イベントライブ顛末記
歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "森羅万象" /2005.9.25
都合4度目の開催となる「歌酔倶楽部ありがとう」の「アマチュア・Musicジャンボリー(略称:MJ)」で3曲歌った。
私は2回目からの参加だが、毎回違った味を出そうと苦心しつつ構成していて、最近では自分のライブ活動における季節毎の大事なメリハリになりつつある。今回はこのところ立続けに生まれつつある自然や人間、それらを取り巻く広い宇宙までを題材にしたオリジナル曲を中心にプログラムを構成しようと考えた。一言でいうと「森羅万象」ということになるが、テーマがあまりにも大きく、しかも漠然としすぎていて、聴き手にとって分かりにくい世界であることは疑いもない。
単純で分かりやすい「愛」をキーにし、変化技で構成する無難な手段もあった。しかし、フォークシンガーを自負するなら、いま現在進行している自分自身のありのままの姿をまず聴き手にぶつけてみるべきではないか?結局は直球真っ向勝負のそんな結論に落着いた。選曲が大詰めを迎えていた9月のある日、お店のホームページ掲示板である話題が持ち上がった。
「次回もぜひ『ありがとうのテーマ』を歌ってくださいね」と、ママさんから私にリクエストが出たのだ。「ありがとうのテーマ」つまり、前回の定例ライブでラストに歌って好評だった「ありがとうforever」である。
正直に書くと、この発表会では余程のことがない限り、同じ曲は1年は歌うまい、と心密かに決めていた。その原則論を貫くとなると、この歌はしばらく歌えないことになる。だが、歌い手として、リクエストをいただくのは大変ありがたいことでもあった。しばし考えたが、「歌わせていただきます」とお応えした。いつものように7時半過ぎに店に着くと、なぜかもう舞台では歌っている人がいる。
「リハーサルですか?」とマスターに尋ねると、今夜はいつもより早い7時から開始だそうで、前3回と同様と決め込んでいた私をあわてさせた。あとでライブ情報を確認すると、確かに7時開始となっている。
幸い、私の出番は11組中の7番目で時間的には余裕があったが、どのような理由にせよ、参加者が遅刻してはいけない。どうもこの夜は出だしからつまずいていたようだ。この日のプログラムは最終的に以下の通りである。
「秋の日に」(オリジナル)
「流れる」(オリジナル)
「ありがとうforever」(オリジナル)
「秋の日に」は31年前の秋に作った曲だ。妻と結婚の約束をしていた時期で、歌詞の中に「君」という形で初めて妻のことをを歌った。
ではそれがラブソングなのかと言えば、実はそうではない。「恋人の睫の中に宇宙のカケラのようなものを見つける」という、とんでもない切り口の曲なのだ。ひょっとすると壮大なテーマである「森羅万象」を歌った初めての曲がこれだったかもしれない。その意味で、1曲目としては順当なものだった。この夜のライブは、参加者の一人のミニクラス会も兼ねていて、いつもとは違うメンバーがかなり会場に来ていた。勝手知ったるいつものメンバー相手とは違った、ある種難しい場とも言え、全曲オリジナルという構成が果たして場に相応しいものであるかどうか、自分の番がくる直前まで迷いがあった。
しかし、いざ歌い始めてみると、会場の反応は決して悪いものではなかった。かけ声も話し声もない静ひつな場内の空気が、それをはっきり裏づけていた。2曲目はさらに分かりにくい曲だ。別の候補として、ほぼ同じ時期にセットで出来た「森の記憶」があり、2週間ほど前、同席した見知らぬ客のアンコールに応える形で、この店で一度だけ歌ったことがある。だが、分かりにくさからか、はたまた曲のインパクトの弱さからか、反応はいまひとつの印象だった。
そこで残ったのが、「流れる」である。この歌は出来た直後に自宅でのオープンライブで歌っており、青空ライブでもそれなりに手応えを感じている。こちらも茫漠とした世界を歌ってはいるが、曲のインパクトは強く、耳に残ると妻も推している。
