イベントライブ顛末記


歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "深い秋"/2008.10.26



 通算15回目となる「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベント「Musicジャンボリー」(通称MJ)が開かれた。
 回を追うごとの参加者の増加により、今回から毎月最終日曜日に定期開催されることが決定。経営的には冒険かもしれないが、参加者がある程度拡散されることが予想され、歌う側としては歓迎である。
 それでも蓋を開けると参加者は15組。さすがに前回よりも6組減ったが、歌える曲数は以前のように一組3曲に戻った。単純に試算してみたら、前回よりも曲数では増えることになる。体力勝負である状況に大きな変化はない。

 私のテーマは季節柄「深い秋」とし、晩秋にちなんだオリジナル3曲で構成することを、かなり早くから決めていた。歌う順番は今回も店側の指定。私はぴったり真ん中の8番目で、早くも遅くもないほどよい順番だった。
 店への到着が遅れた関係で、席が前のほうしか空いてなく、顔なじみのFさん、Sさんの隣に陣取る。ほぼ7時ぴったりに始まったが、参加者が少し減ったせいで、客席には前回よりも余裕があった。応援や単に聴くだけの方々も含め、客はおよそ25名前後といったところ。このあたりがゆったり聴いて歌える、ほどよい人数なのであろう。とにかく、長丁場なのだ。

 いつものメンバーで、いつものようにライブは進む。ライブの数が増えると、歌い手としての「持ち駒」が少なくなり、その中でいかにして自分の特色を打ち出すかが工夫のしどころだ。他のメンバーと一部、あるいは全部を組んで歌う「コラボ」が今回も数多かったが、聴き手に飽きさせない構成という面で、それは望ましい方向だろう。
 私は今回は一人、すなわち「ピン」である。人数の増大により、入替え時間をなるべく少なくする配慮から、「PAの再調整が必要なエレアコは使わない」「椅子やマイクの再セットが不要なように、座って歌う」を、当分は続けることにした。従って、ギターは古いモーリスのギターで、カポの位置によってやや音ズレがあるのが問題だったが、曲毎に微調整することにした。
 自分のスタイルにこだわるのも大事だが、場や道具を問わず、最高のパフォーマンスを見せるよう自分を鍛えることもまた大事であろう。
 以下、当日の構成である。


「街染まる(オリジナル)
 (2004年及川恒平時計台コンサート・イメージソング)
「秋の日に…」(オリジナル)
 (35年前に作った、曲中で初めて妻が登場する歌)
「切ない夕暮れ(オリジナル)
 (現在の心境を等身大に歌った2007年秋の曲)



オープニングアクトのマスター。ギターサポートは西やん


 1曲目の高音部で一部声が途切れたが、全体としての出来はまずまずだったか。終了後、「とむすけさん、何がそんなに切ないの?」と、この定例ライブが始まったころから顔見知りのS子さんに声をかけられた。「切ない夕暮れ」のことだが、実はこの歌を歌う前、ステージ上でタイトルとそのいきさつをちょっと話したところ、会場がしばしどよめいた。タイトルに予想外の響きがあったのだろうか。

「歌の深い意味は、あえていいません。手品師は舞台で種明かしをしないものです」

 などと分かったふうなことを言って場を凌いだ。本音では、時間制限のあるステージを、なるべく手短かに終わらせたかったからだが。
 ステージを降りたあとでこのS子さんと隣に座ったMさんには、「切ないのは生きることそのものですよ、それが答えのひとつです」と言い添えた。参加者の中では私だけが突出した「高齢者」なので、あまりクドクド説明しても仕方がないし、説明するようなことでもない。
 歌としてのインパクトは強い気がするので、もしかするとこの曲はずっと歌い続ける「勝ち残り曲」になるかもしれない。すべては時が決めてくれる。

 そのほか、「秋の日に…」に関し、「20代前半であんな詩が書けるとはすごい」と、Mさんから声をかけられた。この日のテーマにした「深い秋」は、切り口としては外れてなかったように思う。

  途中、プロ歌手の飛び入りもあったりし、全44曲を歌い終えたのは、深夜12時15分。やっぱり前回よりも長くかかった。さすがに後半は会場の疲れが目立ったが、何とか持ちこたえたか。
 今回は第2部がなく、閉店までしばしのフリータイムがあるのみ。ナカヨシのK子さんが、「とむすけさん、ブログ読んだよ。いっしょに『ポニョ』歌おうよ」と誘ってきた。K子さんはピアノが得意。それではと歌い始めたら、Y子さんもやってきて一緒に歌いだした。
 そのまま30分ほどセッション。ポニョは実はあまり知らないというK子さんが、終わり頃にはアドリブも含め、ほぼ楽曲として聴けるものに仕上がっていた。さすがです。

