家作りエッセイ


家作り夫婦作り.... 2006.3.7



「仲の悪い夫婦に家は建たない」という警句が家作りではある。いつどこで聞いたのか、ネット検索してもヒットしない。もしかしたら、私の思い込みで勝手に作った言葉かもしれない。
 いずれにしても、この言葉はここ数年、自分や人様の家作りに深く関わってきたことで、否応なしに思い知らされてきた紛れもない事実なのだった。

 営業展開がネット中心である私の場合、まずメールでの問合せから始まり、そのまま一回限りのメール相談で終るケースもあれば、事務所兼自宅の訪問、そこから様々な住宅アドバイザー契約の話に進んだり、時には一気に本格的な設計工事監理契約にまで至ったりする。
 どのようなケースでも、交渉の主導権を握るのはご主人(夫)か奥様(妻)のどちらかである。私の場合、独身者からの引き合いはごく少なく、評価するほどの数ではない。
 比率として多いのは、断然ご主人の側である。具体的に統計はとっていないが、およそ70〜80%ほどだろうか。奥様からの引合いは残りの20〜30%ということになる。大きなお金を動かすことだから、男性が主役になることが多いのかもしれないが、その家庭毎の夫婦の力関係により、ときにこれが女性である妻の側からの仕掛けに変わる。

 家作りの主導権が夫であろうが妻であろうが、どちらでもいいと私は考えている。その家庭毎の長い夫婦の歴史があるのだから、結果的に家庭が丸く収まればそれでいいと思う。(夫婦の歴史が数年という場合、そもそも家作りにまで気運が盛上がらないケースが多いとみられ、私がこれまで手がけたケースでは、夫婦歴が比較的長い方ばかりである)
 問題なのは、夫婦のどちらかが家作りに無関心であることだ。たとえばハウスメーカーなどに「すべてお任せ」と割切って家作りを任せてしまえば、夫婦のどちらかが多少は無関心でも、それなりにひとまず家は建つ。ただしこの場合も、間取りに始まる細かくて時に煩わしい仕様決定の多くを、夫か妻のどちらかが一人で抱え込んで処理しなくてはならない。

 さらに問題なのは、家作りに関する夫婦の考え方が全く合わない場合だ。これは夫婦の重ねた時間の物理的な長さとは無関係のようで、たとえば20年以上もの夫婦歴があっても、家作りに対する考えが全く噛み合わないケースも多々ある。
 家作りは突き詰めると、暮し方生き方の構築作業に他ならないから、常日頃から相手の感情の機微を思いやる気持ちに欠ける夫婦の場合、夫婦としての物理的な長さがいくら長くとも、家作りというある種のっぴきならない状況に追い込まれた場合、たちまち普段は隠れていた互いの本音や価値観がさらけ出される。時にはそれが家作り作業そのものを窮地に追い込む。つまり、「仲の悪い夫婦に家は建たない」のである。

 家作りを進めるには、まず夫婦関係の見直し、再構築から始めたい。自分たち夫婦が仲がよいか悪いかなど、なかなか当人同士には認識出来ないものだが、何らかの形で家作りの話題が家庭で持ち上がったとき、仮に夫婦の片方が全く無関心なら、まず計画をいったん棚上げする勇気を持つことをお勧めする。片方の意向を無視し、もう片方だけが熱を上げても、計画はいずれ暗礁に乗り上げるだろう。
 無関心ではないのだが、片方がいまひとつ燃えていない場合はどうするか?これは燃えている側が時間をかけて粘り強く説き伏せるしかない。時には間取りや仕様決定の場面で、燃えている側が大きな妥協をすべきだ。こうして折合いをつけつつ、互いを思いやり、「家」という生涯の大きな命題に向って少しずつ歩み寄ってゆく。家作り、すなわち、夫婦の歴史作りそのものである。

 無関心ではないのだが、家作りに関する考えが全く噛み合わず、互いの妥協もみられない場合、これまた家作りは中止すべきだろう。ゴリ押しすれば、夫婦破たんにまで至るのは、目に見えている。
 住宅設計を本格的に手がけ始めてまだ日の浅い私にも、いくつか中止に至った例があるが、建築家としてのキャリア充分の知人に確かめたところ、やはり結構そうした例があるそうだ。かなり具体的に話が進んでから、突然「家を建てるのをやめたい」と一方的に通告されるので、仕事を受けた側としてはかなり痛い。(違約金などとれない場合が大半)災難に出会ったとあきらめるしかない。

 家作りを契機に、ぎくしゃくしていた夫婦関係にクサビが入り、俄然関係が良い方向に進みだすケースも少なくない。実はこれを書いている私たち夫婦が、もしかするとそうであったかもしれない。家を建てて7年目に突入したいま、そんなことをよく考える。
 仲の悪い夫婦に家は建たないのは紛れもない事実だが、たとえば定年を間近にして膠着している夫婦関係を一気に打開し、改善させるには家作りは絶好の素材であると言えるかもしれない。何もせずにただ座っていても、山は動かないのだ。