イベントライブ顛末記


歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "懐かしい場所" /2007.6.24



 過去5回参加し、一時は常連と化しつつあった「歌酔倶楽部ありがとう」のアマチュアライブイベント「Musicジャンボリー」に、一年ぶりに参加した。
 すっかりごぶさたしていた大きな理由は、事業の悪化と身内の介護問題である。これに関しては改めてクドクドと説明はしない。しかし、私にとって、趣味のイベントから長期間足を遠ざけるほどの大きなストレスであったことは間違いない。

 問題がすべて解決したわけではない。しかし、6月上旬に長らく遠ざかっていた青空ライブを再開したように、「生きている今」を大切にしたいという単純な理由から、周囲に忘れ去られないうちに、もう一度懐かしい場所で歌わせていただこうと考えた。

 この日の参加者はぴったり10名。この種のイベントの常で、参加者は多いときも少ないときもある。時間の都合で参加者は10名限定なので、この日は盛況といえた。まず一人3曲ずつ歌い、一巡したあとは一人一曲ずつ終了時間まで歌い続けるという趣向である。
 一年顔を出さないでいると、顔の知らない人もかなりいる。以前からの常連は、「やあ、久し振り」と、暖かく声をかけてくれた。

 歌う順番はクジ引きで決めることになった。この種のクジ運は割によく、今回も4番目という程よい順番。以下、歌った順番に、私なりの印象を記してみたい。


NO.1/Hさん
 20代前半と思われる若さ。知らない顔だ。音楽専門学校に通っているそうで、歌は一切なく、ギターだけで勝負するいわゆる「インスト(インストゥルメンタル)」である。
 このギターテクが物凄く、のっけから圧倒された。ギターを「弾く」のではなく、「叩く」という印象なのだ。まさに目からウロコ。ボディはもちろん、ネックの部分まで叩いて不思議な音を醸し出す。ギターは弦楽器であると共に、打楽器でもあったのだと思い知らされた。
 若い割にMCも巧み。全曲をオリジナルで通し、独自の世界を作っていた。オープンチューニングによるアラブ風の音色が心に残った。参った。

NO.2/STさん
 雰囲気が一転して、初参加の50代と思われる男性。これまた知らない顔。奥様と共に参加されていたが、井上陽水の歌をエネルギッシュに歌っていた。
 場に慣れてなく、かなり緊張した様子。自分の歌い始めの頃をふと思い出した。存在的パワーはまだまだありそうな予感。

NO.3/Sちゃん
 もしかするとこのイベントに全てエントリーしているのでは?というほどの常連。アップテンポの歌が得意。いつもそばで彼女が優しく見守っている。
 今回は普段とはちょっと違う曲構成で、別の一面を見た。ギターのチューニングを舞台に上ってから始めてしまい、彼女のヒンシュクを買っていた。


NO.4/TOMすけ(菊地)
 この日のプログラムは、2週間前に実施したモエレ沼公園での青空ライブ「森のフォークコンサート」の総集編のような構成にした。全曲オリジナルである。


「野の花や」 ... 2006.5.20
「三日月の森」 ... 2007.5.1
「そこにあります」 ... 2007.6.12


「野の花や」は、この店の常連のある方が、店のネット掲示板に書込んだ短歌にメロディをつけた異色の作品。2番の歌詞を本人の承諾を得て、私が付け足した。これまで人前で2度歌っているが、評判はなかなかよい。一番最初に歌うべきこの店で、なぜかまだ歌ってなかった。
 歌い終えたあと、聴き手の一人である同年代のM子さんに「とても美しい歌です。もう一度聴いてみたい」と声をかけられ、うれしかった。歌詞が短いので、出だしにサビをもってきたのがポイント。

「三日月ラプソディ」は私にしては珍しい激しいロック調の曲。夜の公園を徘徊する中年カップルの姿を描いた、いわゆる「中年ラブソングシリーズ」のひとつだ。意外にも若い人の反応がよかった。
「そこにあります」は吉田拓郎の初期の曲「何もないのです」のアンサーソングとも言える出来たての曲。50代後半である私が、自分よりも若い世代にむけて、あるメッセージを託した。