 夜の道を飛ばして家に戻ったら、深夜1時半。半年ぶりに暖房を入れた部屋の中は22度まで上がっていて、ほんのり暖か。熱いシャワーを浴びたあと、そのまま明け方4時まで仕事を続ける。車ということもあり、一滴の酒も飲まない珍しい一日であった。


 

歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "求めます"/2008.11.30



 通算16回目となる「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベント「Musicジャンボリー」(通称MJ)に参加。
 毎月開催となって初の連続開催日のせいか、参加者は過去2回に比べてかなり減って合計12組。2日前にも同じ店で別のイベントライブ企画があり、気持ちの調整がやや難しかったが、いざ始まってみればいつもの程よい緊張感のただよう場が展開された。

 11月は2本の自宅ライブを始め、施設訪問ライブや2日前の突発ライブなど、バラエティに富んだ多くのライブをこなした。歌い込みは充分で、喉の調子は好調を維持していたが、この日のライブに何をどう歌うかは、直前まで決まってなかった。
 12月はライブの数を減らす予定でいたので、MJへの参加はこの夜が今年の締めくくりとなる可能性が高い。そこでMJのテーマとして作った「ありがとうforever」は歌う予定でいたが、対極となるもう1曲に何を歌うべきか迷っていた。

 2日前にカバー曲をあれこれ歌った際、マスターからかなり前に作ったオリジナル、「初恋の来た道」をリクエストされたが、その夜は気持ちがいまひとつ乗らず、別のカバー曲を歌っていた。そこでふと閃いた。いっそ過去のリクエストの多いオリジナル曲でまとめてはどうだろうか…?と。

 毎日がリハーサルのような日々だったし、選んだ2曲が歌い慣れた曲だったので、当日は軽い調整で臨んだ。スケートリンクのように凍りつき、ツルツル滑る道に用心して車を走らせ、店に着いたのが開始ぎりぎりの7時5分前。
 私の歌う順は3番目と、かなり早い。時間に余裕があるので、各自のMCもやや長めで、歌い手ごとの休憩も充分。ゆったりした気分でライブは進んだ。


「初恋の来た道」(オリジナル)
「ありがとうforever」(オリジナル)



(写真は当日参加の乙次郎さんよりご提供いただきました)


 時間に余裕があるので立って歌うかどうか迷ったが、マイクの方向だけ調整させてもらい、結局座って歌うことにした。しかし、「初恋の来た道」でCからDに転調後、大半のコードが人差し指をセーハする(棒状にして押さえる)形になり、座ったままでは押さえがかなり厳しい。やはり立って歌うべきだったかと、やや反省。
(あくまで私個人の場合であり、熟練者にこんな不都合はないであろう)
 これも個人差のあることだが、マイクの位置は写真のように下からでてくるのが自分の好み。横や正面から突き出てくるマイクは、どうもなじまない。単なるワガママのような気もするが。

 歌そのものの出来はまずまずだっただろうか。最近の個人的課題にしている「低音部の安定」は、かなり克服しつつある。新しい手製ピックの使い勝手も悪くない。歌詞を正確に伝えるため、ギターの音に強弱をつける技はかなり上達してきた。

 この夜の曲はどちらも過去にかなり歌っているオリジナル曲で、いわば「勝ち残り曲」である。他から求められるまま曲を構成したので、今回のテーマは「求めます」とした。

 ただ、自分としては定期的に同じ曲を歌うこと自体に、抵抗がなくはない。「人も時間もたえず流れている」というのが持論で、その都度新しい自分を見せたいとは思っている。今年は父の死などがあり、オリジナル曲が少ないという裏事情もあったが、2日前に同じ店で歌った際、常連の女性から「TOMさん、新曲はないの?」と唐突に問われた。
 私のオリジナルをいつも評価してくださるありがたい方なので、ちょっと心に響いた。幸い、新曲になるかもしれないエキスがいくつか出来つつある。内なる発酵をしばし待とう。


 

