家作りエッセイ


こもる部屋.... 2006.9.17



 部屋、得に個室のあり方について、いろいろと考えることがある。私の考えとはこうだ。

「住宅に個室はいらない」

 多くの日本人の家の概念に、個室というものが暗黙の了解のもとに形成されている。注文住宅でも建売住宅でも1億の分譲マンションでも月5万円の賃貸住宅でも、ある条件下の個室が必ず存在する。
 住宅展示場を賑わす絢爛豪華なモデルルームを見渡しても、トイレや居間、台所などに代表される生活に必要な部屋のほかに、収納と鍵つきのドアが装備された個室群が、さあどうぞとばかりに用意されている。買い手はほとんど何の疑問もなしにそれらの個室群つきの住宅を受け入れる。めでたし、めでたし…、と果たして終わってしまっていいのだろうか。

 私が初めて個室を与えられたのは、父が一戸建て住宅を建てた中学2年の夏、いまから40年以上も前のことである。「子供には独立した部屋を与える」という考えが、徐々に庶民に浸透し始めたころだった。それまで、居間の一角に置かれた学習机周辺が唯一の自分のテリトリーらしきものだった私にとって、わずか3畳とはいえ、誰にも邪魔されない自分だけの部屋はまるで夢のような空間だった。
 おそらくは両親も、「息子が勉強に集中出来る場を与えたんだ」と胸を張っていただろう。それはすなわち、いい学校、いい会社に入るという、かって、いや未だに日本人の意識下深く宿っている「寄らば大樹安定指向」へと、どこかでつながっている。

 さて、こうして受験期に個室を与えられた結果はどうだったか?両親の期待通り、私は当時ではレベルの高かった公立高に首尾よく合格した。その後、難易度ではまずまずの国立大学にも合格を果たしたから、結果的に親の思惑は裏切らなかったことになる。
 だが、個室を与えられたことによる弊害もゼロではなかった。食事や風呂、洗面以外の身の回りのすべてが閉じられた狭い空間で事足りる生活になったため、部屋に引きこもることが多くなったのだ。
 こもることにより、エロ本を読みふけったり、シンナー遊びに興じたりの悪い遊びも覚えた。家族からの孤立化というさらなる弊害も生まれた。個室により得たものもあるにはあったが、失ったものも少なくなかったのである。

 当時はまだいまほど誘惑の多くない時代だった。個室といっても、私の場合は狭い3畳間。場所も居間のすぐ隣で、鍵もついていない。テレビゲームもなく、アダルトビデオもまだない。しかも私は成績はまずまずで、比較的品行方正な子供だった。両親も人並み以上に厳格である。それでも、こもることにより、これだけの悪事を働ける。部屋が人の性格に、少なからず影響を及ぼすのである。
 もしも時代がいまで、親の締めつけがそう厳しくなく、本人の自制心もいまひとつ、部屋は玄関から直接上がってゆける2階の鍵つき個室、電話とテレビ、ビデオ、ゲーム機完備…、という環境となれば、そこでどんな悪事が働かれるか、容易に想像がつく。「ウチの子に限って」ではなく、「おそらくウチの子も…」と考えたほうが賢明だろう。

 そこで前言に戻る。家族で生活している限り、基本的に個室はいらない。すなわち、プライバシーなど無用なのである。
 私が学生時代に4年間を過ごした寮には、個室というものがなかった。引戸を開けると20畳ほどの広間があり、冬はそこにストーブが置かれる。夜毎の酒盛りが繰り広げられるのもそこだ。
 個人の空間といえば、部屋の左右にある畳1枚半ほどの押入れに似た造りの木製ベットだけだった。木製ベットの端に座り机があり、昼間は布団をふたつ折にしてそこで勉強する。製図などの作業は、20畳の共有空間でやった。ベットにはカーテンがあったが、基本的にプライバシーはなく、こもる隙は与えられなかった。

 1年生から4年生までが集まる8人の大部屋、アウシュビッツの捕虜収容所のような空間、プライバシーのない世界…、しかし、それでも私は当時の生活をいまでもいとおしく思い出す。
 そこは、喜び、悲しみ、怒り、それらの雑多な感情の一切を、他人である8人が違いに共有しあっていた異空間だった。異様な部屋の造りと雰囲気に、最初は目をむいていまにも逃げ出しそうなそぶりを見せる新入生も、やがて数か月後には「この部屋に入って良かった」と一様に目を輝かせるのである。もちろん私もその例外ではなかった。
 4年間とはいえ、家族でもない赤の他人がこんな世界を構築出来るのだ。利害関係がなく、遺伝子を共有している家族が、同じことを出来ないはずがない。