 3曲それぞれが、目下フォークを通して私が模索中の世界を象徴している。手応えはあった。確かに何かは伝わった。

NO.5/SYちゃん
 伸びやかな声で、みのや雅彦や松山千春の歌を得意とする。アマチュアながら、去年はこの店でジョイントライブも開いた。いつもと変わらない世界だが、ハズレがなく、安心して聴ける。会場からも多くの声援がかかっていた。

NO.6/Gさん
 このイベントに参加し始めて、そう月日は経っていない。最初の頃はギターを押さえる手もぎこちなかったが、いつの間にかすっかり板に着いていて驚いた。古井戸が好きで、美しい声に独自の世界を持っている。
 この日、「Gさんからの手紙」というオリジナル曲を初披露。本人から店に出したメッセージという切り口で、喝采を浴びていた。

NO.7/SWさん
 吉田拓郎の歌で3本まとめた。マスターの元同僚(先輩?)で、この人も安定した居場所を持っている。一年聴かぬうち、歌もギターも格段に進歩していた。私と同世代だが、努力次第でまだまだ伸びしろはあるのだと思い知らされた。「旅の宿」のギターテクは見事。

NO.8/Lさん
 この日の紅一点。これまた知らない顔で、非常に若い。聞けば札幌狸小路で路上ライブをしていたところを誘われたとか。2度目の参加でまだ場に慣れていず、会場からときおり励ましの声がかかっていた。
 3曲のうち、2曲がオリジナル。そのテーマが全て家族で、非常に興味を引かれた。介護施設にいる祖母をテーマにした「アーモンドのうれし涙」は聴かせた。タイトルもいい。

NO.9/Cちゃん
 外見はちょっとコワイ印象だが、心根はとても優しい。この日も新顔でドギマギしているHさんやLさんに、何くれとなく声をかけていた。
 あまり人が知らない隠れた名曲を発掘し、じっくり聴かせてくれる。この人の持ち味は、繊細なギターテクニック。ほとんどアドリブらしいが、聴いていて泣き出しそうになるほどの心に染みる音をいつも聴かせてくれる。すごい。

NO.10/マスター
 皆がいやがるトリを、犠牲的精神で進んで引き受けてくれた。この順番だけはクジの対象外。SWさんと同じく、吉田拓郎の歌で3本まとめた。
 圧巻は「制服」。抜群の声量で歌い抜いた。聴くのは4度目か5度目だが、この日が一番出来がよかった気がする。最初の2曲の出来が良過ぎたせいか、3曲目でちょっとミス。まあ、それもご愛嬌。

 一巡のあと、めいめいがもう一曲ずつ歌った。私は近々この店で斉藤哲夫さんとジョイントライブをやる予定の及川恒平さんの告知をかね、名曲「面影橋から」を歌った。日頃ごぶさたしているので、せめてこれくらいは、といったキモチである。

 この日は久し振りということもあり、場の空気に馴染むのに時間がかかった。そのせいで、ギターコードを数カ所押え間違えてしまった。過去にあまり記憶がないことで、とんだ失態である。
 思うにこれは、若い参加者を前にして(いっちょういい所を見せてやろう…)という野心、邪心、対抗意識のようなものが心の隅で働き、邪魔をしたのかもしれない。自分のペースを見失うと、こういう目にあう。まだまだ修行が足りない。
 歌そのものはまずまずだった。特に最後に歌った「面影橋から」は、自分でもよく声が出ていたと思う。

 全体的な印象として、新人の初々しさとベテランの味とがうまく融合していた。アマチュアのライブとしては、理想に近い形だろう。自分の座る場所がちゃんとそこある。そんな懐かしくて暖かいイベントだった。


 

歌酔倶楽部 ありがとう 弾き語り酒場 /2007.9.19



 アマチュア対象のライブイベントにときどき参加している居酒屋ライブハウスが、70年代フォークを中心とした、弾き語りライブの場を新規に開くという。マスターとは懇意なので、掲示板やメールを中心にあれこれ情報交換をしていたが、実施の日は思っていたよりも早くやってきた。
 世間では、主に団塊の世代をターゲットとした「フォーク酒場」とやらが大流行のきざし。その時流に乗った感もなくはないが、名称を「弾き語り酒場」とすることで、弾く楽器や歌の対象をより広げようという意図である。