歌ってみるとこの夜の反応も悪くはなく、1曲目の気分をそのまま持込んだ。自分の感覚としては、そこに束の間の小宇宙が創られていた気がする。歌はこうして知らず知らず生き残ってゆくものなのだろうか。この夜はMCをかなり多めにした。発表会に3度も出れば、店の常連ではなくともそれなりに顔や歌は覚えてもらえ、舌も自然に滑らかになる。
最後の3曲目。前2曲と曲調がガラリ変わり、場のさばきとしてはかなり高度なものが要求された。あれこれ話して、「合図をしたら『ありがとう』の部分を一緒に歌ってください」などと事前にお願いしたが、はてさてこれですべてがうまく運んだのかどうか、大いに疑問が残った。
リクエストをくれた当のママさんは、ステージのすぐ近くまできて、間違いなく一緒に歌ってくださった。だが、他の聴き手の声は、もしかすると前回の自然発生的な大合唱には及ばなかった気が、何となくする。
この感覚はあくまで歌っている当人が感じた漠然としたもので、同じ場で違う印象を持った方もいるかもしれない。だが、同じ曲を同じ場で同じように歌い、同じように盛り上げるのがいかに難しいことか、私自身の問題としてつくづく思い知ったのである。やはりプロとアマとには明確な差があるように感じる。私の出来とは無関係だが、この夜、私を最も感動させてくれたのは、唯一の20代で最年少参加者であるK君のステージだった。彼の得意は尾崎豊のカバーなのだが、最後に歌った「Forget me not〜忘れな草」が秀逸の出来。
「何がどう良かったのか?」と問われても、明確に答えることは難しい。ギター歴1年足らず。驚くような美声の持ち主でもなく、抜群の技術を持っているわけでもない。だが、なぜか強く心を揺さぶられた。「すごく良かったよ」
単なる顔見知り程度のつきあいだが、ステージを終えてギターを片づけている彼に、思わずそう声をかけた。「本当ですか?!」
彼は一瞬、信じられないという表情を見せた。まだそれほど歌いこんでいない曲だったらしく、自分の出来に関し、当の本人もそれほど確かな手応えは自覚してなかったようだ。歌には上手い下手を超越したものが確かに存在する。それが一体何であるのか、まだ私にもはっきりとは分からない。
ただひとつ言えるのは、あの日あの時、おそらくK君の歌に彼のそれまでの人生、魂の叫びのようなものがひとつの形として凝縮されていたのではないだろうか?という推測である。あの夜私はそれに一瞬だけシンクロし、感じ取ることが出来たのだ。ライブは文字通り生物で、常に生きて流れている。その得難い一瞬を共有するには、時間とお金の許す限り(これが結構大変なのだが)その場に出向き、立会うことしかない。おそらくそれは短い人生において、充分意味のあることなのだろう。
7月に引越しをしたばかりの住宅のお施主さんから正式なご招待をいただき、夫婦で新居を訪問してきた。いわば「新築披露茶話会」のようなもので、お茶とお菓子で2時間ほど歓談し、夕方5時になったのでそれではと失礼しようとしたら、「夕食の準備をしてありますので、ゆっくりしていってください」との予期せぬお言葉。
あいにくこの日妻は偏頭痛で体調が優れず、内心困ったなと思いつつも、相手の好意を無にするわけにもいかず、逡巡していたら、うまい具合に歌とギターの話題になった。
こんなこともあろうかと車に積んでおいたギターを持ち出し、突発的な「出張押しかけライブ」が始まる。以下、行き当りばったりで歌った当日のセットリストである。
「切手のないおくりもの」
「古城」
「明日」
「雪國」)
「北の旅人」(南こうせつ)
「宗谷岬」
「旅愁」
「雨が空から降れば」
「面影橋から」
「さくら」(直太朗)
「達者でナ」
「北酒場」
「今日の日はさようなら」
今回のライブの難しさは、あらかじめ用意された場でも自分からすすんで作った場でもなかったことだった。
「最近は夫婦で訪問ライブなどをやっているんです」
「アラ、ぜひ一度聴いてみたいわ」(奥様)
「実は車にギターを積んでありますので、よろしければ歌いますが…」そんな経緯だった。相手の情報で分かっているのは、自分の家の設計手法を理解してくれていることだけで、歌に関してはこれまでの長い打合せのなかで、一度も話題になったこともなく、そもそも私がライブ活動をしていること自体、初めて知ったようだった。
