家作りエッセイ


トンネル効果.... 2006.4.18



 先日完成した住宅現場で実施された内覧会での話である。足掛け3年をかけ、ていねいに設計監理したかいあって、お施主さんを始めとする来訪者の評判も大変良かったのだが、複数の方々に階段の狭さを指摘された。
 今回の階段幅はごく普通の910モジュール、つまり柱間の中心寸法で910である。ここから柱幅と内壁材の厚みを差引くと、有効幅は786となる。ほぼ我が家の階段幅と同寸法であり、7年間実際に住んでみて、私たち家族にとっては特に不都合のない数値だった。今回のお施主さんとも事前に充分話合い、実際に我が家の階段を昇り降りしていただいて、最終的に決めた寸法だった。
 ところが昨今では階段幅を広くするのがある種の流行のようになっていて、どのハウスメーカーもこぞって幅の広い階段を売り物にしようとしているふしがある。よく見かけるのが柱間の中心寸法で1000、広いものではこの数値が1100を超えている階段もある。さて、現実問題として、階段にそんなに広い寸法が必要なのだろうか?

 かなり厳しい基準と思われる公庫のバリアフリー仕様でも、階段の有効幅に関する規定は特にない。建築基準法では、直上階の面積が200平米以下なら、有効幅で750あればよい。手摺の飛び出し寸法が100を超える場合は超えた分を差引く必要があるが、今回の手摺突出寸法は70なので、この点での問題もない。
 公庫のバリアフリー仕様規定では、「高齢者等の居室間やトイレ、浴室、玄関等を相互につなぐ廊下の有効幅は780以上」という項目がある。身体の不自由な高齢者等に対し、階段を昇らせる前提での議論そのものにあまり意味がない気もするが、仮にこの数値を階段にもそのまま適用するとしても、最低値は満たしていることになる。
 以上の事柄から、法的にも推奨値としても階段の有効幅は786で問題はなく、「狭い」という議論は最低値にどれほどの余裕を見るのか、あるいは住宅の中で階段をどのように位置づけるかの問題だ、ということに落着く。

「狭い」と口に出して指摘された方は、実はすでに家を新築されて間もない方々だった。当然ながら、自分の家には幅広の階段を選んだようである。
 住宅内覧会にくる方が必ずしも「近い将来に家を建てたい」という潜在ニーズを持っているとは限らない。私自身にも覚えがあるが、仮に自宅を新築直後であっても、「近所で内覧会があるらしいから、見学して我が家とどこが違うのか見てみよう」という、いわば冷やかし気分、覗き見ヤジ馬的気分で見にくる方が、実は少なくないのである。
 最近家を建てたばかりの方々は、基本的に(我が家の選択が一番正しい)という自負を持っている。これは新婚直後の男女が、(私の選んだ相手が一番…)と幸せ気分に浮かれているのと同じで、ごく普通で当然の感情だと思う。家を建てたり、結婚するなどという人生の重要なスタート時点で、自分の選択に何かしらの憂いや懸念のあるほうがむしろ問題であろう。

 はてさて、「狭い階段」と指摘された方の階段は、すべて柱間の中心寸法で1000以上。中には1200という超幅広階段の方もいた。その方とはかなり長い時間お話ししたが、家作りの勉強を相当された方らしく、「階段は単なる通路ではなく、日常生活における重要な潤いの空間である」という持論を展開されていた。
 こうした考えは家作りではよく見られるが、どちからといえばプロの思考で、素人のお施主さんとしてはかなり珍しい考え方だと感じた。階段の狭い家には空間の広がりがない、という論理だが、どう考えてもその理論には飛躍がある。

「そうした考えも理解できますが、それは家全体の中で階段をどう位置づけるか、ということだと思います。広い階段の途中に立ち止まって考え事をしたり、階段の途中に本棚を作り、時には階段に座って本を読んだりする、そういう安らぎや遊びの空間として階段を考えるなら、確かに広い階段は必要でしょう。しかし、今回の計画ではお施主さんの意向もあって、階段を単に通路としてしか考えなかったのです」

 この方は施工した工務店の招いた初対面のお客様であったが、この専門的でかなり難しい話は、「狭い」と指摘されたその階段上部に設けた回廊のようにループする不思議な空間で進められていた。
 階段上部は木製の細い縦格子の手摺で囲ってあり、光や風は自由に通す。その手摺にもたれて互いに向き合いながら、延々と話しているのである。この日、この階段上部の同じ空間で幾人のお客様と話合っただろう。この場所はそのまま南の居間と食堂につながっていて、上部は傾斜天井として屋根まで気持ちよく吹き抜けている。
 人は居心地のよい空間に自然に集まってくるものだ。そう、「狭い」と指摘された階段上部に縦横に広がる伸びやかな空間。それこそがこの家の重要なテーマのひとつなのだった。つまり、「階段議論」の答えそのままが、そこに広がっていたのである。

「トンネル効果」という言葉がある。本来は量子力学の専門用語だが、私はこれを家作りのシーンでしばしば用いる。およそ以下のような手法だ。

 電車や車に乗っていて、暗いトンネルを抜けると周囲の景色が劇的に変化し、まるで別世界にきたかのような錯覚に陥ることがある。今回の計画では、意図的に階段をこの「トンネル効果」の道具として使った。
 つまり、家の中心を貫くように設けられた階段をあえてやや狭く、ほの暗い感じでしつらえておき、陽射しの当たらない北側に向って昇るようにする。細めの空間を昇り詰めて振り返ると、そこには南から燦々と陽射しの降り注ぐ明るくて開放的なLDKが、まるで映画の一シーンのように広がっているのである。さらに上部には屋根まで開放された吹抜け空間、そして動線がループする不思議な回廊…。

 実はお施主さんには、この「手品の仕掛け」を詳しく説明していない。しかし、ご家族や訪問者にはそのことが本能的に分かるらしい。

「2階に上がったとたん、『素敵な空間ね〜』と招いた友人に言われるんですよ。客に喜ばれるって、実にうれしいです」と、お施主さんからも喜びのメールが届いていた。
 我が家の場合もほぼ同様の仕掛けを施してあるが、入居7年を過ぎたいまでも、階段を昇り降りするときに陥る不思議な感覚に変わりはない。おそらく今回のお施主さんも、日々の暮しのなかで同様の感覚に陥るはずだ。それはもちろん不快な感覚ではない。

 人それぞれの価値観と選択基準があるものだが、今回の場合は「中心寸法910」という選択が正解だったようである。

 参考までに書き添えるが、過去に手がけた住宅で一度だけ、中心寸法1000の階段を設計したことがある。私は「中心寸法910論者」ではあるが、最終選択はあくまで長くその家に住み続けるお施主さんである。このときはお施主さんが広めの階段を強く望まれ、私も最終的にそれに同意した。

 階段幅を広くして失うものと得るものの両方がある。家作りとはおしなべてそのようなもので、特にソフト面では、「これにしておけば絶対」という選択はむしろ少なく、そこに家作りの妙味がある。
 それは住む側の嗜好が千差万別だからで、肝心なのはプロである作り手側が住み手の暮しぶりを充分に検討吟味し、その住み手にとって何が大切な選択であるかを見抜き、事前にきちんと説明してあげることだろう。