 当面は毎週水曜が「弾き語り酒場の日」となり、基本的には他店同様、来店者が交代でステージに上がって歌うという構成である。途中で30分ほどのミニライブを開き、場にメリハリをつけようという話があり、いろいろな行き掛りで、私が第1回の最初のミニライブを担当することになった。
 定例ライブでは最年長であったし、音響のよいステージでまとまった時間歌わせていただくよい機会と考え、喜んでお引受けした。

 定例ライブではオリジナル曲中心でいつも歌っていたので、今回も全曲オリジナルでやろうと思った。幸い、店にちなんだオリジナル曲がいくつかあり、過去にも何度か歌っている。今回のステージは30分という程よい長さがあり、全部で6〜7曲は歌えそうだった。
 そこで、この「店に関わるオリジナル曲」を出だしと半ば、そしてラストに配置し、全体を構成しようと考えた。今回のミニライブにサブタイトルをつけるとするなら、「ありがとう、すべてに」あたりだろうか。

 構成はすんなり決まったように見えたが、実は前日になって1曲だけ変えた。ラスト前の2曲に、いわゆる「中年ラブソング」を連続させる予定でいたが、これが聴き手には少し辛いかもしれない、と思い始めたからだ。
 うまい具合に、20代に作った曲のリメイクが進行中で、そのうちのひとつが、若い女性の視点で人生を深く思いやるという、なかなかの名曲。メロディを全面的に変更したので、多少の不安はあったが、思いきって歌うことにした。

 この夜のセットリストは、以下の通り。


「野の花や」(作詞:なんかい/オリジナル)
「初恋の来た道」(オリジナル)
「道は空へ」(作詞:NON/オリジナル)
「四季の女(ひと)」(作詞:なんかい/オリジナル)
「向い風」(オリジナル)
「待っているうた」(作詞:山下たづ子/オリジナル)
「ありがとうforever」(オリジナル)
 〜アンコール
「雨が空から降れば」


「野の花や」「四季の女(ひと)」の作詞者は、店の常連が掲示板に記した詩や短歌が元になっている。「ありがとうforever」は、ひとつのメロディに5つの歌詞があるという不思議な曲。今回の曲は、ずばり店の定例ライブをイメージして書きおろしたもので、評価も高かった。
「初恋の来た道」は同名の中国映画を観て作った曲だが、マスターのお気に入り。この場で歌うのに相応しい曲だろう。その他、曲調やリズムパターンがかぶらないよう配慮し、最新曲も交えて構成した。

 3曲目の「道は空へ」は、ネットで知り合ったNONさんというプロミュージシャンが書かれた詩に、私が曲をつけたもの。プロの音楽家とは全く知らずに交流が続いていたが、たまたまNONさんがブログに載せた詩に曲をつけ、メールで承諾を得ようとしたところ、音楽のプロであることが判明。メジャーレーベルで何枚かのアルバムも出され、現在も地元青森を中心に活動中とか。世の中、本当に何が起こるか分からない。
 この詩には、ご本人による別のメロディもついているらしいが、「ひとつの詩に二つの曲ってのもアリでしょ」と、あっさりお許し下さった。歌う前にその都度経緯を説明することは必須であるが、どうしても人前で歌ってみたくなる強いオーラを感じる詩である。

 偶然だが、私以外の詩による曲が、4曲も重なった。そのうち、ネットがらみの曲が3曲。今回は歌わなかったが、他にもネットがらみのオリジナルがいくつかある。これも時代の流れか。

 ライブ開始は8時30分の予定だったが、遅れてくる方が何人かいて、ミニライブの開始を遅らせることが急きょその場で決まった。空いた時間に、マスターを含めた3人の方が交代で弾き語り、私のライブは45分遅れの9時15分から始まった。
 いつもの悪い癖で、出だしで少し上がった。脚が微妙に震えているのが自分でも分かった。プロ仕様の音響と照明が備わっているライブハウスは、いつ歌ってもあがる。
 1〜2曲目にデリケートなアルペジオ調の曲を持ってきたことも、多少影響していたか。最初はストロークでガンガン弾く曲のほうが無難かもしれない。ただ、前回の定例ライブと違って、コードミスや歌詞の間違いなどの致命的なミスはなかった。