場所が普通の民家であることは自宅でときどきやるオープンライブと同じで、特に大きな問題はない。ギターは音の大きなドレッドノート型で、PAはもちろん必要ない。内装は我が家と同じで木材がふんだんに使われていて、音響効果は抜群である。
ただ、「自分で設計した家」「お客様の家」という特殊条件があった。そもそも我が家と他所の家とでは、同じライブでも全く勝手が違う。何が違うのかというと、聴き手との距離が異様に近いことだった。幅60センチくらいの座卓をはさみ、むこう側にお施主さん夫婦が座り、こちら側に私たち夫婦が座る。この至近距離で実際に歌ってみると非常に圧迫感があり、緊張を強いられる。難しいのだ。
あらかじめ予告し、きちんと用意された場であれば、少し離れた場所で椅子に座り、譜面台に楽譜を置いて歌う。我が家での突発ライブでも、最低それだけの場は整えていた。だが、今回は床に座ったままの窮屈な姿勢でギターを抱え、楽譜はテーブルの上だ。実際に1曲目で声が縮んでいるのが自分で分かった。出かける前にギターと楽譜は車に積んであったが、あくまで話の流れのなかでもし請われれば歌う、というだけのことで、やるかやらないかはハッキリしていない。その日も歌の練習は全くしていなかった。
この不確定要素が実は一番の難敵だったかもしれない。やはり私は、事前に予定が決まっていて、たとえ半日でも準備する時間がないとダメなタイプのようである。それでも歌い始めた以上、ある程度は時間を使う必要があった。夕方5時過ぎで夕食にはまだ早すぎ、かといってそのまま会話を続けると、対外的に八方に気を遣うタイプの妻は疲れが増すばかりである。ここは私の歌で場をつなぐしかない。
曲間にあれこれ話を入れるうち、(いわばMCである)ご主人が三橋美智也や吉幾三の大ファンであることが分かる。いやゆるド演歌だが、二人とも私のレパートリーに入っている。だが、出がけに積んだ楽譜は青空ライブ用のもので、演歌は皆無だった。
歌詞やコードをうろ覚えのまま何曲か歌ったが、これまた準備不足。そして楽譜がないときちんと歌えないという私の融通のなさ、甘さをさらけだした格好になった。あれこれいいつつ、時はそれなりに過ぎたが、私の歌に波長が合ったのは奥様のほうだった。
「うまく説明出来ないが、菊地さんの歌は心に響く」と、聴きながら眼を潤ませている。
対してご主人の評価は、いまひとつの感じがした。聞けば歌は聴くより、自分で歌って聴かせるのを好むタイプだそうである。いわば私にとっては、ある種の「ライバル」のようなものだ。
あいにくカラオケがなく、「古城」や「雪國」を1番がご主人、2番が私といったふうにギター伴奏でご一緒したが、他の人の歌に合わせてギターを弾くのはこれまた難しい。ここでも自分の力不足を痛感した。歌に厳しいご主人が評価してくれたのが、「雨が空から降れば」と「宗谷岬」、そして「今日の日はさようなら」で、特に「雨が空から降れば」は、「まるで自分の曲のように歌いこなしている、素晴らしい」と絶賛してくださった。
この歌は奥様にもたいそう気にいっていただけた。歌い始めたときに急に雨が窓を打ち始めたというシチュエーションの効果もあったように思う。「雨が空から降れば」は、過去にも同じような主旨の言葉をかけられたことが幾度かある。やはり自分が好きでおそらく何百回も歌いこんだ曲は、何も語らずとも、しばしば聴き手の琴線をかき鳴らすものらしい。
歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "黄昏ラブソング" /2005.12.4
すっかり恒例となった、今年最後となる「歌酔倶楽部ありがとう」の「アマチュア・Musicジャンボリー」があった。
