19時あたりで、合計6組が1時間で演じ終えたことになる。まさにドンピタの正確な進行で、なかなか気分がいい。
(時間に厳密であることは、ライブ企画&運営の基本と私は考える)

 2巡目に参加したのは、ギタリストの伊藤ケンイチさん、私、そしてミツルさんの3組で、他に新たなユニットが1組参加した。
 私の2巡目は19時10分あたりから。「サン・トワ・マミー」「雪が降る」のシャンソン2曲を歌った。この日は全て洋楽でまとめたが、これは叙情演歌を歌うミツルさんとのメリハリを意識してのこと。
 ミツルさんは私と同世代で、他の参加者から見れば、2人の年齢が突出した存在。似たような曲調はなるべく避けたかった。

 2曲とも完全暗譜しているのでステージを離れ、スタジオ横の空きスペースをゆっくり動きつつ歌った。昨年やったスタイルと同じだが、やはり譜面を見ずに歌うのは、自由度が高い。そのせいか、声も1巡目よりは出た。
 その後、ミツルさんが2巡目として鳥羽一郎と三橋美智也の「達者でナ」を歌う。場にもかなり慣れた様子で、1巡目よりも気分が乗っていた。譜面から時折目を離し、会場をうかがう余裕も見られた。やはり慣れ、場数は大事である。

 19時45分にステージが終わり、20時から仲間内での大喜利が始まる。シナリオが用意されているのかと思いきや、各自アドリブ連発で対処していた。
 用事のあるミツルさんはステージ後に帰り、私はオーディエンスに徹して、カフェ名物のおでんなど美味しくいただきつつ、最後まで楽しませてもらった。

 大喜利の終了は21時10分で、厳しい氷点下の道を急いで帰宅。術後初めてマイクなしの場で思い切り歌ったが、全く不安なく演れた。この日で術後のリハビリは終了、と考えていいような気がする。その意味では、まさに「快気祝ライブ」であった。


 

チカチカパフォーマンス 第6期オーディション/2014.3.16



 第6期チカチカパフォーマンス・オーディションを息子と共に受けた。開始は14時だったが、休憩をはさんだ後半のオープニング担当だったので、タイムスケジュールによる割当ては15時45分から。自宅で簡単なリハを済ませ、会場入りは14時45分ころだった。
 受付けを済ませると、顔見知りのパフォーマーから、「菊地さん、特別枠認定受けてましたね」と声をかけられる。一瞬何のことかと思ったが、冒頭の審査委員長挨拶で、その旨発表があったという。

 実は一昨日、責任者の方から同様の内示がメールであった。特別枠認定を受けると、むこう2年間はオーディションなしで活動できる、という特権を得られる。だがそれはあくまでソロ活動での話。息子がサブボーカルに加わる場合の扱いを確認すると、やはり参加費を払って、正式に受けて欲しい、とのことだった。

 パフォーマンス開始と同時刻に事務局から全メンバー宛に正式なメールが届いていたことをあとで知ったが、「特別枠認定」の要件は、以下の2つを同時に満たすことだった。

・各期の半年間に4回以上活動
・過去直近5期(2年半)の活動回数合計が50回以上

 活動回数には、実証試験や菊まつり等の関連イベントは含めない。該当はわずか5組で、(こんなに自分が演っていたのか…)と聞かされて一瞬驚いたが、ちゃんと51回演っていた。
 特別枠認定は「過去のチカチカパフォーマンスに対する貢献度が高い」という、ある種ご褒美のようなもの。地道に続けてきた活動が報われたようで大変うれしく、そしてありがたく思った。

 あくまでソロでの扱いとはいえ、開始前からやや拍子抜けする感じもしたが、気を取り直してオーディションに臨んだ。歌ったのは以下の3曲。

「恋のバカンス」…昭和歌謡の定番(時間の都合で1番のみ)
「夢咲く街 チ.カ.ホ」…チカホのイメージを歌ったオリジナル曲
「まつり」…最近は介護施設で大人気の演歌


 オリジナル以外の2曲は昨秋の介護施設ライブで息子と歌ったばかり。不安はなかったはずが、1曲目で息子のボーカルが小さいのが気になった。過去のイベントでも同様のことがあり、モニタスピーカーのない場に慣れていない息子は、どうしても声を遠慮してしまう傾向がある。
 途中で指示は出せないので、二重唱の部分は私が抑え気味に歌った。あとで息子に聞いたが、出だしでは珍しく足が震えたそうだ。200人近い聴き手を前に、多少臆するところがあったのかもしれない。