歌酔倶楽部 ありがとう "かぐやな宵" /2009.1.17



 よく参加する「歌酔倶楽部ありがとう」の定例ライブイベントに、かぐや姫を歌うメンバーが多いことにふと気づいた。
 中でも私の息子と同年代のYさんは、札幌からかなり離れた地から時折歌いにきていて、その多くがかぐや姫系の曲。ブログにもかぐや姫をもじったタイトルをつける懲りようで、以前から私とメールでの交流があり、我が家にもご夫婦で遊びに来てくれた縁がある。
(かぐや姫関連の歌に限定したライブを、この「居酒屋ありがとう」でやれないだろうか…)と思いついた経緯が、このYさんの存在だった。

 自分のことでも他人のことでも、思いつくとじっとしていられないタチである。まずは最初に、お店のマスターとママさんにこの案を打ち明けた。二人ともYさんの人柄やその歌唱力は認めている。
 キーパーソンとなる遠方のYさんの翌日の勤務を考慮すると、開催は土曜夜が必須。土曜はお店の書き入れ時だったが、影響の少ない早い時間帯にライブチャージなしの通常料金でライブ計画を進めることが、割にすんなりと決まった。

 この時点で私自身のライブへの参加は、あまり考えていない。歌ってもせいぜいスタートの1曲程度。いわゆる「オープニング・アクト」というやつで、あとは私よりもはるかに若くて上手いメンバーに任せ、自分は裏方としてのサポート役に徹する気でいた。
 還暦を間近に控え、定例ライブに出入りするメンバーの中でも、ダントツの最高齢。自分が目立つのはほどほどにしておき、次の時代を担う世代に、いろいろな意味で橋渡しの役目を今後してゆきたい。そんな密かな思いも心の底にあった。

 次なる行動はYさんの説得。歌唱力やギターテクニックの幅広さ、秀逸さから、Yさん抜きのライブ構成は考えられず、仮に彼から色よい返事が得られなかった場合は、すっぱりこの企画は捨てる覚悟でいた。
 いまだから言えるが、昨年夏のライブで彼の歌を生で聴いた直後に、「いずれは札幌でソロライブをぜひに」との誘いのメールは、すでに出してあった。
 その時の彼の返事は、「いつかそうなれるように、今後とも精進を重ねます」という謙虚で控え目なもの。自分の実力を過信して勘違いの言動を重ねる中高年が多いなか、「実るほど、コウベを垂れる稲穂かな」という古い諺を思い出させる奥ゆかしさで、ますますライブ企画を進める熱意が燃え上がった。

 完全なソロライブでは気がすすまない印象もしたので、私も含めた複数構成に路線変更。お店の後押しも取付けたとあり、Yさんも次第に乗り気になってきた。たまたま11月末にYさんが出張で札幌を訪れる機会があり、この機を逃してはならじと、先にふれた「居酒屋ありがとう」に事前調整した4組のメンバーが集合。私から正式にライブ企画を発案し、全メンバーの基本的な合意を得た。
 この2008年11月28日の夜が、今回のライブ企画《かぐやな宵》の明確な出発点である。

 ライブタイトルはこの時点ですでに《かぐやな宵》と心に決めていた。ヒントはYさんのブログタイトルからで、言葉の持つ直感と説得力、広がりから考え、これ以外の選択肢はない。メンバーにもこの夜、このタイトルでの了解を得た。
 次なる課題は開催日の決定である。お店の都合から、多忙な12月開催は不可。下旬には定例ライブが毎月開催されるので、これまた不可。1月以降の中旬の土曜日、ということになったが、Yさんは仕事の関係で2〜3月は不可。メンバーの一人であるNさんが、これまた仕事の都合で3月までは駄目、ということで、仕事の融通がきく他の3名は別にし、消去法から4/18の土曜日開催に一時は決まりかけた。

 だがここで、メンバー中で私の次に年齢の高い(といっても50代前半だが)Oさんからマッタがかかる。
「もっと早いほうがいいのでは?Nさんには僕が説得しますよ」
(OさんとNさんとは同じグループで、旧知の仲)

 この種の企画はあまり時間をおくと熱意が冷めがちで、「鉄は熱いうちに打て」がやはり鉄則である。早くやりたい気持ちは私も同じだった。急きょ1/17が有力候補として浮上。この日ならYさんも都合がつく。この夜仕事で不在だったNさんにただちにその場で電話をかけ、「仕事は何とかします」との即答を得る。こうして日程が決まった。
 開催時間はお店の平常営業を考慮し、早めの午後5時30分開場、6時開始、8時終了に決定。リハーサルはさらに早くお店を開けていただき、3〜4時あたりに開始することになった。

