星の還る場所 〜いつか慈みの雨が/2011.11.6
都心のカフェで今年2度目となる自主企画ソロライブを実施。今回のライブはいろいろな意味でエキセントリック、つまりはちょっと毛色の変わった内容だった。
お店の内装が自然素材系で統一されていて、梁材がむき出しの傾斜天井が非常に高く、我が家に似たコンセプトで造られている。市内のあちこちのカフェを散策するうちにたどり着いた店だが、どことなく居心地がよく、だいたい月に一度は顔を出す。
客が少ないときは店主の女性と趣味や生き方などのヨタ話にふけり、混んでいるときは店主が毎週手書きで発行しているカフェ新聞をひと月分まとめて読んで時間を過ごす。
通い始めて3年目になるが、雑談の中で「一度ウチの店で歌いませんか?」といった話になった。このあたりの会話の流れは実に自然で、長い月日の積み重ねに裏打ちされた信頼関係に基づくものだろう。
過去にはいきなり訪れて「こちらの店でライブをやらせてください」といった無理難題を突きつけて当惑された苦い経験もあるが、何も下心がないほど、不思議にこうしたありがたい話が飛び込むもの。人と人とのつながりとはそういうものではないか。
こうした経緯でライブをさせていただくことになったが、あいにく今年は5月に自主企画のソロライブをやったばかり。続けざまに実施するには集客面で不安があった。
そこで半年の間をあけ、構成も春とはガラリ変えてしばらく遠ざかっているフォーク系オリジナルを中心にやることにした。
歌の準備は着々整ったが、集客面では予期せぬ事態が続けざまに起こり、かなりの苦労を強いられた。一介のアマチュアが年に2度もソロライブを仕掛けること事態に無理があったということだ。
とはいいつつ、当日になると長年の友人の好意にも助けられ、有料入場11名、さらにはお店のオーナー夫妻もライブ中は客席に座っていただき、こじんまりとした暖かい雰囲気の中でライブをやることができた。
カフェの片側全面が吹抜け天井の上まで届く豪快なガラス張りで、そこから星のきらめきや街灯の光、車のヘッドライト等が室内にゆらゆら差し込むという、独特の雰囲気である。その空気感だけで明らかに歌が変わる。
PAは持参したが、自らもオリジナルをギターで弾き語るというマスターに客席で事前チェックしてもらった結果、普段の50%ほどのボリュームが最適、との結論。ナチュラルリバーブがかかるので、PAなしの生音でも充分歌える環境だった。
予定よりかなり早くお客様が全員集まってしまい、時間までを本番とは別な歌であれこれつなぐ。こんなに余裕のあるライブも珍しい。
19時30分ぴったりに開始。35分で8曲を歌い、5分休んで20時10分から35分で8曲を歌う。事前に配ったプログラムにも記したが、ここから「EXTRA(おまけ)」と称し、さらに3曲を歌う。つまりは自主的アンコールのことで、聴き手に無用な気遣いをさせぬよう、考えぬいた構成である。
前半は「雨」を、後半は「還る」をキーワードに構成した。MCでは具体的にふれなかったが、全体として震災以降の個々人の精神の在り方、落ち着き場所をイメージさせる内容になっている。
終了は予定ぴったりの21時ちょうど。後半に喉が一部かすれ、ギターのタッチミスも少しあったが、妻のトータル評価は悪くなかった。何より、機会を作ってくださった店主の女性に喜んでいただけたのが幸い。最も不安だった集客面でも最低限のノルマは果たせた。
一日経って音源をざっとチェックしてみると、思っていたよりも音はまとも。ボリュームを絞ったせいで歌っている間は自分の声があまり聞こえず、不安を抱えながらの進行だったが、出来としてはそう悪くない。
とはいえ、年に2度の自主企画ライブ、しかもそれがソロとなると、集客面や気力体力面で相当きついことは確かである。当分は身の程をわきまえ、介護施設や地区センター、そして通りすがりを中心とした活動に専念したいと思う。
活動を細く長く続けるには、何ごとも程々が肝心である。
数日経ってカフェのオーナー夫妻から、素晴らしいライブ写真集が送られてきた。何も話を聞いていなかったので、びっくりした。小型の上質なアルバムに、当日のお店の玄関風景から始まり、ライブの進行に合わせた写真が順に20枚並んでいる。
ライブ中に夫妻が交代でデジカメを操作しているのは気づいていたが、背景スクリーンの裏から撮った影絵のような写真や、お店の外からガラス越しに店内を写した写真など、視点が非常にユニークである。
見開きには「菊地さんに感謝の気持ちをこめて」と自筆の添え書きもあり、作成には大変な手間がかかっている。ライブの出来はともかく、その心遣いがありがたくて非常にうれしい気持ちになった。いい記念になりそうだ。
ライブ酒場Life・おんはつvol.4/2011.11.26
近所のライブ酒場での弾き語りイベント「おんはつ」に参加。今春から始まって都合4度目だが、前回は超多忙の9月に実施されたため、スケジュールが合わずに不参加だった。
今回はマスターから直接参加の打診メールがあったが、うまい具合に実施日がぽっかり予定の空いた11月末。しばしご無沙汰していることもあり、忘れられないうちにと参加を決めた。
ライブの予定はなかったが、同じ日の夜に町内の役員会がある。要職ではないが、街灯担当部長を仰せつかっており、この日は町内街灯のLED化という、重要な案件があった。
しばし迷ったが、事情を話して15分早く実施される町内役員会にまず参加。LED街灯の議案は優先して取り扱っていただき、ライブにはこれまた事情を話して遅れて参加することにした。
この夜はアルコールは断念し、なるべく早く着くようにと車で出かけた。ところが40分遅れでお店に着いてみると、なぜかライブはまだ始まっていない。偶然だが事情で遅れる人が相次いで、やむなく開始を遅らせるという。
拍子抜けしつつ集合を待ち、1時間遅れの20時からようやく開始。この夜は全体的に集まりが悪く、参加は4組だけだった。出演はマスターとママのギター&琴ユニット、ギターインスト2人組、ピアノソロ弾き語り、そして私である。参加数は少ないが、バラエティには富んでいた。
聴き手は合計11名とまずまずだったが、とにかく歌い手が不足している。通常は1組2曲10分以内という取決めだが、この夜に限っては各自が歌いだけ歌ってよいという、非常にゆる〜いライブとなった。
2組終了後の21時少し前に私の出番となったが、用意した2曲はオリジナルの「誰も知らない夜」とカバーの「帰れない二人」(井上陽水)。とにかくゆる〜いライブだったので、特にあがることもなく、ほぼ自宅練習モードで歌い終える。
スピーカーの数を最近増やしたとかで、ステージ上では抜群に音が聴きやすくなっていて、いい感じで歌えた。
楽譜を2曲分しか用意してなかったので、さっさと撤収しようとしたら、もう少し何か歌って欲しいようなことをマスターが言う。歌うとすれば、楽譜なしで歌える曲しかない。
暗譜している曲は数少ないが、その少ない中から咄嗟に「どうしてこんなに悲しいんだろう」(吉田拓郎)を選んで歌う。唱歌ならけっこう暗譜しているが、場の気分を考えるなら、ここはやはりフォークだろう。1年近く歌っていない曲だったが、大きなミスなく何とか歌えた。
参加自体が綱渡りだったが、何があるか分からないのがライブというもの。不測の事態に備え、余分な楽譜くらいは持ってゆくものだと改めて学んだ。歌自体の出来はまずまずだったことが救いではあったが。