 2曲目以降はやや持ち直した感じだったが、ラストの「まつり」で場の手拍子・かけ声がやや少なく、介護施設ほどの盛り上がりに欠けたのが気になった。

 時間通りに終えて他のパフォーマンスを見届け、19時半のJRで帰る息子と応援の妻は先に食事に向かう。終了後の結果発表と講評を聞くため、私だけ会場に残った。
 やがて発表時間となったが、審査委員が一向に現れない。審査がもめて長引いている、との情報が入って、居残っていた受験者が色めき立つ。
(継続パフォーマーで、脱落者が出るのでは…)
 10分遅れで発表があったが、音楽系の新規受験者は、私と息子のユニットを含めた3組全員が不合格。他の舞踏系など2組が、半年間限定の条件付き合格。審査対象9組のうち、無条件合格は、継続パフォーマーが中心の4組のみ、という厳しい結果となった。

 私と息子のユニットでは、「ソロとしてのパフォーマンスをユニットが超えていない」との講評である。息子との反省会でも、なるほどと納得。楽器なしの単なる部分的なサブボーカルでは物足りなく、さらにはバランスをとるために互いが遠慮してしまった点を、厳しく見ぬかれていた。
 その他、特に音楽系の受験者に対し、「趣味の発表会の場とは違う、ということを認識して欲しい」との厳しい指摘があり、さらには「非日常を演出するパフォーマンスとして、衣装を含めたスタイルにも充分配慮を」との要望もあった。

 うれしさ半分の結果となってしまったが、「ユニットとしては不合格だが、帰省した息子さんが、菊地さんのソロにときどき加わるのは、構いませんよ」との温情も審査委員長からいただいた。
 向こう2年間のソロ特別枠認定と、ユニットとしての初参加が同時期に重なったという難しさもあったように思える。今後どのように活動すべきか、じっくり考えてみたい。

 オーディションから1日経って頭を冷やし、「ソロでのパフォーマンスを、ユニットが超えていない」という講評をずっと考え続けたが、褒められたのかケナされたのか、いまひとつ釈然としない。
 ソロで歌い続けてきたのは他でもないこの私で、仮にそのパフォーマンスを量的に置き換えて「1」としよう。このパフォーマンスを私と息子のユニットが超えていない、ということは、「1」に達していない、つまりは1以下(0.8とか0.9とか)であるということなのか。
 手前味噌の褒め言葉で考えるなら、「それほどアナタのソロパフォーマンスは秀でてますよ」となろう。2年間オーディション免除の恩恵を受けた背景の一面も、おそらくそのあたりにある。

 ところが、ユニットの半分を構成しているのも、他ならぬこの私。リードボーカルやギター演奏、編曲構成面などで、ユニットにおける私の比重は大きく、数字でいえば70%ほどか。それがソロを超えられないということは、「自分の敵は自分自身だった」ということにもなりかねない。
 ユニットとしてのパフォーマンスはかくも難しい、とも言えそうだが、ではどう工夫すれば、せめて「1+1=1」、つまりは、ソロなみのパフォーマンスをユニットで得られるのか、現時点ではちょっと分からない。
 そもそもユニットで「1+1=2」のパフォーマンスを獲得している例は、ほとんどないのではないか?プロでも、「1+1=1.5」くらいがいせいぜいではないのだろうか…?

 冷静に判断して、今回は父子で歌うことで、聴き手にある種の「物語」を期待していた甘さがあったようにも思う。介護施設系や家族系の場であれば、この「物語」がプラス方向に作用し、熱い聴き手の支持が得られる。
 ところが、第三者の評価となるオーディションのような場では、この「物語」が全く作用せず、審査員の目には逆に物欲しげに映ってしまう可能性すらある。

 当面はユニットでの活動をこれまで通り、介護施設系や家族系の場に限定するのが無難かもしれない。路上系の場では息子の助けを期待せず、ソロでの活動に磨きをかける方向となりそうだ。
 第三者の評価を得て、自分の目指すべき方向が、より鮮明になった。ユニット不合格は、ひょっとすると天の啓示であったか。