 次なる問題は曲目の調整である。この夜の話し合いで、私はスタートの1〜2曲のみで、と申し出たが、Oさん他の「全メンバー均等にやりましょう」との意向が強く、却下。正直に書けば、かぐや姫系の歌はそう多く歌えない。その夜はお店から1時間の「練習枠」をいただいていたので、Yさんを筆頭に、まずめいめいが好きな曲を歌ってみよう、ということになった。
 あれこれ歌ってみると、互いに気を遣ったのか、不思議に曲は重複しない。私はジョイントを含めて4曲を歌ったが、曲目調整も何となくうまく運ぶ予感がこの時点でしていた。

 ライブの構成は各自が順に歌うのではなく、かぐや姫系の歌をジャンル別に3つに分け、それぞれ「傷ついた心」「優しく生きる」「愛はそこに」とタイトルをつけ、3部だてにしてやることが決まった。
(実はこの決定が、あとでかなりの問題に発展する)

 その後の50日間、セッションメンバーの入替えや、新メンバーの追加、構成の大幅変更などさまざまな問題が起こり、各自がその調整に奔走させられた。曲目や構成の詰めは当初はメール同時送信方式でやっていたが、曲目がほぼ確定した年明けからは、時間的負担の少ない専用掲示板で調整を続けた。
 仕事を持つ社会人と家庭人しての務めを果たしつつ、各メンバーがそれぞれに正月返上で練習を断続的に重ねる。ソロ的傾向の強かった私のジョイント練習は少なめだったが、音源をMP3に変換してネット送信するなどし、互いに遠方にいるハンデを埋めるべく、工夫をこらした。

 さきにふれたように、当初ジャンル別の3部構成でやる予定が、直前になって各自の持ち時間制に変更となった。この大きな理由は、入替え時間の短縮である。ジャンル別構成の場合、曲目の統一感はとれるが、メンバーの入替えがあまりに頻繁になり、場が冗漫になってしまう恐れがあったことだ。
 入替え時間のロスにより、曲目数そのものが大幅に減ってしまう懸念もあり、総合的な判断により、ややありきたりではあるが、リスクの少ない「各自持ち時間制」に路線変更した。

 私個人としては、1月上旬に風邪をひきかけ、1週間前の1/11に別の訪問ライブのスケジュールが突然入るなど、喉や体調の調整に腐心させられた。
 しかし、弾き語り活動も足掛け6年目に入り、それなりに場数も重ねている。喉やメンタル面の調整は過去の経験でうまく乗り切り、当日に心身をピークに持ってゆくことにどうにか成功した。

 当日は午後3時に各メンバーがお店に集合。練りに練ったマイクやギターケーブル類の構成案をもとに、接続作業を真っ先にやる。合計10本ものケーブル類で、お店としても過去最高記録。ミキサーに目印となる紙をマスターが貼り、番号毎にマイクや楽器の種類を詳細にメモ。その後、実際に音を出してPA全体の調整をしつつ、各自が入念なリハを繰り返した。

 事前に自宅でリハを一通り済ませてきたこともあり、私は6曲のうちソロでやる3曲を除いた残りの3曲を1回だけ軽く歌う。これまでの経験から、本番直前の「歌い過ぎ」は私の場合禁物である。大きな問題はなかったが、唯一気になったのは、「大きな片想い」のラストで吹く口笛。自宅リハではすいすい音が出たのに、なぜかお店ではさっぱり音が出ない。
「空気が乾いているせいかも?」との話になり、あとで水を一口飲んで吹いてみると、ちゃんと音が出る。一抹の不安を抱えつつ、すぐに本番の時間となった。

 この夜のセットリストは、以下の通り。(敬称略)


第1部:TOMすけ(菊地)
「酔いどれかぐや姫」(サポート:西やん)
「突然さよなら」
「あてもないけど」
「なごり雪」(サポート:西やん)
「北の旅人」
「大きな片想い」(若りんとのジョイント)

第2部:乙次郎
「旅するあなた」
「思い出にしてしまえるさ」(サポート:若りん)
「春風」(サポート:若りん)
「くれない丸」(サポート:おだりん、若りん)
「時は流れて風が吹く」(サポート:若りん)

第3部:若りん&Y3
「僕の胸でおやすみ」(Vo:若りん、サポート:乙次郎)
「アビーロードの街」Vo:若りん、サポート:乙次郎)
「赤ちょうちん」(Vo:おだりん)
「加茂の流れに」(Vo:若りん、サポート:乙次郎)
「愛する人へ」(Vo:おだりん)
「置手紙」(Vo:若りん、サポート:乙次郎)
「雪が降る日に」(Vo:おだりん)
「22才の別れ」(Vo:おだりん)
「うちのお父さん」(Vo:若りん、サポート:乙次郎)
「幼い日に」(Vo:おだりん)
「妹」(Vo:おだりん、サポート:乙次郎)
「おもかげ色の空」(シングアウト)