都合5度目、今年だけでも4度目となると、メンバーもある程度固定化され、会そのものにも新鮮味がやや薄れてくる。主催者側にとっても参加者側にとってもまさに胸突き八丁、難しい位置づけとなりそうな予感が漠然としていた。前回、開始時間を間違えた反省から少し早めに行くと、いきなりママさんから「TOMさん、今夜はトップバッターですから、よろしくお願いしますネ」と思いもかけぬ言葉をかけられる。一瞬たじろいだが、最後よりは最初のほうがいいかなと、すぐに気持ちを切り替えた。
これまで私はすべて6〜7番目あたり。参加者が10〜12組の中では早すぎもせず遅すぎもせず、ほどよい順番を甘受していた。その日の場の空気を左右しかねない難しいトップバッターは、すべて経営者であるマスターがこれまで務めていて、一般参加者が担当したことはなかった。
だが、あえて私が指名されたのには、何らかの意味があったのだろう。今年1年間で20本以上のさまざまなライブをこなしてきた自負も多少はあり、まあ何とかなるだろうと腹をくくった。とはいいながら、問題はこの日歌うプログラムだ。予定としてはオリジナル3曲を歌うつもりだったが、のっけからマニアックなオリジナルでは場が盛上がらない。前回のライブでも全員がコアとはいえない聴き手を前にオリジナルを臆面もなく3曲そろえ、多少後悔したいきさつもある。ここは一部カバー曲を入れるべきではないか…。開演前までのわずかな時間、どうすべきか思い悩んだ。
実はこの日にそなえて数日前から、2つのプログラムを準備していた。ひとつは数週間前に自宅で実施したライブの総集編のような形のオリジナル曲だけで構成したプログラム。もうひとつはあえてカバー曲だけで組立てたプログラムである。
両方とも中年むけのラブソング、という切り口で選曲してあって、どこをどう入れ換えても大きな違和感がないようにしてあった。いわば今回のライブは、「黄昏ラブソング」というサブテーマで臨んだと言ってもよい。さて、そうは言っても、何をどう組み合わせて歌うか、早急に決めなくてはならない。困り果てた私はステージで準備中にマスターにずばり相談してみた。
「トップなので、あまり聴き慣れない曲から入るより、カバー曲から入ったほうがいいですかね?」
するとマスターは私の広げた楽譜を見て、そうですね、一部カバーを入れたほうがいいかも、と応えた。(マスターは自宅ライブをすべて観てくれていて、この日予定していた私のオリジナル曲を知っている)
これでふんぎりがついた。トップにはカバー曲用プログラムでラストに歌う気でいたテンポのいい「黄昏のビギン」を、2〜3曲目には予定していたオリジナル曲のプログラムをそのままあてた。7時10分から開始ということで、5分前からステージに座って準備を整えた。いつでもOKという状態になったが、マスターから「遠くから初参加の方でまだ来ていない方がいるので、もう少し待って」との言葉。
トップということもあって、マイクテストをかね、カバー曲プログラムの2番目に予定していた「星影の小径」をゆっくりと歌い出す。人前では初披露の歌だったが、PAの調子もよく、なぜかすっかり気分が乗ってしまった。
会場からは、「もう始まったの?」との声。あわてて、「いやいや、まだ練習ですよ」と応えたが、結局フルコーラスを歌ってしまう。トップの役得だったかもしれない。歌い終えても、まだ遅れている参加者は現れない。「始めちゃいましょう」とのマスターの一声で、ライブは始まった。この日のセットリストは以下の通り。
〜マイクテスト
「星影の小径」「黄昏のビギン」
「初恋の来た道」(オリジナル)
「もっと」(オリジナル)
〜アンコール
「ありがとうforever」(オリジナル)
「黄昏のビギン」はフォークではないが、「星影の小径」と並んで最近よく練習している。両方とも個人的には「隠れた名曲」「後世に残したい曲」だと思っていて、いつかこの種の曲だけを集めたライブをやってみたいと考えているほどだ。
この曲の途中で遅れてやってきた5人の参加者の方が、ステージの目の前の席に次々と座った。(他に空席がなかった)ちょっと気が散るシチュエーションで、普段なら歌に影響が出ることも充分考えられたが、この夜は集中力が高まっていたせいか、全く動じなかった。2〜3曲目には、自宅ライブで評判の良かった曲を予定通りそろえた。「黄昏のビギン」が軽いストローク、「初恋の来た道」がサムピックでベース音を強調したアルペジオ、「もっと」がフラットピックでの激しいストロークと、3つの異なる奏法でメリハリをつける工夫をこらしたが、これは自宅ライブでの構成そのままで、最近のパターンである。