 3曲目あたりから少し落着いて、ようやく聴き手の様子を見る余裕が出てきた。まだまだ修行が足りない。
 ただ、全曲オリジナルという難しい構成の割に、会場からの反応は悪くなかった。アンコールを含めて8曲歌わせてもらい、場の始まりの空気を作る「フロントアクト(前座)」としての役目は充分果たせたと思う。

 この夜集まった客は歌う人、ただ聴くだけの人も含めて10数人。年に数回実施される定例ライブと、ほとんど変わらないメンバーがそろった。遠くは函館や苫小牧からやってきた見知らぬ人もいた。
 交代で2曲ずつ歌う「フリーライブ」と、30分前後の「ミニライブ」が交互に続き、ライブの終了が12時過ぎ。この夜、途切れることなく歌われた曲は全部で40曲近かった。

 その後の雑談を終えて店を出たのが、1時半。家に戻ってようやくビールを飲み、(車で行ったのでずっと酒ナシ)寝たのが3時半過ぎ。夜遊びにも体力が必要である。あと、お金も少し。
 このイベント、店としては初めての試みで、定着するか否か、はたまた全体構成がどう動いてゆくか、まだ手探りの状況である。ただ、この夜のような雰囲気は、客としては楽しめる。今後の展開に注目しよう。


 

歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "現在過去未来" /2008.2.24



「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベントである「Musicジャンボリー」に今回も参加。多忙な毎日だったが、何とか時間をやり繰りした。人前で歌う機会を定期的に作っておかないと、場の「カン」のようなものが損なわれそうで怖い。その意味では絶好の機会である。
 朝から非常に寒い日で、早めに家を出たが路面はガチガチに凍っていて、車はノロノロ運転。普段は30分足らずで着く場所に、1時間以上もかかってしまった。

 着くとすぐにアミダによる歌う順番のクジ引き。参加者11人という盛況の中での7番目で、やや遅いがこれもクジ運と腹をくくる。
 この日は夕食もお店で用意してくれ、カウンターには山のような手作りのサンドイッチとラーメンサラダなどが並んでいる。まずは腹ごしらえして備えた。

 初参加の方が3人もいたが、いわゆる常連も数多い。毎回一定数のメンバーが入れ替わっていることになり、「マンネリ防止」という面ではよいことだ。
 各メンバーの歌は、定番フォークからオリジナルまで多種多様。心地よい緊張感がそこにあった。このイベントが始まって丸3年が過ぎたが、ひとつの場所を確保した感がする。

 この夜のセットリストは、以下の通り。これまで「同じ曲は2度歌わない」「なるべくオリジナル曲を」というタガを自らにはめてきたが、今回は一切のこだわりを捨て、「いま歌いたい曲」「過去に評価の高かった曲」「明日の自分にむけてのメッセージ」そんな切り口で選曲した。言い換えるなら、いまの私の「現在過去未来」である。
(「切ない夕暮れ」「ありがとうforever」には、kyararinさんのご提供によるライブ動画がリンク設定されています)


第1部
「あめのことば」
「切ない夕暮れ」(オリジナル)
「ありがとうforever」(オリジナル)

第2部
「さくら」(直太朗)


 第2部で歌った「さくら」の際にボーカルモニタが途中で切れるというアクシデントがあったが、全体として大きなミスはなかった。
 この店のテーマソングとして作った「ありがとうforever」は過去最高とも言える出来だったか。実はこの曲は、この店の常連である女性に、「あの歌をぜひまた歌って欲しい」とリクエストされていたもの。自分にそのような聴き手の心に残る曲があるということは、とても幸せなことだ。望まれる曲は定期的に歌うよう、今後は心掛けたい。

 ライブが終わったのが深夜1時。家に着いたのが2時少し前だった。なんだかエラく冷えると思って外の寒暖計を見ると、マイナス17度!どうりで寒いはず。


 

歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "消えた面影橋" /2008.4.27



「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベントである「Musicジャンボリー」に参加した。早い春の訪れで、うららかな日和。仕事も一段落して、歌うには絶好の環境が整っていた。
 今回は早春というこの時期にしか歌えない曲、ぜひともこの時期に歌ってみたい曲があり、それを中心にした構成でいこうと、かなり早い時期から決めていた。参加者を募るお店の掲示板にも、早々と「参加します!」宣言を書き込んだのも、この計画があったからだ。