 〜アンコール
「海岸通」(Vo:若りん)
「神田川」(Vo:おだりん)


 6時ぴったりにライブ開始。いちおう発起人であるので、簡単な挨拶を冒頭でやり、かぐや姫のデビュー曲である「酔いどれかぐや姫」をまず最初に歌った。
 喉の調子はピークに限りなく近く、多少不安のあったギターピッキングも大きなミスなく乗り切った。マスター苦心のかいあって、PAの調子は最高。サポートしてくれた西やんのギターも心地よく鳴いて、いい気分でライブは進んだ。
 圧巻は4曲目の「なごり雪」で、声とギターに強弱をつけ、気持ちをうまく歌詞に乗せられたと思う。これまでにない手応えと自己充足を感じた。ライブ終了後に耳に届いた会場の評価も高かった。

 持ち時間の27分より2分短く、6時25分に終了。魂をこめて歌いきった。ぴったりに終わることも出来たが、後のメンバーの予備時間を考慮し、早めに切り上げた。
 現在の自分としてはほぼ100%の出来だったと自己評価しているが、唯一のマイナスは口笛。やはり本番でもうまく音がでなかった。聴き手にとって大きな瑕にはなっていないかもしれないが、悔いは残る。

 あとでいろいろ理由を考えてみたら、本番で使った2台のエレアコと大型のPAのせいで口笛そのものの音が聞きとれず、うまく音程がとれなかった可能性がある。こればかりは咄嗟の機転でもカバーしきれなかった。少しくらいは反省点があったほうがよいと、前向きに考えるか。

 他のメンバーもおおむねよい出来だったと思う。やはり練習の積み重ねは大事だと痛感した。聴き手は歌い手も含めて約30名で、予想を越える数。札幌以外のかなり遠方からの方もいて、大変ありがたかった。
 終了後の打ち上げ&二次会では本番で完全燃焼したせいか、もはや歌う気力なし。エネルギッシュに歌い続ける方の、もっぱら聴き役に徹した。この夜の本番のようなステージを2度続けてやるのは、私の場合不可能。それほど精魂を使い果たしたということだ。

 50日間に渡る準備のなかで、メンバーのライブにかける熱い思いと、みなぎるパワーを感じた。どのようなシーンであれ、調整役というものは難しく、報いは少ないもの。時には投げ出したくなることもあるが、その分やり遂げたあとの達成感は大きい。「たかがライブ」「たかが遊び」だが、人生の大きな励みになった。やって本当に良かった。

 まだ終わったばかりだが、今回のライブの経験を活かし、今後また別の企画に発展させたいという密かな願望はある。今年はただ自分が歌うだけでなく、いろいろな形でプロデュースのような活動をやってみたいと思っている。そんな期待感を心の隅に秘めつつ、しばしの余韻と休息に浸りたい。
 今回のライブでお世話になったすべての方々に、心からの「ありがとう」の言葉を捧げます。


 

歌酔倶楽部ありがとう・MJ "帰る…"/2009.2.22



 通算19回目となる「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベント「Musicジャンボリー」(通称MJ)が開かれた。
 別のセルフレポにも記したが、この日は昼間に老人ホームでの訪問ライブがあった。場所が自宅から遠く離れていた関係で、終了後は自宅に戻らず、そのまま夜を待って参加したという特殊事情。初めての体験で、体力的な問題のほか、気持ちの調整が果たしてうまく運ぶのか、かなりの不安があった。

 実家やスーパーで時間をつぶし、いつもより早めの6時過ぎに店に到着。この夜の参加者は18名で、いつもながら多い。私の順番は11番で、やや遅め。先のような事情から、なるべく早く歌い終えたいのが本音だったが、他の歌い手の声に耳を傾けつつ、じっと待った。

 この日は密かに、ある「タブー」に挑戦する気でいた。いまだかってない「一日2本」ライブなので、逆にそれをいい機会ととらえ、昼間の訪問ライブで歌った曲のひとつを、全く主旨の異なる夜の場で思いきって歌ってしまおうという、大胆な試みである。
 昼間のプログラムはごく普通に叙情系の春の曲で構成したが、はてさて、この中からどの曲を夜に歌うかである。