3曲とも発表会では初披露。「同じ曲は少なくとも1年は同じ場では歌わない」という、自らに課したノルマのようなものを、とりあえずは守る形になった。歌っていて自分でも手応えは感じた。ライブはナマ物だが、この夜はいろいろな面で気分が乗る条件が整っていたのだろう。終わると会場からは「アンコール!」の嵐。最初は軽いジョーク、外交辞令と受けとめ、深々と頭を下げてそのままステージを去ろうとした。ところがどうも様子がおかしい。本気でアンコールに応えなくてはならない雰囲気なのだ。
過去の発表会では、ラスト演奏者以外でアンコールを歌った記憶はない。ましてや会は始まったばかりである。「まだ一人目ですし…」と、そのままギターを片づけようとしていたらマスターが近寄ってきて、「曲は何でもいいですから、もう1曲歌ってくださいよ」との暖かい言葉。
主催者のこの声でようやく席に戻る気になり、楽譜を繰ってこのお店のテーマともいうべき「ありがとうforever」を歌って、この年の歌い納めとさせていただいた。実はもしかして二次会で歌う機会があるかもしれないと、この歌は事前に練習してあった。普通に歌うと4分を超える長い曲だが、アンコールで長い曲は禁物である。後半のリフレインを削った「シンプルバージョン」として3分程度に縮めたが、歌に合わせた場内の手拍子も疲れないこの長さが程よいことが、この日歌ってみて初めて分かった。
この曲は会場で皆がいっしょに歌えるようになっており、お店のテーマそのものでもあるしで、発表会で歌うのもこの日が3度目だった。曲の個性が強すぎ、サブテーマにからめて全体を構成するのは難しい曲でもあったが、アンコールならそれも許された。最初に歌ってしまったので、他の参加者の演奏をゆっくり楽しむ気持ちの余裕があり、いつもより多くの新しい発見があった。そのうちのいくつかは、さっそく自分の演奏や歌に取り入れようと試行錯誤している。
場の雰囲気を作らなくてはいけないトップバッターの責任は重いが、無事に終わってしまえばあとは非常に気楽だ。その意味ではトップも決して悪くない。回を重ねるにつれ、ともすれば惰性に流されそうになる自分にとっても、よい刺激になったと思う。最後にマスターから発表会の今後に関する新しい提案がいくつかあった。この種のライブを色褪せることなく長く続ける努力は、並み大抵のことではない。多くは場を開放し、ライブを主催するマスターとママさんの手腕にかかっているが、一参加者としても自分を向上させる貴重な場として、長く続くことを願っている。
歌酔倶楽部 ありがとう・MJ "それぞれの宇宙" /2006.4.30
毎回楽しみにしている「歌酔倶楽部ありがとう」の「アマチュア・Musicジャンボリー」に、半年ぶりに参加。別に途中を休んだわけではなく、諸事情で少し開催間隔があいただけの話である。
今回はいつもより遅めの8時に開場、8時30分に開演との予告だったが、8時ちょうどにお店に着くと、いつものメンバーはほぼそろっている。
今回、最初に入場料はとらず、最後にめいめいが飲んだ分だけを精算するシステムだった。つまりは「飲み放題」をやめ、普段と変わらぬごく普通の料金システムに戻す、ということらしい。この時点で、この日の発表会に託したマスターとママさんの、明解な意思表示を感じた。
自分としては、飲み放題であろうがなかろうが、飲み方にあまり変わりはない。飲むのは最初のビール1杯だけで、あとは歌にそなえ、トマトジュースとコーラで過ごすのが常だ。しかし、人によってはここぞとばかりに飲みふけり、(何しろ飲み放題でアル)歌どころではない事態に陥った例も過去にはある。純粋なアマチュアの歌とギターの発表会という場に、「飲み放題」が必ずしも相応しいとは限らないと主催者側が判断したのであろう。次に驚いたのは、「今夜は一人2曲ずつ、二回り歌っていただきます」というマスターの開会宣言である。合計4曲となり、その代りにアンコールは一切なしということだった。