 その曲とは、70年代フォークの名曲「面影橋から」である。20代前半からこの曲はずっと歌い続けてきたが、なぜそんなに思い入れが強いのかは、今回のMJの「予告編」として、自分のブログで詳しくふれている。(3回連続)読んでいない方で、興味のある方はこちらでどうぞ。

 店に着くと、いつものようにアミダによる歌う順番のクジ引き。今回は参加者10組11人という盛況の中での4番目。早過ぎも遅過ぎもせず、程よい順番でアルワイと最初は思っていたが、これが実はトンデモナイ間違いであった。
 この日のライブには「面影橋から」を発売当初の幻の歌詞で歌うという大きなテーマがあったが、歌う前から多少の気負いのようなものがあったかもしれない。さらにクジ運がよいのか悪いのか、最初の3人の歌い手があまりに上手過ぎた。(と自分では感じた)

 あまりいいイメージが湧かないまま、自分の出番はやってきた。この夜のセットリストは、以下の通り。この夜の自分なりのテーマは、いまでは歌われなくなった発売当初の「面影橋から」を揺り起こし、そこから広がるこの歌の世界観をひもとくという、壮大なものであった。


第1部
「面影橋から」
「流れる」(オリジナル)
「ぐるり」(オリジナル)

第2部
「恋は桃色」


 数日前に再発した持病の腰痛の回復が予想外に長引き、やむを得ず「腰痛コルセット」を密かに装着しながらの参加だったが、寒暖の差の激しさからくる喉の不調もあってか、1曲目でいきなりつまずいた。「面影橋から」の1番ラストの大事な聞かせどころ、「オオヨドニィ〜」の高音部で、声が一部途切れてしまったのだ。
 体調不良のときにしばしば起きる悪い現象で、過去にも施設訪問ライブで何度か経験がある。2曲目以降は何とか持ち直したが、とても納得できるものではない。

 何事でも(いっちょうやってやろう…)などといらぬ邪心が入り込むと、ロクな結果にならないという典型。自分のペースを守ることを、ついつい忘れていたようだ。
 何のことはない、身の程知らずの野望を持って歌ってみて見えたのは、大塩平八郎の志(先のブログに詳しいが、「面影橋から」は「大塩平八郎の乱」を題材にした芝居の劇中歌である)には遠く及ばない、わが身の小ささとぜい弱さという皮肉な結果。
 しかし、それを再確認できたのもひとつの収穫と捕らえるべきか。たかがアマチュアライブとはいえ、まだまだ道は遥か遠い。

 出来が悪いなりにも収穫はあって、「輪廻転生」というこれまた壮大なテーマで作ったばかりのオリジナル曲「ぐるり」は、まずまずの出来だったろうか。
 歌い手が一巡後の第2部で、その場のほんの思いつきで歌ってみた「恋は桃色」が、一部から熱い支持をいただいたのも、予期せぬこと。ライブは歌ってみなきゃ分からない。


 

歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "夢" /2008.6.29



 父の四十九日と納骨が無事に終わり、ひとまずの喪が明けたので、「歌酔倶楽部ありがとう」の定例イベントである「Musicジャンボリー」(通称「MJ」)に参加した。
 今回のテーマはずばり「夢」で、前回の「消えた面影橋」の続編のような構成にした。生と死を強く意識した内容で、喪の明けた直後として相応しいテーマだろう。

 今回のライブの参加者は15組近くもあるという情報が事前に入った。過去12回の歴史のなかでも例のない記録だ。(過去に参加した中では、11組が最高)一人3曲歌うから、休憩なしで突っ走っても、軽く4時間はかかる。
 このために開始時間が急きょ1時間早まった。どうやら体力勝負となりそうな気配で、はたして前回のような気負いを取り去り、自然体で歌えるかどうかが問題だった。この定例ライブには、細く長く参加し続けたいと思っているのだが…。

 店に着くと、いつものアミダによる順番ではなく、以前のような店側が指定した順番制に戻っていた。参加する回数がこれだけ多くなると、順番はもうどうでもいい気がしてくる。ただ、初参加者が多い場合、ある程度順番も考慮されてしかるべきだろう。まだ場慣れしていない方に、「さあ1番で歌いなさい」「トリで歌ってください」と強いるのは、現実問題として少し酷だ。
 今回の私の出番は、参加者15組中7番目というものだったが、参加者の遅れで、急きょ1番詰まった。詰まりそうな予感はあったから、早めに心の準備はしてあった。