 候補としては、「サン・トワ・マミー」「釜山港へ帰れ」「川の流れのように」の3曲を当初考えた。どの曲も大きな違和感なく歌えると思ったが、ここで問題になったのが、2曲目とのバランス。
 これまで必ず何らかのテーマを決めて歌ってきたが、ふと「帰る」というテーマが思い浮かんだ。うまい具合に、いきものがかりの「帰りたくなったよ」をさかんに歌っていたところ。「帰る」に「新旧」というキーワードを重ねれば、立派なテーマとして成り立つ。そうなると、1曲目は「釜山港へ帰れ」しかない…。

 単なるこじつけになりそうだが、このような経緯で構成は決まった。

「釜山港へ帰れ」
「帰りたくなったよ」


 さて、そうはいっても、演歌のイメージが強い「釜山港へ帰れ」は相当な冒険であることに変わりはない。苦し紛れだが、いつも必ず冒頭でやる曲紹介はあえてせず、「昼間に老人ホームで歌ってきた曲を歌います」とだけ言い、いきなり歌い出した。

 率直な感想として、場の反応は「ノレンに腕押し」だったかもしれない。フォークではない演歌調の曲をあえて歌い、自分の歌の領域を広げた、という一点では評価できるが、「場の熱い支持」という面では、失敗であったかもしれない。


(写真は当日参加の乙次郎さん提供)


 この夜、PAの調子が前月にやった別のイベントライブの時とはかなり違っていて、戸惑った。特にモニターの音がよく聞き取れない感じだった。あとで聞いたら、1曲目のギター音がかなりうるさかったらしい。ギターの選択も含め、多数が参加するライブの難しさを思い知る。
 2曲目の「帰りたくなったよ」は、曲はもちろん、グループそのものを知らない人が多かったようだ。あまりに新し過ぎる曲も禁物ということか。会場に二人だけいた20代前半の参加者だけには、少なくとも受けたのが救いであった。

 いろいろと新しい試みをした夜だったが、「見事玉砕」というのが正しい評価だっただろうか。漫然と同じような曲を歌い続けるより、新しいことに挑戦し続ける意欲だけはいつも失いたくないと思っているので、まあ、よしとしよう。


 

歌酔倶楽部ありがとう・MJ "初めての雨"/2009.3.26



 記念すべき通算20回目となる「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベント「Musicジャンボリー」(通称MJ)が開かれた。
 このイベントが始まったのが2004年冬からで、私は第2回から参加している。途中、仕事や家庭の事情で休んだりもしたが、数えてみたら今回を含めて14回目の参加。「参加率」は70%ちょうどで、競うようなものではないが、まずまずの数値だろう。

 この日はたまたま帰省していた上の息子が墓参りに行きたいと言い出し、急きょ準備して午後から出かけた。分厚い雪をどかして何とか済ませ、トンボ帰りして夕食の支度。作ったカレーライスをあわただしくかきこみ、いざ出かけようとしたら、あまりにあわてて食べたせいか、急な腹痛。2度もトイレに駆け込む羽目に陥った。
 ともかくも出発したが、途中で免許証を忘れたことに気づき、再びUターン。前回に続き、どうもこのライブの日には予期せぬ何かがあって、あわてさせられる。

 何とか時間に間に合って、開始10分前に着く。貼り出されたエントリー表を見ると、15組中3番目という早さであった。
 実はこの日、ラストのシングアウトで、オリジナルの「ありがとうforever」を歌うことを依頼されていた。2005年春に作った、このイベントそのものを歌った、いわば「テーマソング」のようなもので、過去に何度も歌っていて好評だった。
 つまり、順番をあまり後にもってくると、続けざまの準備があわただしく、聴き手の印象も冗漫になる。そんな配慮が、いつもより早めの歌い順となったのであろう。

 常連客のYさんが転勤で札幌から遠く離れることが急に決まり、この日は「送別イベント」も兼ねることになった。Yさんは帰る方向が私と同じで、いつも車で送って行く。時に駐車料金を出していただいたり、いろいろ関わりのあった方だ。
 直前でその話を耳にした際、(送別のプログラムでやるべきか…)と、一瞬考えたが、今回の20回記念の構成は、かなり以前から練りに練り、準備していたもの。熟慮の結果、やはり当初の予定通りで臨むことにした。

 この日の切り口は、ずばり「最初」である。およそ5年前、この店に初めてやってきて、初めて歌った記念すべき歌を、改めて歌おうというのだ。その歌とは、「雨が空から降れば」。
 当時、フォーク歌手の及川恒平さんの札幌初ソロライブを企画していて、その広報の一環として店のネット掲示板を使わせていただき、実際に店でも歌ったといういきさつがある。