楽譜は余分に持ってきているので何とかなるが、前後半に分けて二度歌った例は過去にない。いったいどのような展開になるのか、始まってみるまで、まるで予想がつかなかった。
歌う順はこれまた驚きの「アミダくじ」によるものだった。トップバッターだとかトリだとか、とかく序列にこだわりがちなのが日本人の体質。しょせんはアマチュアなのだから、それぞれの力量に大きな差はない。すっぱりクジ引きにしてしまえば、あれこれ気を煩わす手間や思惑が主催者側にも参加者側にもなくなり、すっきりする。
どうやらこの夜はすべてが驚きずくめのようで、参加する側にもかなりの覚悟が必要のように思われた。ライブは予定よりも早く、8時15分から始まった。二回りという条件から、前半は余分なMCも極力入れず、歌のタイトルの紹介程度ということである。MCがほとんどないのは進行が早くてよいが、聴き手としては息の抜く間合いがどこにもなく、入れ代わりの時間もあまりないこともあって、どことなく気ぜわしさを全体的に感じた。
私自身の前半のプログラムは、以下の通り。
「雨が空から降れば」
「夕凪わるつ」(オリジナル作詞)
この夜は1週間前に自宅で実施したコンサートの総集編のような構成で臨んだ。前半は初めて立って歌ってみたが、譜面台とマイクの位置がイメージとは少し違っていて、やや歌いづらく、気分はいまひとつ乗らない印象がした。前半を支配していた、やや落着かない雰囲気とも少し関係があったかもしれない。
「雨が空から降れば」はこの店で過去に2度歌っているが、発表会では初めてである。一度は歌っておくべき曲だろう。20年以上もさまざまな場で歌い続けてきたが、今年になって再びこの歌への熱い想いがフツフツと燃え上がってきた。歌い継ぎたい名曲である。「夕凪わるつ」はMCがない関係で、クラシックの原曲にオリジナルの歌詞をぶつけたことを全く説明出来なかった。しかし、理解してくれた方はちゃんといたようである。
およそ2時間弱で合計8名、延べ16曲の前半が終った。急いだだけあって、かなりのハイペースである。ここで20分ほど休憩があり、しばしの歓談。10時20分くらいから後半が始まった。
私の順番は8人中の4番だった。もともと順番はあまり気にしないたちだから、どこでも構わなかった。要は与えられた数分間でいかにして自分の世界を造り出すことが出来るかなのである。だが、実際に前半に歌ってみて、2曲8分間ほどでそれを行うのは、非常に難しいことだと思い知った。
名前は書かないが、以前に紅白歌合戦に出るにあたり、「3曲歌うこと」を条件とした歌手が複数いる。理由は「1曲だけでは自分の世界を分かってもらえないから…」。しかし、この論理にはウソがあると思う。本当に優れた歌い手であれば、前に誰が歌おうが、わずか1曲3分間であろうが、聴き手を一撃で感動させることが可能なのではないか。それが真のプロというものだ。
しかし、私はシガないただのアマチュアの歌い手である。正直、2曲8分間だけで聴き手を自分の世界に引込むのは無理な相談なのであった。そのあたりの空気を察したのかもしれないが、マスターが「後半はMCを多少入れてもいいですよ」と開始前に言ってくれた。前半を短く終えたことで、時間的に余裕が出来たせいもあったのだろう。各自、MCをかなり入れて進め始めたが、やはりMCがあるとないとでは、場の空気がかなり違っていた。
少しのMCにより、聴き手の側がリラックス出来るのだ。長過ぎるMCは興醒めだが、短いMCは場をかなり和らげるものなのだとこの夜、改めて感じた。2巡目という歌い手の心の余裕もあって、後半のライブはなかなかいい感じで進んだ。私自身の後半のプログラムは、以下の通り。
「にぎやかな木々」
「夜のバス」
「にぎやかな木々」は、今年発売された及川恒平さんの新しいアルバムに収録されている。とても好きな曲だが、直前の自宅ライブでは歌っていない。候補としてはピックアップしてあったが、六文銭がらみの曲が多くなり過ぎたので、やむなく削ったのだ。この夜のライブはこの曲を歌うために参加した、と言ってもいいくらいだ。