 この夜のセットリストは、以下の通り。「あくまで自分のペースで、気負わずに歌う」がもうひとつの大きなテーマだったが、出番直前になると、やたらトイレが近くなった。やっぱりまだまだ緊張している。


「夢のまた夢」
「夢のしずく」(オリジナル)
「夢」(作詞:山上 高/オリジナル)


 これまで自宅コンサートや路上ライブ、老人ホームや他のイベントライブなど、数々の場を経験してはいるが、このイベントは何度歌っても緊張する不思議な場なのだ。あとで聴き手に確かめてみたら、「そんな感じはしませんでしたけど?」といぶかられたが、歌っている本人が言うのだから間違いない。
 思うに、聴き手との距離が近いこと、聴き手の耳が肥えていること、そして聴き手の集中度が高いことなどが理由だろう。ともかくも、私にとっては大いなる「アウェイ」の場なのである。
(写真は当日参加の乙次郎さんよりご提供いただきました)

 結果として前回のような気負いはなく、まずまずの出来だった。声もそれなりに伸びていたと思う。(うまく歌ってやろう…)という野心を抑え、自分の色を出すことに徹するのが良策ということか。
 2年前に作ったきりで、人前では一度も歌ってなかった「夢のしずく」は、かなりの手ごたえを感じた。実はこの曲、「演歌風フォーク」で、私のオリジナルの中では他に例のない独特の曲調である。

 1曲目の「夢のまた夢」は、前回のテーマだった「面影橋から」と同じく、「大塩平八郎の乱」という芝居の劇中歌である。つまり、前回テーマから今回テーマへの文字どおり橋渡しとなる重要な曲だったが、「ズンタカズッタ〜」というヤミツキになる独特のギター伴奏のせいか、評判は悪くなかった。
 この曲はギターに集中すると歌がダメになり、歌に集中するとギターが満足に弾けないというジレンマに長い間陥っていたが、去年秋に作ったオリジナル「切ない夕暮れ」で思いついた「小指以外の指を全部使って弾く」という我流テクで、何とか歌えるようになった。六十路を控えてはいるが、心がけ次第で、まだまだ伸びしろはあるということだろう。

 午後7時過ぎに始まり、終わったのは深夜零時近くだった。集まったのは結局合計16組で、ラスト前にプロのフォーク歌手、境長生さんが登場するというサプライズもあったりし、合計43曲5時間ぶっ通しの長丁場となったが、不思議なことに歌い手も聴き手も最後まで緊張感が途切れることはなかった。
 16組も集まると、よい意味で歌の世界はバラける。それが聴き手を飽きさせなかった最大の要因だろう。夫婦ユニットあり、友人ユニットあり、定番フォークあり、オリジナルあり、ピアノ弾き語りあり、リコーダー&ハーモニカあり…。
 女性が3人で、ピアノの弾き語りが2人。オリジナルが6曲(プロ以外で)という感じだ。13回目を経て、アマチュアの発表会としては、ひとつの頂点を極めた気がする。

 ライブ終了後、時間のある方たちと1時過ぎまでフォーク談義やら、即興のミニライブにふける。
「こんな歌あったよね」「ああ、これかい?」てな感じで、フォークから演歌まであれこれ思いつくままに歌って、これまた楽しいひとときを過ごした。熱い一夜の余韻を冷ますには、絶好の時間だった。

 今回の盛況がどこまで続くのか、それはまだ誰にも分からないが、始まりの確かな予感はする。次回は2ヵ月後だそうで、すでに構成の準備に取りかかった。またひとつ楽しみが増えた。


 

歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "女唄" /2008.8.31



 今回で14回目となる、「居酒屋・ありがとう」の定例イベント「Musicジャンボリー」(通称「MJ」)に参加。ネットや口コミでの情報がじわじわと広がっているのか、参加者は回を重ねるたびに増え続けている。
 今年からは隔月開催という大きな改変を試みたが、それでも参加者は20組の大台に今回初めて乗った。いまや北のアマチュアシンガーの大きなイベントになりつつあるのか。そのアオリで、これまでずっと「一人(一組)3曲」を守ってきたが、今回はついに「一人(一組)2曲」に限定となる。
 歌う側はたくさん歌いたいのが本音だが、「歌い、そして聴く」というのがこの集まりの大きなコンセプト。開始時間をぎりぎりまで早めたとしても、もはやこの曲数が限界であろう。