 1曲目がカバー曲の「雨が空から降れば」となると、2曲目はできればオリジナルを歌いたい。雨の登場するオリジナルはいくつか作ったが、これまた記念すべき最初のオリジナル曲は、「雨が降っても」というタイトルだった。
「雨が空から降れば」は20歳くらいから大好きな曲で、ことあるごとにこれを歌ってきた。もし自分で曲を作るとしたら、雨の曲しかない。そんなふうに漠然と考えていて、社会人となって上京し、都会の梅雨空の下で押しつぶされそうな心境のときに生まれたのがこの曲だった。

「初めて」と「雨」、二つのキーワードが見事に合致する。テーマは「初めての雨」、これしかない。

「雨が空から降れば」
「雨が降っても」(オリジナル)
 〜シングアウト
「ありがとうforever」(オリジナル)


 1曲目の「雨が空から降れば」は、おそらく人前で最も数多く歌っている曲で、完全に自分のものになっている定番曲。しかし、歌うたびに新しい世界が広がってくる名曲である。いつもながら、場の手応えも確かだった。
 本来なら1曲目は耳慣れしていないオリジナル曲、2曲目に聞き慣れたカバー曲をもってくるべきかもしれない。かなり考えたが、曲のできたいきさつを語るなら、この順番である。「雨が空から降れば」の対極として何を歌ったとしても、太刀打ちできないのは明らか。だとすれば、すんなり流れに沿って歌うべきだと考えた。

 今回の2曲は、どちらも2分弱の短い曲。たいしたMCも入れてないので、入替え時間を見込んでも、ステージはたぶん6分前後で終わっているはず。いつものことだが、曲もMCも短めのほうが、聴き手の心にはより深く届くと信じている。

 最初の8組が終わった時点で、時計は8時40分あたり。まずまずのペースで、9時までの休憩が入ったあと、後半が始まった。今回は1曲だけで終わる歌い手が4組もいたり、MCがほとんどなかったり、私のように全体が短い歌い手がいたりし、プログラムは小気味よくスイスイと進んだ。
 後半終了が10時半ころで、ここから先にふれたYさんのスペシャルステージが2曲あり、その後マスターと有志によるシングアウト「落陽」、そしてオーラスが私のソロで、「ありがとうforever」である。今回は「20回スペシャル」として歌詞の一部と、編曲を少し変えた。
 具体的には、1番と2番の間に「ありがとう、20回」といれ、ラストの「ありがとう」のリフレインをあえて無伴奏とし、会場の手拍子と歌声が際立つように工夫したが、これがビタリと決まった。実感としては、過去最高の手応え。この「過去最高」を歌うたび毎に続けるのが目下の目標である。

 このイベントもかなりの歴史を刻んだが、当初は参加者が10人にも満たないことが多く、人集めに奔走した時期もある。開催間隔も年に2〜3回という年がしばらく続いた。それがいまや毎月開催で、参加者は20名を越す勢い。自分は歌わないが、単にライブを聴きにくるという常連も次第に数を増し、この日も客の総数は30名近かった。
「参加者が増える」→「歌い手は歌に熱が入る」→「聴き手はそれに引き込まれる」→「歌いがいがあるので、さらに参加者が増す」
 こうしたプラスの循環が延々と続いている感じだ。

 成功の大きな要因は、やはりお店側の場作りに対する情熱と配慮で、それに理解を示し、支えようとする客だけが残っていった。
 思い返すと、初期のころから残っているメンバーも、私を含めて4〜5名いる。類は友を呼び、細くても長く受け継がれてゆく。


 

歌酔倶楽部ありがとう・MLS "誰も知らない夜"/2009.5.10



「ミニライブSunday」(略称:MLS)という、馴染みのフォーク居酒屋のイベントに参加した。毎月の定例ライブの参加人数が増え続け、ついに月の中旬にも別の形での定例ライブをやることになり、その第1回目である。
 これまでとの違いは、一人2曲10分以内だったのが、一人30分前後に時間が拡大されたこと。ただ、時間や料金は同じなので、参加は7組限定である。
 一人30分前後のステージをやるということは、実はそう簡単なことではない。普通に歌うと軽く6〜7曲にはなるから、歌の力はもちろん、聴き手を飽きさせない構成力も必要になってくる。