及川恒平さんの曲すべてに言えるかもしれないが、3分ほどの曲にでも、小さな宇宙をそれぞれに感じる。その宇宙は、おそらく作り手の意図したものとは少し違う。60億の人間がいれば60億の宇宙がそれぞれに存在することと同じで、歌とはそのようなものではないか。
いずれにしても、この歌に私は私なりの宇宙を感じ、そして歌った。男女のちょっと危うい愛の世界をテーマにしているのだが、ルンバ調の軽いギターストロークで歌ったら、予期せず会場から手拍子が湧いた。(この歌が手拍子で歌えるのか…)とやや戸惑ったが、これまた聴き手の宇宙の問題なのだった。結果的に軽い印象に仕上がったと思う。ラストの「夜のバス」は自宅ライブでも歌い、終了後の茶話会でもちょっと話題になった。いつも通り3曲の構成だと思っていたから、事前の練習は全くしていない。たまたま楽譜の用意があったので、その場の思いつきで歌ってみた。
陽水としてはかなりマイナーな曲だが、「君なら一人で明日を迎えることが出来るよ…」という下りに、これまたささやかな宇宙を感じる。自宅ライブのMCでもそのことをちょっと話した。この夜はそこまで説明しなかったが、それなりの手応えは会場から感じた。全メンバーが歌い終えたとき、時計は程よい12時近く。楽曲や歌い手、そして聴き手や主催者を含めたそれぞれの小さな宇宙を実感した一夜であった。
北海道神宮フォークうたごえまつり /2006.6.15
6月15日に例年実施される北海道神宮例祭に協賛した「フォークうたごえまつり」のステージで、去年に引続き歌った。地域FM局が主催で実施されるのはいつもと同じだが、今年はコンテスト形式ではなく、出場者に順位をつけない真の意味での「歌祭り」である。
諸般の事情で詳しいいきさつは書けないが、このライブへの参加が正式決定したのは、実は前日の夜である。入浴中にかかってきた一本の電話で、あれよあれよという間に出演が決まってしまった。あちこちで色々な活動を続けていると、こんなこともあるということだ。察しのいい方には、何となく裏事情が理解出来ると思う。歌う曲目の打ち合せもまた、そのまま入浴中に行われた。それほど自体はひっ迫していたということか。
去年までは「フォークうたごえまつり」という主旨もあり、出演者は70年代のフォーク系の曲を歌うことが原則だった。しかし、今年からは「カバー曲であれば何でもOK」と基準が緩くなっている。しかし、電話をくれた担当者は明らかに私に対し、70年代フォークを望んでいた。考える時間がほとんどないので、咄嗟に思いついた得意曲を次々と並べた。かぐや姫の「僕の胸でおやすみ」と六文銭の「面影橋から」がその場で決まる。出演者の都合で、もしかすると3曲歌ってもらう可能性があるというので、予備曲として、六文銭の「雨が空から降れば」と、高田渡の「生活の柄」を選ぶ。
裸でこんな打ち合せを15分近くもしたので、すっかり身体が冷えてしまい、電話を切ったあとでもう一度熱いバスタブに入り直す羽目に。風呂から上がって食事もそこそこ、すぐに練習に入る。3週間前に傷めた気管支はまだ完全に回復してなく、ライブからもしばらく遠ざかっていたが、受けた以上は万全の体勢で臨みたい。
「僕の胸でおやすみ」「面影橋から」「雨が空から降れば」は暗譜していて、いつどこでも楽譜なしで歌えたが、「生活の柄」はしばらく歌っていないせいで、いまひとつノリが悪い。ひとまず練習だけはしたが、この時点で候補からは脱落といった印象だった。翌日は平日だったが、地元企業の多くは休日である。私にも仕事の予定はなく、たまたま休暇で家にいた妻を伴い、曇天の中を出発。ところが家を出たとたん、猛烈な雨と風に見舞われる。駐車場から会場までは徒歩でかなりかかる。途中の最寄りの駅で妻を返そうかと悩んだほどだ。ところが現地に着いたとたん、ウソのように雨が止む。
今回、これまでのようなリハーサルはなく、ぶっつけ一発勝負である。本番は夕方6時からだったが、「3〜4番目に歌っていただきます」と前夜に言われていたので、余裕をみて5時に会場に入った。