 今回の私のテーマは「女唄」で、最近作ったオリジナル曲がいずれも女性目線の歌。この際、過去のストック分も掘り起こし、女性目線のオリジナル曲で統一しようと考えた。

 参加者が多い関係で、歌う順番は前回と同じ店側の指定である。さまざまな事情から、私は早めの5番目で、さっさと歌い終わってゆっくり聴ける、いい順番だった。
 今回の大きな目玉は、この店の常連である中年女性とのコラボレーションだった。イベントには初参加の女性の心情に配慮し、早めの出番となったのであろう。
 つい最近のことだが、この女性がネット上で書いた詩に、私が曲をつけた。それをまず作詞者である女性自身に朗読してもらい、直後に作曲者である私が歌おうという趣向。過去に数回自分自身でやったことがあるが、なかなか面白く、聴き手の評判も悪くなかった。

 問題は女性との練習が全く出来なかったということ。本来なら一部をいっしょに歌うことも可能な曲だったが、本人に聴いてもらったのはたった一度だけ、といった有り様ではそれも不可能。やむなく、数回のメールの打合せで、前述のような無難なコラボレーション形式に落ち着いた。
 当日、始まる前に店の片隅で簡単な打合せをやった。朗読を始めるタイミング(ギターのジャ〜ンの音から入る)、朗読中のギター伴奏と、そこから歌に入るタイミングなどを調整。細かい部分はアドリブで何とかしよう、ということになる。
 以下、当日の構成である。


「植木鉢のそばで書かれた詩」(作詞:山下たづ子/オリジナル)
「独り」(作詞:まりりん/オリジナル)


 1曲目は34年前に読んでいた「詩とメルヘン」に掲載されていた作品に曲をつけたもの。詩の求めるままに曲をつけたら、期せずして激しいロック調になった。皆無ではないが、ロック調の曲調自体が、私には極めて珍しい。練習で何度もピックを割るほど。

 この日、久しぶりに座って歌ったが、これは歌い手の数の多さに配慮し、交代時間を少しでも短くするためだった。しかし、ギターを前回と違ってエレアコにしたのが、結果的にまずかったかもしれない。この日は大半の歌い手がギターはマイクどりで、エレアコは私が初めてだった。歌う前からギターの音の調整に手間どったが、1曲目を歌い始めると、なぜか途中で「まった」がかかった。
 歌った本人は気づかなかったが、どうやらギターの音がボーカルに比べて異常に大き過ぎ、ボーカルが飛んでいるという。しばし調整のあと、ようやくOKが出て歌い直したが、気持ちの調整がちょっと難しかった。

 幸い、2曲目は大きな問題もなく、朗読のバックに小さく入れたギターアルペジオ(実は、続けて歌う曲のコード進行と全く同じなのだった)が、朗読の終了とピッタリ一致し、曲への移行が実にスムーズに運んだ。
 タマシイをこめて全力で歌ったので、かなり消耗したが、これまでこの曲を歌ったなかでは、最高の出来だった。朗読していただいた女性からも、「感激で涙がこぼれそうになった」とあとで打ち明けられた。
 2曲ともオトナのオンナの曲である。そのことを敏感に察知し、あとで伝えてくれた方も別にいた。意図したものは、伝わる方にはちゃんと伝わっていたようだ。

 座って歌ったのがよかったか、前回までのように「上がる」という現象は、今回に限っては皆無。座って歌うと場内があまり見通せないので、自分のペースで歌いやすいことを発見した。
 7時に始まり、終了が11時半。長丁場での体力精神力の維持が不安だったが、演奏はしり上がりに盛り上がり、時間の経過をあまり感じさせなかった。特に若い新人の台頭が著しい。
 来年還暦を迎える最高齢参加者の私にとって、もはや取り戻すことは不可能な世界だが、やはり若さの勢いがちょっとだけウラヤマシイ。