 やると決まったのは先月で、参加すべきか否か、ちょっと躊躇していた。ずっと保留にしていたら、お店の掲示板でママさんから誘われ、「それでは補欠で…」という半端な受け答えをした。
 実は参加人数が5組以下なら、ライブは不成立という、厳しい「掟」がある。初回から何もせずに企画を流してはマズイ。そう思って「補欠」としてエントリーしたわけである。

 いざ蓋を開けてみると、参加人数はちょうど上限の7組。店にはスタッフを含めて17名が集まり、なかなかの盛況である。1週間前に自宅コンサートをやったばかりだが、気持ちを切り換えて以下の7曲を準備した。


「誰も知らない夜」(オリジナル)
「さりげない夜」
「さよなら大好きな人」
「待っているうた」(作詞:山下たづ子/オリジナル)
「帰郷」
「Teimi/丁未」(作詞:ふじりん/オリジナル)
「あたらしき世界」(オリジナル作詞)
 〜アンコール
「雨が空から降れば」


 まるで意地を張るみたいだが、1週間前に自宅コンサートで歌った9曲とは、一切重複していない。この夜は全体をひとつのテーマで貫くことはせず、2曲ずつをワンセットで対比させて組み、歌い進むという手法を初めてやってみた。
 準備期間が短かったことと、歌いたい曲に一貫性がなかったことがその理由で、最初の2曲はイベントのオープニングむきに作った「誰も知らない夜」がらみで「夜」、次が父の一回忌を意識して「別れ」、次が書き下ろし曲の「Teimi/丁未」がらみで「故郷」をそれぞれミニテーマにし、ラストは全体の熱をほどよく冷ます意味から、クラッシックの「新世界」に歌詞をつけた「あたらしき世界」とした。

 1週間前の自宅コンサートに続き、この夜も全曲座って歌った。座って歌うと客席があまり見通せず、聴き手の反応から情に流されて崩れる、という危険性が少ないので、この夜のように「アブナイ泣ける曲」を連発するときは、好都合である。
 案の定、3曲目あたりから聴き手の様子が何となくウルウルとおかしいのが分かったが、見て見ぬふりで歌い通した。

 短めに30分でサクサクと歌い終え、撤収しようとしたら、マスターからいきなり「もう1曲やってよ」。期せずして、会場からも「アンコール!」。
 曲はマスターからのリクエストで、先日歌ったばかりだが、「菊地さんの『雨が空から降れば』は、何度聴いてもいい」といつも言われているせいか。それでもやっぱりうれしかった。

 今回の目玉は、6曲目に歌った「Teimi/丁未」で、先月中旬に同じ店で歌った際、常連客のT子さんから依頼されて作ったオリジナルである。店の常連客には他にもオリジナル曲を手がける方は複数いる。いろいろな経緯があって、叙情系の曲作りを得手とする私に、最終的に白羽の矢が立った、ということらしい。
 彼女の故郷である財政再建中の夕張市への熱い思いを綴ったもので、作詞は同じく常連客のFさん。少女からオトナへと変貌してゆく女性を、季節の移り変わりと故郷への思いとに重ね合わせていて、切なくて泣ける詩だ。

 打ち明けると、そのT子さんから、「実はお願いしたことが…」と、店の暗がりで黄色いノートに書かれた歌詞を差し出され、核となるフレーズを読んだ瞬間に、サビのメロディが頭に中に流れていた。曲ができるときは、だいたいこんなものだろう。
 歌詞の譜割りが一部難解で、微調整にちょっと苦労したが、ほぼ当初のイメージ通りに曲は完成した。

 そのT子さんもFさんも、この歌を聴きにわざわざ来てくれた。曲はかなり前に完成していたが、初めて歌う場は、この2人の前でなくてはならない。
 初披露なのでかなりの不安があったが、非常に喜んでいただいた。別の方々からも終わったあとでいろいろ声をかけていただいたので、出来は良かったらしい。タマシイをこめて歌ったせいか、ステージを降りると、ちょっとガクッときた。

 この夜はさすがにツワモノがそろっていた。ラストで歌ったTさんに至っては、大半がオリジナルで、しかも迫力のある美声。聞けば、デビュー前の松山千春と一時ユニットを組んでいたそうだ。ヤマハのポプコンで作詞賞をとったこともあるとか。その歌も聞けた。ライブの最後のほうでは、数名の女性が感極まって涙を流していた。

 うまい人はまだあちこちに眠っているということで、少しくらいの賛美で奢っていてはイケナイぞと、改めて自分を戒めた。道はまだまだ続く。