リハーサルがないのは条件として厳しいような印象を一見受けるが、自分としては余計な神経と時間を使う必要がない分、かえってやりやすいとも言えた。去年、同じステージを経験している安心感もあった。ライブは予定通り、6時から始まった。直前の荒天で、客の数は去年に比べるとかなり少ない。ざっと数えて40〜50人といったところか。私の出番はエントリー9人中の4番目で、気楽といえば気楽な順番である。曲数は出演者が予定通りにそろった関係で、一人2曲に落着く。
本番中も気温は低く、風も相変わらず強かったが、不思議なことに雨は降らず、いい感じでステージは進んだ。偶然かもしれないが、出演者のツブがそろっていた。20〜30代の若手が3人続いたあとで私の出番がきた。出演者9人中50代は3人だけで、そのうち一人はこの日が事実上の初舞台。残りは大半が20代の若い歌い手である。舞台に立ってみて、自分の置かれた立場を何となく理解し、MCも含めて全体をそのイメージで構成した。
舞台上でPAの担当者と簡単にマイクとギターの音をあわせる。リハといえばリハのようなものだ。モニターの音が幾分小さい気もしたが、指摘はしなかった。エレアコの音は手元で微調整し、マイクの音は歌いながら自分の勘で距離と声量を調整しつつ歌った。1曲目の「僕の胸でおやすみ」では、最前列にいた2歳くらいの男の子が落着きなく動き回り、親がそれを嗜めたりしていて、ちょっと気になった。幼き子を70年代フォークで黙らせるほどの技は、まだまだ自分にはないということか。
それでも歌い終るのを待ちかねたように、後方から大きな拍手がおきた。聴いてくれる人はちゃんといたのだ。2曲目の「面影橋から」は、人前で歌うのは2年振りくらいだろうか。直前に楽屋で他の同年代の出演者と雑談していたとき、「あの歌の世界は難しくて理解できない。自分にはとても歌えない」と言われたりした。
確かにそうだ。あの歌の中に漂う無常観を、簡単に理解するのは難しい。しかし、60歳に近づくにつれ、何となくあの歌の裏に潜むものが見えてきたような気もする。この夜はその「見えたかもしれない」世界を自分なりに形作り、そして歌った。自分としては出来はよかったと思う。少なくとも2年前よりは進歩していたはずだ。歌い終えると、ちょっと不思議な現象がおきた。「僕の胸でおやすみ」では、まだラストの演奏が終る前に拍手がおきたのに、この歌では歌い終っても一瞬の静寂に場が包まれ、拍手がおきない。
(おかしい…)と咄嗟に思ったが、出来が悪くなかったことは、歌った自分自身が一番よく知っている。そこで、「終りです。ありがとうございます」とマイクに向って一礼した。吹っ切れたような拍手がきたのは、そのあとだった。長い間ライブを続けていると、このような状況にときどき遭遇する。自分の嫌いなシチュエーションではない。歌い終えてステージを降りると、顔なじみの女性アナウンサー(余談だが、大変な美人)から、「菊地さんの声は本当に美しいです」と声をかけられた。そして担当責任者からも、「菊地さんの歌でライブ全体がピシッと締った」とねぎらわれる。短時間の準備だったが、めざした方向にどうやら誤りはなかったようだ。
自分の出番が終ったあとも、他の出演者の歌を最後まで聴いた。どの出演者も個性豊かでテクニック的にも優れ、飽きさせなかった。
特筆すべきはトリで歌った同年代の男性による「落陽」である。「歌いながら曲間にアドリブでMCを入れる」という不思議な構成で、あんなふうに解釈した「落陽」は初めて聴いた。積み重ねてきた人生の重さを感じさせる、フィナーレに相応しい熱演だった。例年のようなコンテスト形式ではなかったことで、勝ちも負けもない歌祭り本来の楽しさを満喫できたと思う。出演前の楽屋や、出演後の客席の見知らぬ何人かの方々から、「あなたのことは以前から知っている」「素晴らしい歌だった」と思いがけない声をかけられてびっくりし、そして感激した。地道なようでも続けてさえいれば、どこかで誰かがちゃんと見ているのだ。
このところちょっと落ち込む日々が続いていたが、歌うことで勇気づけられ、新しい力が湧いてきた気がする。