 私が家で仕事をし、一室を占拠してきたせいで、我が家の子供たちは個室を与えられずに育った。鍵つきの個室を与えられている他の「恵まれた」友人たちと比べ、そのことを引目に感じていた子もいたかもしれない。しかし、強がりでなく言うが、逆にそのことで、私たちは強い家族の絆を築くことが出来たように思う。
 パラサイトシングルにでもならない限り、健やかに育った子供が家にいるのは、せいぜい20数年である。子供が個室を欲しがる、いや、親が与えたがる思春期、受験期だけを考えると、10年にも満たないわずかな期間だ。人生の中でも特に大切なその期間を、親の目が届かない「子供部屋」という名の空間に閉じ込めてしまっていいのだろうか。


風と光と家族の気配が、自由に行き交う空間/設計:TOM工房


 7年前に建てた我が家には、個室の概念がない。あるのは、「生活する空間」「創造する空間」「休息する空間」などのゾーンに分けた用途別空間だけである。このように空間を分けるにあたり、家族とは事前に充分話し合った。

「生活する空間」は1階にあり、ここで食事を作り、食べ、排泄し、身体を清潔に保つ。家族間で最も白熱した議論や会話が展開されるのもここだ。
 この空間、いや、家中を含めても唯一鍵がついていて「こもる」ことが可能なのは、トイレと浴室などがあるユーティリティだけである。(現実には、誰も鍵などかけないが)

「創造する空間」は2階の南西側のゾーンにあり、ここで図面を引き、絵を描き、本を読み、ギターで歌を弾き語る。
 壁際をぐるりとめぐる机や椅子、3台あるパソコンは家族の共有物である。作業時間が重なるとき、かっては息子たちが、いまは妻が私のところにやってきて、いろいろ疑問点を尋ねたりする。寝る前の妻をつかまえ、新しい仕事のアイデアを私がとくとくと語ったりもする。
 この空間は1階の「生活する空間」とふたつの吹抜けでつながっており、1階での母と息子の会話に、2階で仕事をしている私が声だけで「乱入」したこともかってあった。夫婦二人の生活になったいまは、1階にいる妻と2階で仕事をする私とで、自由に会話を交す。

「休息する空間」は家の2階北東側のゾーンにあり、のれんや腰壁、本棚などで曖昧に仕切られ、視線や強い光は遮られているが、音は筒抜けで基本的にプライバシーはない。誰かが寝ているときには、起きてる人間は音や光を絞るという暗黙のルールが家族間ですでに出来ている。やはり部屋は人を造るのだ。

 この「ゾーン別空間割り」には、家族状況の変化に柔軟に対応出来る、という別の利点もある。かっては二人の息子が占有していた2階の空間は、いまは自宅コンサートなどを定期開催する趣味空間に変貌しているし、一部は来客用の予備空間となっている。
 夫婦のどちらかに介護が必要となった場合、1階を寝食の起点とする改造案も、すでに頭の中にある。そんなことは起きないかもしれないが、すぐにでも起きるかもしれない。ガヂガヂの個室の壁で仕切られていた場合、改造はかなり大掛かりとなるが、空間割りを最初から曖昧にしておけば、改造はDIYレベルで簡単に叶う。

 私は一応、建築に関わりを持つ仕事についているが、こんな猥雑な暮らしぶりを、そっくりそのまま人様の家にまで押しつけようとは思わない。あくまで自分たちの生き方、暮らし方を問いつめた結果生まれた私的空間である。だが以前、ある人の設計に関わることになり、打合せを始めた結果、とんでもない要求が出された。それは子供はおろか、夫婦までもが鍵つきの完全独立個室に分ける、という代物だった。
 子供はいずれ家を出る。どう育とうが、構わないという考えもあろう。だが、仮にも同じ屋根の下に暮らす夫婦が、互いにこもる部屋に暮らしていていいものか。
 燃える愛はとうにさめているのかもしれない。それはいい。しかし、もしも年老いて、どちらか一方が就寝中に発作でも起こし、誰も気づかずに死にでもしたら、いったいどうするつもりなのだろう?ひょっとして、「これで厄介払いが出来た」と心中手をはたいたりするのかもしれないが、想像するのもおぞましい話だ。

 幸いなことに、この話はいろいろな事情で立消えとなったが、いざ建築設計で生計をたてるとなれば、このような自分の生き方に沿わない仕事でも、場合によってはこなさなくてはいけないのだろう。
 時代は民の小さな暮らし方から、徐々に崩壊を始めているのかもしれない。
(以前に趣味のサイトで公開したものに加筆修正しました)